第266話 あの戦争のとき、日本の神様たちも
文字数 2,243文字
それにしても、と俺は思う。結果だけ考えてみたら、これが最善だったのかもしれない──と思えてくるのが怖い。だってさ。
病弱だった水無瀬さんが丈夫になれたのも、頑健だったお父さんが兵隊に取られずに済み、尚且つ改めて 定められた寿命よりさらに長生きして戦後の水無瀬家を支えることができたのも、元はと言えば<白波>の彼が呪物を持ち込んでよけいなことをしたからで。
それがなければ、家には身体の弱い叔父さんが残されていた。労働力を当てにできない息子と、同じく虚弱な体質の孫 、その母である嫁を抱えて、お祖父さんは敗戦前後の大変な時代を保ち堪えることができたのか。──産後の肥立ちの良くなかったというお母さんは、戦争で夫を亡くして気力が保ったのか。
次の家長となるはずだった叔父さんは、長生きはしても、その身体の弱さでは水無瀬の家の田畑家屋敷の土地を切り売りして生きていくしかなかったんじゃないかと思う。そうなると今の、屋敷神の祠のあるあの家屋敷はどうなっていたんだろう──。
「はあ……」
考えたってわからない。禍福は糾 える縄の如しとか、人生万事塞翁が馬とか、こういうときに使う言葉だと思うけど──。
もしかしたら何か大きな流れがあって、それが個人ではなく水無瀬家を護るほうに動いていたんじゃないかとか、お祖父さんが蔵を利用したボランティアを思いついたのは本当に偶然だったのかとか、恐ろしい死に方をしたという<白波>の彼は、普段の身の行いがあったからこそういう役を振られたんじゃないかとか、色々、いろいろ考えてしまうとやっぱり怖くなってきて……。
……
……
いかんいかん、怖いの嫌いなのに何でそっち 方面に思考が行っちゃうんだ! 全ては気のせい気の迷い、そうに決まってる。だいたい、真久部さんがおかしなこと言うから……。
──あの戦争のとき、日本の神様たちもこの国を護るために動いてらっしゃったといいますよ。出陣した神様もあれば、後方を護る神様も、それらに専念する神様の普段の業務を分担して預かる神様もいてねぇ。結果、あちこち手薄になったり、逆に過剰になったり。
当時を憂えるように溜息を吐くから、そうか、あの頃は神様方も大変だったんだな、と思いながら聞いていたら。
──ちょっと気の荒い神様になると、自分の気 に引っかかるようなよろしくない行いをする者がいたら、こっちが忙しくしてるのに、よけいな手間を増やすな! とばかりにその者をその血族ごと無造作に掴んで行ったり、ちょっと怖いローカルな神様の中には、余所の国の人間ごときに殺されるくらいなら、自分の手で殺してくれるわ! という病んだ神様もいたりして──。
それが<白波>の彼の故郷を治める神様だったのかもしれませんねぇ、そう言って猫のように笑ったあの顔。地味でもよく見ると整って綺麗な顔だから、よけいに恐ろしく……。
……
……
くそー、真久部さんめ。怖がらせるつもりはないと言いながら、あの緩急つけた怪談トークはどうなんだ。無意識か? 無意識で“思い出し鳥肌”させるくらいの話をしてる自覚は──無いんだろうなぁ。真久部さんだもんなぁ……。
思わずでっかい溜息を吐いてしまった。
それは吐き出すそばから白くなって、すぐに薄れて消えていく。代わりに吸い込む息が冷たくて、べっくしょい! ──じっとしてるとさすがに身体が冷えてきたな。
「……」
ポケットティッシュから二、三枚取って洟をかみ、そういうゴミ専用にしてる密閉ポリ袋に仕舞っていると、母屋から俺を呼ぶ声がした。荷物が届いたのかなとそっちに向かって歩きかけると。
「おはようございます、何でも屋さん」
庭木の影から、さっき頭に思い描いたばかりの地味な男前。
「真久部さん?」
いかにも骨董屋っぽい、和装コート姿の真久部さん。あ、あの足元、ネルの柄物足袋だ。あれって実はハイソックスタイプらしいよ。ヒートテックみたいな足袋もあるらしくて、最近の和装小物も進化していてすごいなー……。
<無意識隙あらば怪談トーカー>を前に、つい現実逃避してしまいそうになりながらも、俺は何とか笑顔をで挨拶をする。
「おはようございます──。今日はお店は?」
うん。今日から水無瀬家の蔵整理を本格的に始めますね、っていう話はしたけど、そのときは真久部さんも来るとは言ってなかった。
まだ店を開ける時間じゃないけど、今ここにいるなら開店時間には確実に間に合わない。人と古い道具との縁を繋ぐ仕事をとても大切にしてる真久部さんが、店を休みにするのは珍しい。午後から開けるのかな?
