第63話 秋の夜長のお月さま 1

文字数 2,070文字

「月が、きれいだなぁ……」

思わず、溜息混じりの声がもれる。

いや、だってさ。本当にきれいなんだ、月が。文字通り、「月がきれい」。かの文学者ならば、この言葉の奥に人を恋ふる深い思いをこめるかもしれないが、俺にはそんな高尚なことは出来ない。

夜空にただひとつ、ぽっかり浮かんだ丸い月。ただそれだけを見上げて歩く。てくてく、てくてく。

……もう、足が疲れた。

かれこれもう一時間以上歩いてるっていうのに、周りの景色が一向に変わらないってどういうことだ?

 さわさわ……
 さわさわ……

立ち止まると、穏やかな風が頬を撫でていく。歩き続けて火照った身体に気持ちいい。俺は、さっきも見掛けたような気がする道端の石に座って、休憩することにした。

──りーりーりー
──ちんちろちんちろちんちろりん

あー、秋の虫が鳴いてる。いい音色だ。

──ガチャガチャ ガチャガチャ
  ガチャ ガチャチャチャ

……うん、クツワムシも秋の虫だもんな。風情がこわれ、いやいや、元気があってよろしい。

──りーりーりー
──ちんちろちんちろ
──ガチャガチャガチャ

虫たちの微妙なハーモニーに耳を傾けながら、俺はまた月を見上げた。そもそも、何でこんなことになったのか。

「やっぱ、あれかな……」

独りごちる。

今、こんなところを歩いているのは、そもそも古美術雑貨取扱店、慈恩堂店主から届け物を頼まれたからで……

俺は肩から斜め掛けにしたままの鞄を意識した。店主から預かったものだ。この中に何が入ってるのか、店主は教えてくれなかった。

ただ、

──決して中を覗いたりしてはいけませんよ。え? どうしてかって? そういうものでしょ、こういうのって。

そういうもので、こういうのって、何だ? 意味分からん。

ただ、そう言った時の店主の嘘臭い笑みが何だか怖くって、俺は結局理由を聞くことが出来なかった。小心者と呼ばば呼べ! ……世の中には、知らなくていいことが沢山あるんだ。ある程度のトシになったら、自然に分かってくることさ。ふっ……!

ま、慈恩堂に関することに多いんだけどな、そういうのって。

見るな、と言われたものをわざわざ見る趣味のない俺は、「今回は大したことはないだろうけど、念の為にね」と言って渡された紙袋を、ウエストポーチから取り出した。……にしても、「今回は」ってどういうことだ、「今回は」って。

……
……

深く考えるのはよそう。

「えーと、中身は何かな!」

我ながらわざとらしいと思いつつも、元気よく声に出しながら紙袋の口を開ける。……そして無言になった。

袋の中には、

壱.煙草
弐.小さい透明ジプロックに入った塩と思しきもの
参.ワンカップ酒

が、入ってた。ワンカップ酒……どうりで、ごつごつしてると思ったぜ。

ってゆーか。煙草、塩、酒。これで何をしろと? ん? 底のほうに何か紙切れが入ってる。

「んー、何々──」

さすが骨董屋というか(鑑定書みたいなものも書くことがあるらしい)、えらく達筆で書かれた文章を読む。

──これを読んでいるということは、道に迷っていますね。

うん、その通りだけど……。っていうか、何で知ってるんだ? まさか、いわゆる「計画通り(ニヤリ)」とか? いやいやいや、それはちょっと、っていうか、怖いよ慈恩堂店主!

──別にそれを企んだわけではないので、あらぬ誤解はしないでください。

そ、そうなのか?

──単に、予想された事態のひとつに過ぎません。

いや、そういうことなら事前に注意しておいてくれよ。

──先に話しておかなかったのは、何事もなく終わる可能性もあったからです。“知らない”方が安全な場合の方が大きいですから。

どういうことだよ、それは。

──ただ、今宵は満月。やっぱり“引っ張られて”しまったようですね。気をつけてください。下手するとそこから出られなくなります。

「……」

俺はもはや、内心で突っ込むことも出来なかった。

しょうがないので続きを読む。

──ですから、これから言う通りにしてください。馬鹿らしいなどと思ってはいけません。

へえへえ、分かりましたよ。馬鹿らしいなんて思う余裕はありません。だってさ、どんだけ同じとこばっかりぐるぐる歩いてんだよ。

──まず、煙草を吸ってみてください。理由など考えてはいけません。

煙草って……俺、吸わないからライターとか持ってないんだけど。って、袋の底にマッチ箱入ってる。用意周到だなぁ、慈恩堂店主。

指示の通り、俺は煙草(何故か<ゴールデンバット>)の箱から一本取り出し、レトロなマッチで火を点けた。吸わないけど、このトシだ、吸い方くらい知ってる。でもふかすだけだけどな。咽るし。

明るい満月の光の下、白っぽい煙が静かに立ち昇る。うーん、不味い! もう一本! などとは当然思うはずもなく、ただぼんやりと煙の消えていく先を見つめる。

丸い月が、揺らいだような気がした。
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