第14話 後日談 3
文字数 2,965文字
「私の代では、男ばかりの五人兄弟でして」
「はぁ……」
「次男、三男、四男は年子で、五男だけが少々年が離れているのですが、これが子供の頃、家の中でちょくちょく姿が見えなくなることがありまして」
「え……自分でどこかに隠れてたとかではなしに?」
これだけ大きな家なんだから、どっかその辺の納戸にでも潜り込んだら大人にはなかなか見つけられないんじゃないだろうか。
「まだ這い這いしてる頃からのことですから」
そう答えると、百日紅氏はなんとも言えない微苦笑をその顔に浮かべた。
うーん、這えば立て、立てば歩めの親心、とはいうものの、這い這いからいきなりかくれんぼでは、あまりにも飛躍しすぎて親兄弟も心配するわな。
「あー、その……でも、すぐまた見つかるんですよね?」
「はい、ありがたいことに。怪我するわけでもなく、熱を出すでもなく、姿を消す前と全く変わりない姿で」
「はぁ……」
「毎回、いつの間にか元いた部屋に戻っているので、探していた私たちはホッとするやら驚くやらでへとへとになるんですが、本人はいつもとてもご機嫌で、赤ん坊の頃など、両手両足をばたばたさせて、きゃっきゃっと笑っていたものです」
「まあ、あの、その。なんにせよ、弟さん、無事で良かったですね」
俺は引きつった顔に何とか笑みを乗せ、そう言った。それしかコメントのしようがなかった。そんな苦し紛れの言葉だったけど百日紅氏は頷いてくれて、俺は内心で胸を撫で下ろした。つ、疲れる……。
「あの子がしゃべれるようになった頃、訊ねてみたんです。いつも、一人でどこへ行ってるのかと。そうしたらあの子は答えました」
いったん、言葉を切る百日紅氏。その表情は、何とも言えず複雑だった。
「ともだちと遊んでいたのだと。この家には、双子の男の子がいて、いつもその子たちが自分を誘いに来るのだと」
でも、そんな子供はいるはずもないし、末の弟以外、誰も見たことが無いんですよ、と百日紅氏は言った。
それにしても……古い家に、姿の見えない子供。まるで……。
「何だか、座敷童子みたいなお話ですね」
「そう、なんでしょうか……昔、先代に、つまり父に聞いた話では、私の曾祖母にも見えていたそうです」
「え……ひいお祖母さん?」
「はい。分家から婿を取ってこの家を継いだ人です。一人娘だったとか。この曾祖母も、神隠しのように姿が見えなくなったと思うと、また何事もなくどこからともなく現れて、家のものを驚かせたといいます」
「それは、やっぱり、そのひいお祖母さん以外の誰にも見えない子供が二人、誘いに来たとか……?」
オカルトな想像に怯えつつ訊ねてみると、百日紅氏はあっさり頷いた。
「だいたいは双子の男の子が遊びに誘いに来たといいますが、時には、二匹の仔犬の姿でも曾祖母の元に遊びに来たそうです」
「仔犬……」
「末の弟は、成人する頃には見えなくなってしまったようですが、曾祖母には終生その子たちの姿が見えていたといいます。曾祖母は、不思議な双子は当家の屋敷神を守る狛犬の化身なのだと言っていたそうです」
狛犬。狛犬の化身。
「アルファと、オメガ……」
無意識に呟いた俺に、百日紅氏は少し驚いたようだった。
「何故、当家の狛犬の呼び名を知ってるんですか?」
その言葉に、俺の方が驚いた。
「え? こちらの狛犬の名前、本当に<アルファ>と<オメガ>っていうんですか? <阿>と<吽>を外国語でいうと、そうなるんだとは教わりましたけど」
「元は聖書の言葉らしいので、ヘブライ語、になるんでしょうか? 私も詳しくは知らないのですが。確か、ヨハネの黙示録に出てくると聞いたことがあります」
「何だか……ハイカラ? ですね。でも、はじめからその名前だったわけじゃないんでしょう?」
百日紅氏は苦笑した。
「もちろん。元は名前なんて無かったはずです。呼んだにしても、せいぜし<狛犬>か、<阿形><吽形>くらいでしょう。当家の目録にもそうとしか載っていません」
「じゃあ、誰がそんな名前を付けたんですか?」
「曾祖母が名づけたと、私は聞いています。子供の頃から手当たり次第に本を読む人だったそうですが、読んだ本の中にきっと聖書もあったんでしょう。曾祖母はもちろんキリスト教徒というわけではなく、<阿吽>の意味と、<アルファとオメガ>の意味が一致すると考えたんじゃないだろうか、と私は思っています」
実際、同じですよね、と百日紅氏は言った。
彼の話を聞いていて、急に疑問が湧いてきた。聞くのが怖いような気もするが、曖昧なまま置いておくのも精神衛生上悪い気がする。ので、思い切って訊ねてみた。
「あのう……もしかしたら、<阿形>の<アルファ>の方がお兄ちゃんだったりします?」
兄ちゃんは、いっつも口開けててぼんやりさん。
あの子はそう言ってたっけ。この五月、<悪い人に攫われたお兄ちゃん>を探しに、慈恩堂に現れたあの子。
「あなたは……」
言葉を失ったように、百日紅氏は俺の顔をまじまじと見つめる。
「もしかして、当家の狛犬の化身に会ったことがあるんですか?」
ストレートに訊ねられて、俺は答えに詰まった。
だってさ。何て言えばいい? あの時のことはどういうふうに解釈すればいいのか、自分でも分からないし。
だいたい、後から考えれば考えるほど、色々、ほんっとうに色々、辻褄が合わないんだよな。何だか、慈恩堂店主にくるくるくるっと言いくるめられてしまっただけのような気がする……。
でも! 俺は深く考えるのを止めてたんだ!
