第124話 鳴神月の呪物 15

文字数 2,250文字

「わからないですけど」

と真久部はゆるく腕を組んで、なんとなく床の間を見やる。掛け軸の中の蟇蛙のぎょろりとした眼と眼が合ったが、スルーした。

「事前に刀剣を扱ってる店を避けさせているところが、なんだか気になるんです」

その顧客は、この近くにある店はもう自分で探したと、何でも屋さんにはそう言ったんですよね、と真久部は確認する。

「件のせどり屋が、刀の神社の御祓いで助かったということを考えると、そこに繋がりが見えるような……」

「“糸”だけに、刃物があると切れやすい、とか?」

「いや、ただの刃物ではたぶん太刀打ちできないでしょう。先に挙げた二軒の店舗は、この業界ではどちらも名刀を抱えていることで有名です。知らない人でも見ただけでもわかるというか、圧倒されるというか──あれほどの名刀なら、自分を大切に扱ってくれる店に妙な“糸”をくっつけた人が来たら、即座にその禍々しい“糸”を斬って捨てるくらいのことするだろうなぁ……」

「……」

人外同士の攻防を想像したら怖かったのか、こちんと固まってしまった彼に、もしそんなことがあっても普通の人の眼には見えませんよ、大丈夫、とフォローを入れておく。古い道具は侮ってはいけないが、怖がりすぎてもダメなのだ。

「じゃあ、それを避けるために……?」

俺がその店に近づかないよう誘導したってことですか、と彼が正解にたどりついたので、真久部は頷いてみせた。

「近隣にリサイクル品、中古品、骨董古道具を扱う店はいくつもありますが、その二軒を除くと、かの“糸”を切れるほどの刀剣のたぐいを置いている店は無いに等しいでしょう。──うちにもまあ、実はこんなものがあるんですけど」

思いついてつと立ち上がり、真久部は帳場の抽斗の中から折り畳み式ナイフを出してきて彼に見せた。

「あれ? なんか鞘の部分が豪華だけど──、これって肥後守(ひごのかみ)ですよね?」

懐かしそうに手に取ると、彼は明かりに透かして表裏を見た。子供の頃、弟と一緒に鉛筆や竹ひごの削り方を父から教えてもらったものですよ、と刃を固定するチキリ部分に親指を掛けてゆっくり開き、真久部がたまに研いで椿油を塗り、手入れをしている銀色の刃を眺めている。

「でもこれ、俺の知ってる肥後守よりすごく切れそう……。日本刀みたいな刃紋がはっきり出てますね」

明治時代の鍛造品ですから、と真久部は答える。

「かつ鞘の彫刻が凝っているので、古道具というより骨董的な価値があるんですが……、実はそいつ(・・・)、本当は太刀になりたかったらしくて、作られたばかりの頃から『木だの竹だの削ってられるか』とやたら自尊心が高く、凧でも作ろうと小さな細工に使おうものなら必ず血をみる──というわけで、売り払われ、あちこち人手を渡り歩いて今うち(慈恩堂)にあるわけですが、やっぱりどうにも売り物にならないんですよ」

「……」

子供の頃の思い出に、和みかけていたらしい彼の顔がゆっくりと強張る。ぎこちなく刃を戻して、ちゃぶ台の上にそっと置くのをやれやれと見ていたが、その横にぽたりと落ちた赤いものに気づき、真久部は慌てた。

「何でも屋さん!」

「へ?」

帳場の隅から救急箱を引っ張り出すと、箱ティッシュも抱えてぼーっと座ったままの彼のところに急ぎ、その左手を掴む。親指の先が深く切れ、血が滴っていた。

「え? え?」

いつの間に? ととまどう彼にかまわず、乱暴に引き出したティッシュで傷口を押さえ、止血する。ある程度治まったところで、救急箱から取り出した消毒液を吹きつけ、綿棒で傷薬を塗る。最後にていねいに絆創膏を貼りつけて、真久部はようやく落ち着くことができた。

「すみません、まさかこんなことになるとは……」

失敗した、と項垂れる真久部に、まだ分かっていない彼が声を掛けてくる。

「いや、その……俺が不注意だっただけなんで、そんなに落ち込まなくても。子供じゃないんだし……。でも何でだろう、全然気づかなかったです。今も痛くないし──俺、本当にこの肥後守で手、切ったのかな……?」

最後のほうを自信なさげに呟いて、不思議そうに絆創膏を見つめる彼は、真久部が黙々とコンビニ袋に片付けている、真っ赤な血の滲みたティッシュに視線を移してギョッとしている。

「……」

傍らに転がった箱ティッシュから一枚取り、ちゃぶ台の上にぽつんと落ちたままだった自分の血をもそもそと拭って、本当に切れてたんですね、と呟いた。

「どんくさいことしたなぁ……うかつでした。子供の頃父にも言われたんですよ、刃をしまうときこそ気をつけなさいって。あの時は弟が切ってたけど、今度は俺かぁ……」

でも、本当に痛みを感じないんだけど、どうしてだろう、としきりに首を傾げているのが、真久部にはとても申しわけなかった。

「いえ……うかつだったのは僕です。何でも屋さんはこういうのに強い(・・)から、これくらい大丈夫だと思ったのが……」

真久部は彼に畳まれたままの肥後守を見た。鞘に彫られた麒麟が、してやったりという顔をしているように見えて腹が立つ。まさかここまで妖刀化しているとは。今度叔父が訪ねてきたら、叔父の連れているペット(・・・)(しょう)を喰わせてやろう、そう心に強く誓う。

「──僕のミスです……その怪我は、君の過失じゃない。こいつがやったんですよ……こいつがわざと君の指を切ったんだ」
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