「昨日から伯父が来ていましてね。帰ればいいのに何だかんだとゴネて泊まってしまったので、宿賃代わりに店番くらいしてもらおうかと」
俺の問いにそう答え、とってもいい笑顔でにぃーっこり笑う。──あれはたぶん、怒ってる顔だ。伯父さんに対して機嫌を悪くしてる。あんまり触れないでおこ……。
「そ、そうなんですか。えっと、もしかして手伝いに来てくださったんですか?」
あんなこと のあった後の初日だしなぁ。もう大丈夫ってことだけど、気にしてくれてるんだろうか。
ん? あれ? でもまだ聞いてないことがあったっけ。あの時、俺と水無瀬さんが蔵から飛び出したとき。二人して箱を持って出てたけど、あれは何だったんだろう。中身は灰皿と香炉だったけど、二人ともそんなもん持ち出す意識はなかったんだ。
そんなことを考えてちょっとぼーっとしたけど、真久部さんの声で我に返る。
「それもいいんですね。でも、今日は水無瀬さんにお届け物があって」
病弱だった水無瀬さんが丈夫になれたのも、頑健だったお父さんが兵隊に取られずに済み、尚且つ
それがなければ、家には身体の弱い叔父さんが残されていた。労働力を当てにできない息子と、同じく虚弱な体質の
次の家長となるはずだった叔父さんは、長生きはしても、その身体の弱さでは水無瀬の家の田畑家屋敷の土地を切り売りして生きていくしかなかったんじゃないかと思う。そうなると今の、屋敷神の祠のあるあの家屋敷はどうなっていたんだろう──。
「はあ……」
考えたってわからない。禍福は
もしかしたら何か大きな流れがあって、それが個人ではなく水無瀬家を護るほうに動いていたんじゃないかとか、お祖父さんが蔵を利用したボランティアを思いついたのは本当に偶然だったのかとか、恐ろしい死に方をしたという<白波>の彼は、普段の身の行いがあったからこそういう役を振られたんじゃないかとか、色々、いろいろ考えてしまうとやっぱり怖くなってきて……。
……
……
いかんいかん、怖いの嫌いなのに何で
──あの戦争のとき、日本の神様たちもこの国を護るために動いてらっしゃったといいますよ。出陣した神様もあれば、後方を護る神様も、それらに専念する神様の普段の業務を分担して預かる神様もいてねぇ。結果、あちこち手薄になったり、逆に過剰になったり。
当時を憂えるように溜息を吐くから、そうか、あの頃は神様方も大変だったんだな、と思いながら聞いていたら。
──ちょっと気の荒い神様になると、自分の
それが<白波>の彼の故郷を治める神様だったのかもしれませんねぇ、そう言って猫のように笑ったあの顔。地味でもよく見ると整って綺麗な顔だから、よけいに恐ろしく……。
……
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くそー、真久部さんめ。怖がらせるつもりはないと言いながら、あの緩急つけた怪談トークはどうなんだ。無意識か? 無意識で“思い出し鳥肌”させるくらいの話をしてる自覚は──無いんだろうなぁ。真久部さんだもんなぁ……。
思わずでっかい溜息を吐いてしまった。
それは吐き出すそばから白くなって、すぐに薄れて消えていく。代わりに吸い込む息が冷たくて、べっくしょい! ──じっとしてるとさすがに身体が冷えてきたな。
「……」
ポケットティッシュから二、三枚取って洟をかみ、そういうゴミ専用にしてる密閉ポリ袋に仕舞っていると、母屋から俺を呼ぶ声がした。荷物が届いたのかなとそっちに向かって歩きかけると。
「おはようございます、何でも屋さん」
庭木の影から、さっき頭に思い描いたばかりの地味な男前。
「真久部さん?」
いかにも骨董屋っぽい、和装コート姿の真久部さん。あ、あの足元、ネルの柄物足袋だ。あれって実はハイソックスタイプらしいよ。ヒートテックみたいな足袋もあるらしくて、最近の和装小物も進化していてすごいなー……。
<無意識隙あらば怪談トーカー>を前に、つい現実逃避してしまいそうになりながらも、俺は何とか笑顔をで挨拶をする。
「おはようございます──。今日はお店は?」
うん。今日から水無瀬家の蔵整理を本格的に始めますね、っていう話はしたけど、そのときは真久部さんも来るとは言ってなかった。
まだ店を開ける時間じゃないけど、今ここにいるなら開店時間には確実に間に合わない。人と古い道具との縁を繋ぐ仕事をとても大切にしてる真久部さんが、店を休みにするのは珍しい。午後から開けるのかな?
「昨日から伯父が来ていましてね。帰ればいいのに何だかんだとゴネて泊まってしまったので、宿賃代わりに店番くらいしてもらおうかと」
俺の問いにそう答え、とってもいい笑顔でにぃーっこり笑う。──あれはたぶん、怒ってる顔だ。伯父さんに対して機嫌を悪くしてる。あんまり触れないでおこ……。
「そ、そうなんですか。えっと、もしかして手伝いに来てくださったんですか?」
ん? あれ? でもまだ聞いてないことがあったっけ。あの時、俺と水無瀬さんが蔵から飛び出したとき。二人して箱を持って出てたけど、あれは何だったんだろう。中身は灰皿と香炉だったけど、二人ともそんなもん持ち出す意識はなかったんだ。
そんなことを考えてちょっとぼーっとしたけど、真久部さんの声で我に返る。
「それもいいんですね。でも、今日は水無瀬さんにお届け物があって」