だって、怖いし……触らぬ神に祟りなし、って言うし。
──あなたは大丈夫でしょ、多分。あっちから触りにくることはあるかもしれないけど、まあ……、大丈夫だと思います、よ?
ふと、店主の言葉が脳裡に甦る。
触らなかったら祟りもないって信じてたのに、「あっちから触りにくる」ってどういう意味なんだ? あああ、やっぱり考えたくない!
「そ、そんなことはないですよ。やだなぁ。ははは……」
ふと気づいたら、そんな言葉を口にしていた。
「こちらのお屋敷に伺うの、今日が初めてですし。えっと、本当に<アルファ>の方がお兄ちゃんになるんですか? いやー、<阿吽>というくらいだから、どっちが兄で弟かといったら、<阿>の方が兄かなー、なんて思っただけなんですよ。あはは……」
笑う声が、我ながら白々しい。
そして、嘘くさい。
「……そうでしたか」
百日紅氏は、そう答えただけだった。でも、俺を見るその目が疑ってる。疑ってるよ。でも、負けない。ボクはこの瞳で嘘をつくんだ!
……
……
「えーと、狛犬の<阿形><吽形>って、どこのでも皆<兄と弟>なんでしょうかね? そうだとしたら、面白いなぁ」
微妙な無言状態に耐えがたくなって、俺はついそんなことを口走っていた。にらめっこに負けた気分だった。
「そういうわけでもないらしいです。当家の狛犬の場合は、曾祖母が直接そのように告げられたので、仲の良い兄弟なのだということになっているんですよ」
CHAGE&ASKA……
「はぁ……」
「次男、三男、四男は年子で、五男だけが少々年が離れているのですが、これが子供の頃、家の中でちょくちょく姿が見えなくなることがありまして」
「え……自分でどこかに隠れてたとかではなしに?」
これだけ大きな家なんだから、どっかその辺の納戸にでも潜り込んだら大人にはなかなか見つけられないんじゃないだろうか。
「まだ這い這いしてる頃からのことですから」
そう答えると、百日紅氏はなんとも言えない微苦笑をその顔に浮かべた。
うーん、這えば立て、立てば歩めの親心、とはいうものの、這い這いからいきなりかくれんぼでは、あまりにも飛躍しすぎて親兄弟も心配するわな。
「あー、その……でも、すぐまた見つかるんですよね?」
「はい、ありがたいことに。怪我するわけでもなく、熱を出すでもなく、姿を消す前と全く変わりない姿で」
「はぁ……」
「毎回、いつの間にか元いた部屋に戻っているので、探していた私たちはホッとするやら驚くやらでへとへとになるんですが、本人はいつもとてもご機嫌で、赤ん坊の頃など、両手両足をばたばたさせて、きゃっきゃっと笑っていたものです」
「まあ、あの、その。なんにせよ、弟さん、無事で良かったですね」
俺は引きつった顔に何とか笑みを乗せ、そう言った。それしかコメントのしようがなかった。そんな苦し紛れの言葉だったけど百日紅氏は頷いてくれて、俺は内心で胸を撫で下ろした。つ、疲れる……。
「あの子がしゃべれるようになった頃、訊ねてみたんです。いつも、一人でどこへ行ってるのかと。そうしたらあの子は答えました」
いったん、言葉を切る百日紅氏。その表情は、何とも言えず複雑だった。
「ともだちと遊んでいたのだと。この家には、双子の男の子がいて、いつもその子たちが自分を誘いに来るのだと」
でも、そんな子供はいるはずもないし、末の弟以外、誰も見たことが無いんですよ、と百日紅氏は言った。
それにしても……古い家に、姿の見えない子供。まるで……。
「何だか、座敷童子みたいなお話ですね」
「そう、なんでしょうか……昔、先代に、つまり父に聞いた話では、私の曾祖母にも見えていたそうです」
「え……ひいお祖母さん?」
「はい。分家から婿を取ってこの家を継いだ人です。一人娘だったとか。この曾祖母も、神隠しのように姿が見えなくなったと思うと、また何事もなくどこからともなく現れて、家のものを驚かせたといいます」
「それは、やっぱり、そのひいお祖母さん以外の誰にも見えない子供が二人、誘いに来たとか……?」
オカルトな想像に怯えつつ訊ねてみると、百日紅氏はあっさり頷いた。
「だいたいは双子の男の子が遊びに誘いに来たといいますが、時には、二匹の仔犬の姿でも曾祖母の元に遊びに来たそうです」
