第137話   鳴神月の護り刀 6

文字数 2,604文字

「ごちそうさまです。美味しかったです」

ふー、食った食った。スープはおかわりまでさせてもらった。時間が無くて、今朝は御茶漬け食べただけだったからなぁ。神埼の爺さん家でもコーヒーの他に塩せんべいとか出してくれたけど、職質のダメージが地味に効いてて、あんまり食べられなかった。

「お粗末さまです」

なんて言いながら、真久部さんは手早く空いた食器を片付けてしまった。この人も見かけによらず大食らいだよなぁ……。仕事柄、運動量は少ないだろうに、どこへ行っちゃうんだろう、摂取カロリー。

しかし、腹がくちくなると眠気が……。いかんいかん、欠伸をしている場合じゃない。俺は慈恩堂に飯を食いに来たんじゃなくてだな。

「食後のお茶をどうぞ」

ハッと気づいたら、目の前に湯気の立つ湯飲み茶碗。あれ? 俺って今、何を見てたんだろう。ふわふわひらひらした赤い尾びれの──。頬っぺたを触ってみる。なんかぴちゃんと水音が聞こえたような気がして……。

「何でも屋さん」

「はい?」

真久部さんが苦笑してる。

「それ、気にしなくていいですから。何でも屋さんのこと気に入ってるみたいですけど、熱い飲み物のあるところには基本近寄って来ないので」

「そ、そうなんですか」

気にしなくていいっていうなら、そうしよう。何のことかさっぱりわからないけど、慈恩堂ではそれが正解。──お茶、手に持っとこ。六月だけど涼しくて良かった。熱いお茶サイコー!

ひと口啜って、ふー、玄米茶もいいな~、とか暢気なことを考えてる場合じゃない。お礼を言う以外に、もうひとつ用件あるだろ、俺。

「あのー、真久部さん」

うーん、言いにくいな。言葉にすることで、不可解な不可思議をあんまり認めたくない……。

「何ですか?」

「あのですね……あ、そうそう! ここ、見てくださいよ」

俺は傷の消えた左手親指を見せた。うん、まずこれだよな。昨日はすごく心配させたみたいだし。

「昨夜、絆創膏を取り替えておこうと剥がしたときには、もう傷が消えてたんです」

「これは……」

真久部さんが珍しく驚いた顔をした。

「──僕もうっかりしてました。そうか、絆創膏……今日は貼ってなかったんですね」

意識を逸らさせられてたか……、なんて独りごちてる。その視線の先に、帳場机。そういえば、昨日はそこにあの麒麟の肥後守を仕舞っていたっけ。

「えっと。なんかよくわからないけど、治りが早かったみたいで。ちょっと……信じられないくらい早いですけど。でも、そういえば昔読んだ漫画で──」

手塚治虫の『ブラック・ジャック』だったかな。超凄腕の研ぎ師に研いでもらったメスの切れ味があんまり鋭くて、木の実を切ってすぐ元のようにくっつけたら、そのまま何事もなかったかのようにくっついてしまった、っていうエピソード。

「あの肥後守の刃も凄かったから、それと同じような感じなのかなー、って思って」

あははー、なんて空笑いしてる俺、何で怪しい道具の肩持ってるんだろ。

「でね、そのう。今日はまた不思議なことがあって」

「──もしかして、夢にでも現れてしまいましたか?」

そこまで**を溜め込んでいたか、いつの間に、と真久部さんの表情が険しくなる。こういう時の一部聞こえない言葉? はどうせ聞いても聞こえないので、スルーすることにする。

「いや、そうじゃなくて。あのですね、ちょっと確認してもらいたいんです。あの肥後守、まだこの店の(・・・・・・)中にありますか(・・・・・・・)?」

「……」

真久部さんはつと立ち上がると、帳場机の前に行き、抽斗を開けた。戻ってきたその手の上に、つい数時間前、俺のウエストポーチの中に紛れ込んでいたはずの、あの肥後守。柄に彫られた麒麟のうろこがきらりと光る。

「はー……」

それを目にした俺は、思いっきり溜息をついていた。安堵のためか、恐怖のあまりか、自分でもよくわからない。……取り敢えず、無くなったりしてなくて良かった。

「何があったんですか?」

難しい顔で肥後守を睨みながら、真久部さんが訊ねてくる。

「えっとですね。神崎さんのお宅に行く途中のことなんですけど──」

俺は今日あったことを話した。

「通りかかったお巡りさんに職質受けて、あー、これは銃刀法違反で引っ張られるやつだー、と諦めの境地でいたのに、お巡りさん何も言わなくて。変だなぁ、と思って神崎さんちでポーチの中を見てみたんですよ。そしたら、さっき確かに使ったはずの肥後守がどこにも見当たらないんです。俺としてはまるで狐にでもつままれたような気分で……。神崎さんは、猫がくわえて行ったんじゃないかって笑ってましたけど」

猫の恩返し──。そういうことにして片付けておきたい気持ちはやまやまだけどさぁ。

「でもほら、これって骨董的価値がある品だって、真久部さんからも聞いてたし。もし仕舞った場所からどこかへ消えて行方不明、ってことになったらどうしようと思って……」

じっと聞いていた真久部さんは、はぁ、と重い息を吐いた。

「──仮にそうなっても、何でも屋さんは何も悪くないですよ」

悪いのはこっちです、と麒麟の鼻のあたりを指で弾く。

「昨日に引き続き……ちょっと悪戯が過ぎるようですね。こうなったらもう、明日にでも伯父に来てもらって、伯父お気に入りのアレに**を喰わせたほうが──」

ぶつぶつ呟く真久部さん。眼がマジだ……。

アレ、というのは、丑の刻参りにヘビーローテーションされていたという、不吉極まりない桜の樹から作られた鯉のループタイのことだ。とても性質が悪いものらしいけど、真久部さんが言うには、いつかは龍に成ろうと頑張っている、らしい。そのためには、古道具の中に育ったよろしくない何か(・・)をたくさん食べることが必要で……。

「……」

燻し銀のくせに、やたらとツヤツヤピカピカしていた麒麟が、しゅんと元気を無くしたように見えた。思わずごしごしと眼を擦る。

「どうしました?」

「いや、なんか柄の麒麟が泣いてるみたいに……」

たすけてー、とか聞こえてきそう……って、俺、大丈夫か?

「──そういえば、その手もあるか……」

肥後守と俺を交互に見ていた真久部さんが、何かを考えるようにゆっくりと呟いた。
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