第107話 お地蔵様もたまには怒る 26

文字数 2,922文字

これ、言っちゃっていいのかなぁ、と思いながら続けようとした時、帳場の電話が鳴ってびくっとした。
 
 リーン ジリリリーン

ベルの音が、レトロだ……。慈恩堂では未だにダイヤル式黒電話なんだよな。昭和のドラマみたい。何となく見つめていると、ふぅっ、と息を吐いた真久部さんが、俺にすみませんと断ってから受話器を取る。

「もしもし? ……昨日の今日でよく電話して来れますね? 何です?、もううちには来ないでくれますか──」

相手は伯父さん、かな? 真久部さん、本当に出入禁止にするつもりなんだ。

「そんな声出しても知りません……え? ええ、いらっしゃいますけど……え? ちょ、何でも屋さんにも予定が……何言ってるんですか、うちの店番お願いするのに、僕がいつもどんなに気を遣ってると……ダメです! 取り次ぎませんからね! ……ダ・メ・で・す! 昨日もいきなりあんな仕事押し付けたくせに、何を……」

何だろ、会話の内容が不穏……。俺に関係、あるの? 聞き耳立てなくても聞こえるから困る……。話もだいたい終わったし、帰ろっかなー。いや、でもな……。

悩んでいると、目の端で高貴なティースタンド様がキラリと光った。銀色が眩しい──ええ、そうですね、まだ食べてないケーキがありますよね……。ほうれん草のキッシュとか、玉葱とチーズ入りのしょっぱいマフィンとかも──。

アフタヌーン・ティーに饗された豪勢なお菓子を前に心惑わす俺をよそに、真久部さんが電話の向こうにきつい口調で訴えてる。

「もう! 何でも屋さんは伯父さんの専属じゃないんですからね! ご近所でも人気……え? だから、お金積んでもダメ! そういう仕事は障りがあったり返り(・・)があったり……ご本人の護りが強いからって、何です? 利用しちゃダメでしょう!……」

「……」

やっぱり帰ろ。そう思って立ち上がりかけた時、間の悪いことに俺の携帯にも着信が。電話越しのバトルに背を向けて出てみると、午後から話し相手に行く予定の小野寺のご隠居からだった。なんでも、急な来客があったらしい。

──昔の友人がいきなり訪ねてきてねぇ……。申しわけないです。

キャンセルかぁ。

「いえ、大丈夫ですよ。……ええ。それじゃあまた。別の機会にでもまた声を掛けてくださいね。……はい……はい、では」

通話を切る。と、溜息を吐く暇もなく、メールが。お? グレートデンの伝さんの飼い主、吉井さんからだ。なになに、今日は伝さん連れて海に出掛けてるから、そこで沢山走らせてくる? そっか、夕方の散歩はキャンセルかぁ。いっぱい運動出来るのは伝さんもうれしいだろうけど……この寒いのに海? あー、そういえば、アウトドア好きな自由業の知り合いがいるって聞いたことあったっけ……。

吉井さんに了解の返事をしつつ、ふと思う。重なるキャンセル。これ、昨日と同じような……? 

おっと、またメール。ん? ラブラドール・レトリーバーの愛ちゃんも夕方散歩キャンセル? 今日は飼い主さんが早く帰れるようになった、と。あ、また電話。──久野さんちの悠里くん、お母さんの弟さんが出張のついでに泊まりにくることになったから、今夜の塾はお休み、と。悠里くん、叔父さん大好きだもんな、そっか、塾の送り迎えしなくてよくなっちゃったなぁ……。

……
……

何だろう、この感じ。どれも良いことがあってのキャンセルだ。病気とか事故とか、トラブル絡みじゃない。それはいい。すごくいいんだ。だけど、どうしてか妙な予感がする。

携帯を握り締めてうーんと考え込んでいると、あっちでも電話が終わったらしい。カチャ、と受話器を置く音がする。

「何でも屋さん」

呼ばれて振り返ると、座った眼をした真久部さん。

「な、何ですか?」

思わず腰が引けてしまう。妙な迫力が──。

「出かけましょう」

「へ?」

いきなりどうしたの?

「……どこへ?」

「そうだね……、ボーリングとか?」

「何でボーリング──」

「今はそれしか思いつかない。早く、用意してください!」

訳の分からぬまま、勝手知ったる慈恩堂、台所に走ってサ○ンラップを取ってきた。アンティーク・ティースタンド様から皿を取り外し、食べられなかったお菓子たちに詫びながらラップを掛ける。

「どうしたんですか、真久部さん。こんな、いきなり──」

らしくないですよ、と言う前に、バタバタと閉店作業をしながら真久部さんが言った。

「何でも屋さん。今日の午後からの仕事、全部キャンセルになったんじゃありませんか?」

「え? は、はい」

「昨日もそうだったでしょう?」

「どうして……」

知ってるんですか? と口にする前に。

「伯父が来ますよ」

「え?」

「宝具を返しがてら、何でも屋さんを連れて手妻地蔵様のところへ行きたいそうです」

「そんなこと、いきなり言われても……」

予定が、って。そうだよ、午後からまるまる開いちゃったんだよ!

「いや、でも遠いでしょう? 今から出たら今日中に帰れない──」

「例の迷い家の主も協力してくれるから大丈夫、らしいです」

「……」

そんな、何処でもドアみたいな使い方していいもんなんだろうか、迷い家。

「でもね、こちらも大丈夫。対策しましたから」

そう言って店舗入り口を示す。一番にそっちのドアを開けに行ったのは、そのためだったのか。

「うっかり繋げられたら困りますからね。さあ、出かけましょう」

怖いことを言われて硬直する俺を尻目に、着替える暇が無い、と呟いた真久部さんは和服の上にざっとコートを羽織った。促され、店の外に出る。……寒い。

取り敢えず駅まで行くことになった。俺はもう帰って寝たかったんだけど、「何でも屋さんは絶対に伯父に捕まって、口車に乗せられるはず」って止められてさ……。そう言われると、自信が無い……。真久部さんが今日は店仕舞いしちゃったのも、俺のためだろうと思うと申しわけなくて溜息が出る。

……
……

伯父さんもさあ……いくら甥っ子に構ってほしいからって、これはどうなの? 俺を理由に全力でからかいにきてるでしょ? 巻き込まないでくださいよ。通り雨どころか、集中豪雨だよ、全く。

隣を歩く真久部さんの顔をちらりと見ると、唇をぐっと結んでへの字にしてる。ああ、いつもの読めない笑みを浮かべる余裕は無いのか。せっかくの男前が……。

……
……

言えない。俺には言えない。伯父さんが真久部さんを構いにくる、その一番大きいであろう理由を。

──甥をいじるのが、楽しくてしょうがないように見えますよ。

なんて。
真久部さんにはとても言えないよ!

「……」

思わず目頭が熱くなり、ふと眼を逸らす。駅はもうすぐだ。駅裏の慈恩堂からちょっと歩いてガード下を潜り、駅前広場に出る途中の、五階建ての雑居ビル。その一階、並んだテナント。

ゆらゆらと、赤い暖簾。あれは──。

「ま、真久部さん! チンとんシャンが、開いてる!」

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