「仔犬……」
「末の弟は、成人する頃には見えなくなってしまったようですが、曾祖母には終生その子たちの姿が見えていたといいます。曾祖母は、不思議な双子は当家の屋敷神を守る狛犬の化身なのだと言っていたそうです」
狛犬。狛犬の化身。
「アルファと、オメガ……」
無意識に呟いた俺に、百日紅氏は少し驚いたようだった。
「何故、当家の狛犬の呼び名を知ってるんですか?」
その言葉に、俺の方が驚いた。
「え? こちらの狛犬の名前、本当に<アルファ>と<オメガ>っていうんですか? <阿>と<吽>を外国語でいうと、そうなるんだとは教わりましたけど」
「元は聖書の言葉らしいので、ヘブライ語、になるんでしょうか? 私も詳しくは知らないのですが。確か、ヨハネの黙示録に出てくると聞いたことがあります」
「何だか……ハイカラ? ですね。でも、はじめからその名前だったわけじゃないんでしょう?」
百日紅氏は苦笑した。
「もちろん。元は名前なんて無かったはずです。呼んだにしても、せいぜし<狛犬>か、<阿形><吽形>くらいでしょう。当家の目録にもそうとしか載っていません」
「じゃあ、誰がそんな名前を付けたんですか?」
「曾祖母が名づけたと、私は聞いています。子供の頃から手当たり次第に本を読む人だったそうですが、読んだ本の中にきっと聖書もあったんでしょう。曾祖母はもちろんキリスト教徒というわけではなく、<阿吽>の意味と、<アルファとオメガ>の意味が一致すると考えたんじゃないだろうか、と私は思っています」
実際、同じですよね、と百日紅氏は言った。
彼の話を聞いていて、急に疑問が湧いてきた。聞くのが怖いような気もするが、曖昧なまま置いておくのも精神衛生上悪い気がする。ので、思い切って訊ねてみた。
「あのう……もしかしたら、<阿形>の<アルファ>の方がお兄ちゃんだったりします?」
兄ちゃんは、いっつも口開けててぼんやりさん。
あの子はそう言ってたっけ。この五月、<悪い人に攫われたお兄ちゃん>を探しに、慈恩堂に現れたあの子。
「あなたは……」
言葉を失ったように、百日紅氏は俺の顔をまじまじと見つめる。
「もしかして、当家の狛犬の化身に会ったことがあるんですか?」
ストレートに訊ねられて、俺は答えに詰まった。
だってさ。何て言えばいい? あの時のことはどういうふうに解釈すればいいのか、自分でも分からないし。
だいたい、後から考えれば考えるほど、色々、ほんっとうに色々、辻褄が合わないんだよな。何だか、慈恩堂店主にくるくるくるっと言いくるめられてしまっただけのような気がする……。
でも! 俺は深く考えるのを止めてたんだ!
だって、怖いし……触らぬ神に祟りなし、って言うし。
──あなたは大丈夫でしょ、多分。あっちから触りにくることはあるかもしれないけど、まあ……、大丈夫だと思います、よ?
ふと、店主の言葉が脳裡に甦る。
触らなかったら祟りもないって信じてたのに、「あっちから触りにくる」ってどういう意味なんだ? あああ、やっぱり考えたくない!
「そ、そんなことはないですよ。やだなぁ。ははは……」
ふと気づいたら、そんな言葉を口にしていた。
「こちらのお屋敷に伺うの、今日が初めてですし。えっと、本当に<アルファ>の方がお兄ちゃんになるんですか? いやー、<阿吽>というくらいだから、どっちが兄で弟かといったら、<阿>の方が兄かなー、なんて思っただけなんですよ。あはは……」
笑う声が、我ながら白々しい。
そして、嘘くさい。
「……そうでしたか」
百日紅氏は、そう答えただけだった。でも、俺を見るその目が疑ってる。疑ってるよ。でも、負けない。ボクはこの瞳で嘘をつくんだ!
……
……
「えーと、狛犬の<阿形><吽形>って、どこのでも皆<兄と弟>なんでしょうかね? そうだとしたら、面白いなぁ」
微妙な無言状態に耐えがたくなって、俺はついそんなことを口走っていた。にらめっこに負けた気分だった。
「そういうわけでもないらしいです。当家の狛犬の場合は、曾祖母が直接そのように告げられたので、仲の良い兄弟なのだということになっているんですよ」
CHAGE&ASKA……