第319話 彼岸花の向こうに おまけ 1
文字数 2,207文字
「執着していると、物事、却って上手くいかないものですよ」
機嫌の良い猫のように目を細め、真久部さんが言う。
古美術雑貨取扱店慈恩堂の店内は、いつもと変わらぬ独特な雰囲気に満ちて、急須と茶壷がてらてらといぶし銀の鈍い輝きを競い、陶器の大黒様がこれ見よがしに小槌を振り上げれば、木彫りの恵比須様が釣り竿と釣果を見せびらかせ、お調子者の古時計たちはいつものようにてんでに時を刻んで──。
……ッチッ…………チ………………チ……
…………ッ…………
ツ…………チッ……ツチッ……ツ…………チッ……
ヂー……ヂヂ…………
……今日の古時計たちは、何だか元気が無い。よくわからないけど、俺が来る前に何かあったらしい。
気にしたくないのに彼らが気になる俺の、微妙な表情に気づいているのか、いないのか、いつもの帳場横の畳エリア、ちゃぶ台の前から一番近い古時計をじっと見つめながら、真久部さんは続ける。
「たとえば、時計も同じだよ。時を刻む事に執着しすぎる時計などは、周りを見ずに 自分勝手な時を創り出しがちだ。また、そういうのに感化されるのがいたりして、一時、相乗効果で店の時間が酷いことに──ああ、」
せっかくだから、この話聞きます? とたずねられ、俺は慌てて首を横に振る。頼まれて店番の仕事しに来ただけなのに、聞きたくなんかないよ、怪しい古道具屋における、怪しい時計たちの店内限定時間革命未遂なんて。
断固拒否の俺の姿勢に、一応つまらなさそうな顔をしてみせてから、怪しい店の怪しい店主は、何事もなかったかのようにさっきの話に戻る。
「何でも屋さんがご両親に会えたのは、執着してはいないからでしょう。運も良かったのかもしれないね」
「執着……」
今でも会いたいと思うけど、それはまた違う感情なのかな。たずねてみると、真久部さんは「感情の処理の問題だと思いますよ」と、わかるようでわからない返事を返してきた。
「阿加井さんは、あの世の影であり、この世の影だって──」
何でこんな話になっているかというと、このあいだのあの出来事について、俺が真久部さんに訊ねてみたからなんだ。彼岸花の見せた夢のような、あれは一体何だったのかって。やっぱり、どうしても気になるし──、阿加井さんちの仕事を紹介してくれた真久部さんなら、何か知ってるかと思ってさ。
「影ですか」
照明が暗いわけでもないのに、薄暗いというか、仄明るいというか、そんな店内の、いたるところに古い道具たちの影が落ちている。その一部が形を変えようとしているような、眩暈のような錯覚を起こしかけていると、店主がちらりとそちらに眼をくれて、影はぴたりと動かなくなる。
「影には必ず本体がある──。ご両親が確かにこの世に生きていらしたということだよ、何でも屋さん。あなたという息子が存在するんだから、それが一番確かなことだけど」
「……つまり、元から存在しないならば、あの世にもこの世にも影が無い、っていうことですか?」
何となく聞いてしまう。
「そういうことだねぇ。──存在という言葉の定義によるけれど」
にっこりと、古猫の笑み。胡散臭い。どういう意味ですか、と俺がたずねることを期待してるみたいだけど、俺は乗らない。だって話がややこしく──。
「まあ、そこらへんを突くとややこしいから、今日のところは止めておきますよ」
珍しくそんなことを言いながら、新しいお茶と、お菓子を勧めてくれる。今日のお茶請けは大きなリーフパイ。美味しそうだけど、彼岸花の件が気になって、あんまり食べる気がしない──。そんな俺に読めない笑みを向けつつ、止めておく理由を教えてくれる。
「何でも屋さん、まだお悩みのようだから。でも、あまり気にしないほうがいいですよ。あの阿加井家の彼岸花は特別なんだよ。何でも屋さんも、彼岸花が救荒植物だということを知っているでしょう?」
きゅうこう……? 急行とか、休耕じゃなくて、えっと──。
「飢饉のとき、食べるものがなくて藁をもつかむ気持ちで手を出すという、有毒なやつのことでしたっけ」
「そうそう。地面の下の球根を掘り出し、擂って潰して、水に晒して毒を抜いて──通常の何倍も手間を掛けないと、口に入れることのできない本当の非常食。彼岸花の根は球根というか、百合根のような、玉葱のような、そんな形をしているそうだよ。毒があろうと、食べられそうには見えるんでしょうね」
僕も見たことはありませんがね、と真久部さんは言う。
「飢饉や食糧不足のときにしか出番の無いものだから、現代の僕たちが見ずにいられるのは幸せなことなんでしょう。旱魃や冷害、水害、地震、地震による水源移動……かつては色々あったようです」
「……」
現代でも台風や大雨で酷い災害が起こるんだから、もっと昔はもっと酷かっただろうなぁ……。
「阿加井家は、昭和初期まではあのあたり一帯の大地主だったそうで、代々の当主は災害が起こるたび、被災した村の人たちのために様々な対策を行ったとか。災害が起こると、一番に困るのは食料。そのために年貢を納めた後の残りの米や、その他雑穀、芋、豆などを備蓄してはいたけれど、それすら尽きることがある──。そういうときの備えとしての、庭の彼岸花だったそうです。備えというか、ただ生えるままに放置していたというか……他の作物が不作のときでも彼岸花は変わらず生えてくるから、飢饉に対する最終防衛ラインのようなものだったんだろうね」
