第315話 彼岸花の向こうに 1
文字数 2,012文字
ある日突然、現れる。
その、鮮烈な赤。
喩えるなら、夜空に咲いた花火が散る寸前に散らした火花。くっきりとしていながら、気づけば闇に散り溶ける。美しさを否定されることはなく、むしろ賞賛されるのだけど。
「綺麗ではあるよ」
どうしてだかそれだけでは済まされない、この花、彼岸花。
「でも、陰気なんだよねぇ」
そう言って、阿加井さんは溜息を吐く。
「どう思う? 何でも屋さん」
「いや、まあ……」
聞かれた俺も、同意見ではある。だけど。
「この花が咲くと、ああ、秋だなぁ、って思います」
うん、秋を彩る花だよ。昼間はまだまだ暑くても、朝晩涼しくなってきたし。
「そうだね。だけど私は……好きじゃないんだよ。血みたいな色でさ。本当は根っ子っていうか、球根ごと掘り返してしまいたいんだけど、ね」
家を建て替えても、これだけは手を付けるな、って昔から言われてるんだよ……と、また阿加井さんは溜息を吐く。
「何か理由があるんですか?」
訊ねてみつつも、思う。ケバくて陰気だけど(言っちゃった……! でも心の中だからいいだろう)、とても綺麗な花だから、観賞用に置いておけってことなのかも? 手を掛けるどころか、放置してても、忘れていても毎年咲くし、ここのお庭みたいに群生してると、見事というほかはない。
「どうだろうね……今では、もうよくわからないんだ。ただそのように伝わってるだけで」
阿加井さんは何故だか歯切れが悪い。
「家伝、ってやつなんですね!」
だけど、俺はそれで納得する。旧いお家みたいだものなぁ。家屋こそ近代のものになってるけど、この敷地自体にこう、歴史というか、伝統の重みを感じる。どこがどう、って説明はしにくいんだけど、しっとりと湿った庭の土や、端の方に生えてる庭木、さりげなく置かれた庭石も苔むしていて、よく見れば枯山水のような趣もある。
その庭の一隅に。
「何にしても、圧巻ですね、この眺め。彼岸花畑というか、曼殊沙華畑」
お花畑、というには可愛すぎるかもしれないけど──これはお花畑だよな。
「枯れるときは溶け崩れるように枯れていくから、死人花の異称がよく似合う」
「……」
彼岸花には曼殊沙華のほかにも、死人花だの、幽霊花なんて名前もあったっけ。聞いたことがある。
「あはは。見た人の見たように見えるのかもしれませんね」
枯れ尾花が幽霊に見えたりもするし。俺だって、葛の花のシルエットがお地蔵様に見えたことも……。
「見た人の見たように見える、か……。何でも屋さん、なかなか良いことを言うね」
「そ、そうですか? ありがとうございます! あはは。──俺は今日は、あっちの四阿 の周りの草むしりをすれば良いんですね? あと、屋根の上の落ち葉なんかを払っておけば」
阿加井家では毎年この時期になると来客があって、ここでお茶のもてなしをするのだという。この仕事、慈恩堂の真久部さんの紹介だけど、ああいう商売をしていると、どこか住む世界の違うような、こういう人たちとのおつき合いも大切なんだろうな。
「梯子は言ったとおり、向こうの物置の中にあるからね。じゃあ、頼みましたよ、何でも屋さん。わからないことがあったら、私はあちらの縁側のある部屋にいるので、声を掛けてください」
「はい!」
よし! と気合を入れて軍手を嵌め、草をむしるためにしゃがむと、阿加井さんは何故かまだそこにいて、躊躇うように言葉を継いだ。
「もし……もしあの彼岸花の向こうに何かが見えたとしても、決してそちらに行ってはいけません」
「え?」
思いもかけない言葉に驚いて顔を上げると、阿加井さんは既にこちらに背を向けて、母屋に去って行くところだった。
「……」
意味もわからず、見送った背中。揺れる赤につられ、しゃがんだ姿勢で見る彼岸花畑は、まるで夕焼けの空のよう。風に揺れて、海のように果てなくも思える──。だけど俺は知っている。花畑の向こうは、ただの透垣 だってこと。普通より心持ち大き目の隙間から見えるのは遠くの山で、借景のひとつの形式なのかな、と俺は思っている。
そう、山! ごく普通の住宅地なのに、ここのお家のこの透垣の方向だけ、地形の関係で山が見えるんだ。
だからさ、そんなとこに見えるのなんか、鴉か、野良猫くらいじゃないか? 別に珍しくもなんとも……、そんなことを考えながら草むしりに没頭するうちに、謎めいた言葉のこともすっかり忘れてしまった。
「……さん、何でも屋さん」
「え?」
呼ばれて顔を上げると、そこには母屋に戻ったはずの阿加井さん。
「一日早く客が来てしまってね。これだけきれいにしてもらったら、もういいよ。屋根の落ち葉は、また後日」
「そうなんですか。わかりました」
