第348話 番外編 猫の霊媒師 前編

文字数 2,091文字

「きっと仔猫は、きみにありがとうって言いたかったんだよ、何でも屋さん。白い猫は、そうだねぇ……人間にもいるんだから、猫にいても不思議じゃないかなぁ」






吾は猫である。名前はあったが、忘れてしまった。

吾はもと、とあるイタコの飼い猫であった。イタコが恐山に赴くのは年にほんの数回だが、この者は能力が高く、故にその名に<恐山の>と冠され、畏れられた存在であった。常の住処(すみか)は陸奥の国のどこかであり、吾の母猫はその辺りの家の居付き猫であったそうだ。ある日、母猫が吾を咥えてイタコの住処を訪い、託していったのだとも、捨てていったのだともいうが、定かではない。

イタコというとインチキだ、ただの思い込みだと今では蔑まれておるが、昔は違った。死者の声、祖霊の声を求め、多くの者が吾の飼い主の許にやってきた。既に高齢ではあったが、飼い主は良く死者の声を聞き、失せもの、人探し、縁談の良否や、依頼者の人間関係の仲裁までも成していた。

吾は恐山にこそ付いていかなかったものの、それ以外は常に飼い主とともにいた。飼い主は盲目であったが、身の回りのことを全て己でなし、吾の世話をもしてくれた。口寄せの礼にと、寄越されたという新鮮な魚も吾に与えてくれた。良い飼い主であった。

吾は飼い主の祓詞を聞き、オシラ祭文を聞いて育った。独特の抑揚に興味を惹かれ、囲炉裏の端で微睡みながら無意識に尻尾で板の間を打っていたものだ。そんなある日、吾が飼い主の仕事道具の梓弓にじゃれつき、面白半分で弦を(はじ)いていると、何かが来た。何なのかはわからん。ただ、本当に何かが来たのだ。

すると、血相を変えた飼い主がやってきた。吾の目には見えぬが、飼い主の盲目の目には見えたのであろう。飼い主は吾から梓弓を取り上げ、仕事のときのように細い竹棒で麻の弦を叩き始めた。それから祓詞を唱える。しばらくして、何かは消えた。いなくなった。

飼い主は深い溜息をつき、吾を引き寄せ、抱き上げた。どうやら吾には力があるらしい。だから修行をせよと命じられた。吾はただの猫だというのに、どうしてかこのとき、飼い主の言う言葉の意味をはっきりと理解できた。

これまでにもまして、吾は飼い主の傍に侍った。そして経文を聞き、祭文に声を合わせ、尻尾で板の間を打った。飼い主の神寄せの経文を聞きながらのオシラ遊ばせは、上手だと褒められた。オシラ様とは二体一対の小さな人形で、簡単にいえば家の神である。それを、飼い主は吾のために猫の形で作ってくれたのだ。

ちょいちょいと猫のオシラ様と遊んでいると、吾はいつの間にか踊っているという。そのときに何か鳴いて、まるで人のように猫の言葉で何かを語るのだとか。飼い主だけはその鳴き声の意味を解し、託宣として人に聞かせていた。

吾に下りる霊は人のものではなく、猫であった。猫はあちこちの家で主にネズミ捕りとして飼われ、生きて、死ぬ。死んだ猫が吾に憑依し、そのものが見聞きしたことを語り、飼われた家の心配事を教えるのだ。人の目にわからぬことも、猫にはわかることがある。

その家の幼子の咳が止まらぬのは、寝床の枕元の違い棚の奥に鼠の巣穴があるからだとか、屋根の瓦がズレているから、そのうち雨漏りがして、大事に飼っているお蚕様に害があるぞとか、吾に寄り付いた猫の言葉を、飼い主がその家のものに伝えてくれたのだ。

初めは「猫のイタコ擬きなぞ」と馬鹿にしていた者どもも、吾の白い毛色が、己のかつての飼い猫のものになるのを見て、怖れ慄き腰を抜かしていた。そして、けして猫を虐めたりなどしない、と固く誓って帰っていったという。元の飼い主を心配して吾の口を借りにくるのは、飼われて有り難い、と思った猫だけだ。当たり前のことであろう。

やがて、吾の飼い主たるイタコも死すべきときがきた。床に就いていた飼い主は、「オラは死ねば、お山さいぐ。おめぇさは根子岳にいって、今度は猫の修行さするだ」と言い、吾のオシラ様を上等な風呂敷に包んで吾の背に括りつけてくれた。そうしてから、満足そうに息を引き取った。

吾は鳴いた。泣いた。飼い主の魂は、恐山へ飛んで行ってしまった。

吾の泣き声を訝しんでやってきた隣家のものが村長を呼び、飼い主の葬式を取り仕切ってくれた。埋葬までを見届けて、吾は根子岳を目指した。根子岳は肥後の国の阿蘇五岳のひとつで、猫の本山である。吾のような猫は、いつかはそこに行って修行をしなければならぬと、飼い主から常々教えられていたのだ。

吾は旅をした。長い長い旅の果てに辿り着いたときには、吾は生身の身体を無くしておった。だというのに、いまも吾は元のものと同じ身を持っている。それは、吾の口寄せに身が必要だからであろう。飼い主の作ってくれた猫のオシラ様は、いつの間にか吾の魂に同化していた。意識をすればいつでも遊ばせることができる。

根子岳で、修行の傍ら吾は多くの猫の口寄せをした。母者に会いたい、きょうだいに会いたい。猫も人と変わらぬ。根子岳に住まう猫の王はそんな吾らを面白げに見ておった。猫の王は時折お山を下りて人の世をも見回っているようであった。王の縄張りであったのだろう。
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