機嫌の良い猫のように目を細め、真久部さんが言う。
古美術雑貨取扱店慈恩堂の店内は、いつもと変わらぬ独特な雰囲気に満ちて、急須と茶壷がてらてらといぶし銀の鈍い輝きを競い、陶器の大黒様がこれ見よがしに小槌を振り上げれば、木彫りの恵比須様が釣り竿と釣果を見せびらかせ、お調子者の古時計たちはいつものようにてんでに時を刻んで──。
……ッチッ…………チ………………チ……
…………ッ…………
ツ…………チッ……ツチッ……ツ…………チッ……
ヂー……ヂヂ…………
……今日の古時計たちは、何だか元気が無い。よくわからないけど、俺が来る前に何かあったらしい。
気にしたくないのに彼らが気になる俺の、微妙な表情に気づいているのか、いないのか、いつもの帳場横の畳エリア、ちゃぶ台の前から一番近い古時計をじっと見つめながら、真久部さんは続ける。
「たとえば、時計も同じだよ。時を刻む事に執着しすぎる時計などは、周りを
せっかくだから、この話聞きます? とたずねられ、俺は慌てて首を横に振る。頼まれて店番の仕事しに来ただけなのに、聞きたくなんかないよ、怪しい古道具屋における、怪しい時計たちの店内限定時間革命未遂なんて。
断固拒否の俺の姿勢に、一応つまらなさそうな顔をしてみせてから、怪しい店の怪しい店主は、何事もなかったかのようにさっきの話に戻る。
「何でも屋さんがご両親に会えたのは、執着してはいないからでしょう。運も良かったのかもしれないね」
「執着……」
今でも会いたいと思うけど、それはまた違う感情なのかな。たずねてみると、真久部さんは「感情の処理の問題だと思いますよ」と、わかるようでわからない返事を返してきた。
「阿加井さんは、あの世の影であり、この世の影だって──」
何でこんな話になっているかというと、このあいだのあの出来事について、俺が真久部さんに訊ねてみたからなんだ。彼岸花の見せた夢のような、あれは一体何だったのかって。やっぱり、どうしても気になるし──、阿加井さんちの仕事を紹介してくれた真久部さんなら、何か知ってるかと思ってさ。
「影ですか」
照明が暗いわけでもないのに、薄暗いというか、仄明るいというか、そんな店内の、いたるところに古い道具たちの影が落ちている。その一部が形を変えようとしているような、眩暈のような錯覚を起こしかけていると、店主がちらりとそちらに眼をくれて、影はぴたりと動かなくなる。
「影には必ず本体がある──。ご両親が確かにこの世に生きていらしたということだよ、何でも屋さん。あなたという息子が存在するんだから、それが一番確かなことだけど」
「……つまり、元から存在しないならば、あの世にもこの世にも影が無い、っていうことですか?」
何となく聞いてしまう。
「そういうことだねぇ。──存在という言葉の定義によるけれど」
にっこりと、古猫の笑み。胡散臭い。どういう意味ですか、と俺がたずねることを期待してるみたいだけど、俺は乗らない。だって話がややこしく──。
「まあ、そこらへんを突くとややこしいから、今日のところは止めておきますよ」
珍しくそんなことを言いながら、新しいお茶と、お菓子を勧めてくれる。今日のお茶請けは大きなリーフパイ。美味しそうだけど、彼岸花の件が気になって、あんまり食べる気がしない──。そんな俺に読めない笑みを向けつつ、止めておく理由を教えてくれる。
「何でも屋さん、まだお悩みのようだから。でも、あまり気にしないほうがいいですよ。あの阿加井家の彼岸花は特別なんだよ。何でも屋さんも、彼岸花が救荒植物だということを知っているでしょう?」
きゅうこう……? 急行とか、休耕じゃなくて、えっと──。
「飢饉のとき、食べるものがなくて藁をもつかむ気持ちで手を出すという、有毒なやつのことでしたっけ」
「そうそう。地面の下の球根を掘り出し、擂って潰して、水に晒して毒を抜いて──通常の何倍も手間を掛けないと、口に入れることのできない本当の非常食。彼岸花の根は球根というか、百合根のような、玉葱のような、そんな形をしているそうだよ。毒があろうと、食べられそうには見えるんでしょうね」
僕も見たことはありませんがね、と真久部さんは言う。
「飢饉や食糧不足のときにしか出番の無いものだから、現代の僕たちが見ずにいられるのは幸せなことなんでしょう。旱魃や冷害、水害、地震、地震による水源移動……かつては色々あったようです」
「……」
現代でも台風や大雨で酷い災害が起こるんだから、もっと昔はもっと酷かっただろうなぁ……。
「阿加井家は、昭和初期まではあのあたり一帯の大地主だったそうで、代々の当主は災害が起こるたび、被災した村の人たちのために様々な対策を行ったとか。災害が起こると、一番に困るのは食料。そのために年貢を納めた後の残りの米や、その他雑穀、芋、豆などを備蓄してはいたけれど、それすら尽きることがある──。そういうときの備えとしての、庭の彼岸花だったそうです。備えというか、ただ生えるままに放置していたというか……他の作物が不作のときでも彼岸花は変わらず生えてくるから、飢饉に対する最終防衛ラインのようなものだったんだろうね」