軽く手を払って立ち上がり、腰を伸ばしながらふと見やると、群れ咲く彼岸花たちが午後の陽射しの中で揺れている。こうして見ると、そう陰気でもない。ただ、葉の無い大きな花だけがたくさん咲いている姿は、まるで異世界の光景のようで、ちょっと不思議な感じがするけれど。
その、鮮烈な赤。
喩えるなら、夜空に咲いた花火が散る寸前に散らした火花。くっきりとしていながら、気づけば闇に散り溶ける。美しさを否定されることはなく、むしろ賞賛されるのだけど。
「綺麗ではあるよ」
どうしてだかそれだけでは済まされない、この花、彼岸花。
「でも、陰気なんだよねぇ」
そう言って、阿加井さんは溜息を吐く。
「どう思う? 何でも屋さん」
「いや、まあ……」
聞かれた俺も、同意見ではある。だけど。
「この花が咲くと、ああ、秋だなぁ、って思います」
うん、秋を彩る花だよ。昼間はまだまだ暑くても、朝晩涼しくなってきたし。
「そうだね。だけど私は……好きじゃないんだよ。血みたいな色でさ。本当は根っ子っていうか、球根ごと掘り返してしまいたいんだけど、ね」
家を建て替えても、これだけは手を付けるな、って昔から言われてるんだよ……と、また阿加井さんは溜息を吐く。
「何か理由があるんですか?」
訊ねてみつつも、思う。ケバくて陰気だけど(言っちゃった……! でも心の中だからいいだろう)、とても綺麗な花だから、観賞用に置いておけってことなのかも? 手を掛けるどころか、放置してても、忘れていても毎年咲くし、ここのお庭みたいに群生してると、見事というほかはない。
「どうだろうね……今では、もうよくわからないんだ。ただそのように伝わってるだけで」
阿加井さんは何故だか歯切れが悪い。
「家伝、ってやつなんですね!」
だけど、俺はそれで納得する。旧いお家みたいだものなぁ。家屋こそ近代のものになってるけど、この敷地自体にこう、歴史というか、伝統の重みを感じる。どこがどう、って説明はしにくいんだけど、しっとりと湿った庭の土や、端の方に生えてる庭木、さりげなく置かれた庭石も苔むしていて、よく見れば枯山水のような趣もある。
その庭の一隅に。
「何にしても、圧巻ですね、この眺め。彼岸花畑というか、曼殊沙華畑」
お花畑、というには可愛すぎるかもしれないけど──これはお花畑だよな。
「枯れるときは溶け崩れるように枯れていくから、死人花の異称がよく似合う」
「……」
彼岸花には曼殊沙華のほかにも、死人花だの、幽霊花なんて名前もあったっけ。聞いたことがある。
「あはは。見た人の見たように見えるのかもしれませんね」
枯れ尾花が幽霊に見えたりもするし。俺だって、葛の花のシルエットがお地蔵様に見えたことも……。
「見た人の見たように見える、か……。何でも屋さん、なかなか良いことを言うね」
「そ、そうですか? ありがとうございます! あはは。──俺は今日は、あっちの
阿加井家では毎年この時期になると来客があって、ここでお茶のもてなしをするのだという。この仕事、慈恩堂の真久部さんの紹介だけど、ああいう商売をしていると、どこか住む世界の違うような、こういう人たちとのおつき合いも大切なんだろうな。
「梯子は言ったとおり、向こうの物置の中にあるからね。じゃあ、頼みましたよ、何でも屋さん。わからないことがあったら、私はあちらの縁側のある部屋にいるので、声を掛けてください」
「はい!」
よし! と気合を入れて軍手を嵌め、草をむしるためにしゃがむと、阿加井さんは何故かまだそこにいて、躊躇うように言葉を継いだ。
「もし……もしあの彼岸花の向こうに何かが見えたとしても、決してそちらに行ってはいけません」
「え?」
思いもかけない言葉に驚いて顔を上げると、阿加井さんは既にこちらに背を向けて、母屋に去って行くところだった。
「……」
意味もわからず、見送った背中。揺れる赤につられ、しゃがんだ姿勢で見る彼岸花畑は、まるで夕焼けの空のよう。風に揺れて、海のように果てなくも思える──。だけど俺は知っている。花畑の向こうは、ただの
そう、山! ごく普通の住宅地なのに、ここのお家のこの透垣の方向だけ、地形の関係で山が見えるんだ。
だからさ、そんなとこに見えるのなんか、鴉か、野良猫くらいじゃないか? 別に珍しくもなんとも……、そんなことを考えながら草むしりに没頭するうちに、謎めいた言葉のこともすっかり忘れてしまった。
「……さん、何でも屋さん」
「え?」
呼ばれて顔を上げると、そこには母屋に戻ったはずの阿加井さん。
「一日早く客が来てしまってね。これだけきれいにしてもらったら、もういいよ。屋根の落ち葉は、また後日」
「そうなんですか。わかりました」
軽く手を払って立ち上がり、腰を伸ばしながらふと見やると、群れ咲く彼岸花たちが午後の陽射しの中で揺れている。こうして見ると、そう陰気でもない。ただ、葉の無い大きな花だけがたくさん咲いている姿は、まるで異世界の光景のようで、ちょっと不思議な感じがするけれど。