第252話 騒ぐ蔵は違いが判る

文字数 2,116文字

「え……」

出たっていうか、逃げたんですけどね、と真久部さんは言い直す。だけど、俺はとっさに言葉が出て来なかった。金魚を、逃がす? 逃げた──? 

「あ、そうか! 皿ごと逃がしたというわけですね、外に」

どんな図案か知らないけど、結局のところ、そこに描かれた絵にすぎないんだし。逃がすというなら、棲み家(・・・)ごとだろう。……生きてる普通の金魚でもそうだろうけどさ。

「えっと、何ていったっけ、緊急避難? そういう感じで」

あの蔵にとっては同じことなのかもしれないけど。

「いえ、皿は外に出ていません」

そう言いませんでしたっけ? と、真久部さんは首を傾げてみせる。

「う……じゃあ、どうやって逃がすんですか……?」

俺にはそれしか思いつかないよ、そういう気持ちで見つめていると、何ともいえない困ったような笑みが返ってきた。

「──危うい均衡を保っていたんだと思うんですよ、その時の金魚と猫は」

「均衡……?」

無意識に繰り返すと、真久部さんはうなずいた。

「ほら、時代劇なんかの剣豪同士の戦いを思い出してみてください。互いに隙なく、動くに動けない緊張の一瞬。視線すら動かせず、睨み合ったまま」

「……」

ふと、俺の頭にかの痛快娯楽時代劇の一場面が思い浮かんだ。最後の最後、ようやく対峙する二人の剣豪──。散る時に首の落ちる、武士としては縁起の悪い花の名を偽名にした主人公と、何としても彼との決着をつけたくて追いかけてきた、敵方の腹心だった男。

じっと睨み合った二人は、どちらも微動だにしない。息詰まる緊張感、固唾を飲んで見守る若侍たち。永遠に引き延ばされた須臾の間を引き裂くように、天から走る稲妻もかくやとばかりの早業で腹心の男が刀の柄に手を掛けて引き抜こうとした──その瞬間。神速で抜刀した主人公が腹心の男を斬っていた。

隙を誘うか、隙を衝くか。仕掛けようと動く。それ自体が既に隙となる、のか……と、感じ入ったものだ。

リアル剣道でも、高段者同士の立ち合いだと両者びくともせず、そのまま試合が終わることもあるらしい。──端からはただ立ってるだけにしか見えないけど、闘気とか覇気とか緊張で汗びっしょりになるんだって。

何というハイレベルな戦い。そうなったら、もう勝負は時の運としか──。んー、金魚と猫、どっちが三○敏郎で、どっちが仲○達也なんだろう……?

ついそんなことを考えて逃避してたけど、真久部さんが先を続けるから聞かざるを得ない。

「下手な介入は怪我の元といいますがね。さすがの家神様の力は、呪物も、この世ならぬ金魚をも凌ぎ、片方を押さえつけ、片方を実体から切り離して安全な場所へ、本物の金魚の泳ぐ池に逃がした──んだと思います。多分ね」

だから、皿は(・・)蔵から出ていないんです、と、にこりと笑ってみせるから、俺はもうそれで納得するしかなかった。

「……見えないものの逃走? は許せないのに、呪物からの呪いが出ていくのは構わないんでしょうか、蔵は」

今度はそんなことが気になった。金魚(・・)は出て行ったかもしれないけど、実体というか棲み家の皿は残ってるのに、何でダメなんだ、蔵。

「声は通しますからねぇ。それと同じ扱いなのかも」

「……」

そういえば俺、蔵の内と外で水無瀬さんと会話はしたっけな。

「呪物を人にたとえてみれば、呪いは声に当たるでしょう。声とは伝わるものですよ」

じゃあ金魚(・・)は何かというと、皿の一部、ということになるらしい。

「ほら、前に古い道具に育つ“(しょう)”の話をしたことがあるでしょう? ──だいたいその作られた()に習うものだけど」

「ああ……」

あるととても魅力的だけど、クセが強いかタチが悪いかすることのほうが多く、扱いが難しいというアレかぁ。とはいえ、無くなってしまうとその道具は我楽多に帰するため、骨董古道具を扱う人間として痛し痒しだとか、真久部さん前に言ってたっけ……思い出したくないからすっかり忘れてたけど。

「えっと、“(しょう)”っていうのは、いわゆる<中の人>的な感じ? でしたっけ?」

「そう。<中の人>が抜けた道具は、ガワだけの縫いぐるみみたいなものだとそのとき説明したと思いますが、それと同じことなんだよ」

「<中の人>が金魚で、それが勝手に出て行っちゃったから、蔵が怒った……?」

正解、というように、真久部さんは皮肉げに微笑んだ。

「人の出入りについては文句は言わないくせにねぇ──人間とモノは別けているらしい。違いの分かる(・・・・・・)蔵のようですよ……」

仮説だったので、一応実験もしてみましたけど、と続ける。──な、何の実験か聞かないでおこう。くわばらくわばら。

「──金魚(・・)の無断逃走に蔵が騒いだとして、実際には家宝の皿はそのままそこにあるわけだから、誰も泥棒ってことにはならないですよね?」

真夜中の派手な蔵の家鳴りに、すわ泥棒かとお祖父さんやお父さんが駆け付けたとしても、どこにも泥棒はいない。懲らしめられることを期待されてた<白波>の彼だって、叔父さんだって。

「それなのに、どうして叔父さんはいなくなちゃったんですか? ──水無瀬さんのお父さんは“泥棒製造機”とまで呼んで、蔵を忌み嫌ってらしたようですが」

何も盗んでないなら、叔父さんも逃げる必要はないはずだけど……。ん? もしかして。
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