第125話 鳴神月の呪物 16
文字数 1,735文字
「え!」
ようやく驚いた彼に、真久部は深々と頭を下げて謝罪した。
「君の取り扱いに全く問題はありませんでした……。君はきちんとていねいに刃を仕舞っていたよ、僕は見ていた。それなのに指が切れたのは、刃がわざと傷つけたからだ」
「わざと……」
「痛くないのは──名刀は触れただけで切れるが、切れたことにも気づかないほどだというでしょう? あれは本当のことなんだよ。あまりに薄くて鋭い刃は、水のように光のように自然に肉に馴染み、そのときにはもう切れている。痛みなど感じさせない。それと同じです」
小さくても刀と同じ製法で作られたものだし、錆びたり朽ちたりしないように定期的に手入れをしていたので、切れ味だけならその辺のナイフなんか比べ物になりません、と真久部は補足した。
「切れた瞬間が痛くないのはともかく──、後になっても何も感じないのはどうしてですか?」
まだ痛みを感じないです、と彼は絆創膏のついた左手を振る。
「大きな怪我とかだと、ショックで何も感じなかったりすることもあるそうですけど、俺、驚いたけど別にショックでもないし……ん?」
まさか、痛覚が麻痺させられてる? と焦ったのか彼は右手で左手を思いっきり抓り、あいたたた、と呻いていた。
「それは……一応悪意まではなかったということかな……」
こいつに、と真久部は澄ました顔で普通 を装う麒麟を横目で睨む。
「ちょっとびっくりさせたかっただけ、ということだったのかも。よほど上手く肉の目に沿って切ったんでしょうね。それか、たまには血を浴びたかったとか──」
「ひっ!」
彼が座布団を越えて後ずさる。当然の反応だな、と思いながら真久部は続ける。
「本人にとっては、ちょっとした悪戯、手品みたいな感じだったのかもしれないですね。まったく洒落になってませんが。いずれにせよタチが悪い──けれど、これほどタチが悪く、マイナスの方向に力の強いものでも、かの“糸”を切るには役不足なんですよ。あちらのほうがもっとタチが悪く力も強いので」
「……真久部さんは簡単に切っちゃいましたよね?」
背中を叩いただけで。と彼は後ずさったまま、問いかけるように真久部を見る。
「僕の場合は、明確な意思を持ち、そこにあることを知って、切るというよりも退けたんです。特別な力は無くても、分かっていればある程度は誰にでも出来ることだ。ですが、モノは違う」
「モノ?」
「ねえ、何でも屋さん。護るものがあるのと無いのと、どっちが強いと思います?」
厄介な肥後守をちゃぶ台の上から取って、元の抽斗に放り込みながら真久部はたずねた。
「え? そりゃ護るものがあるほうが……」
「それと同じことですよ。うちのあの肥後守には護るものが無い。でも“糸”を切る力のある名刀にはある。大切にされているので、店と店の主人、家族を護る守り刀になっているんです。同じ刃物でも、ただのモノである肥後守と、守り刀は全然違う」
「真久部さんも大切にしているみたいですけど……?」
あんなにていねいに手入れされてるのに、と言う彼に、真久部は首を振った。
「大切にされたら喜ぶ、感謝する。そんな素直な気持ちがあったら、あの肥後守はとっくにどこかの誰かのところで落ち着いていますよ。なまじ出来上がったときから力を持っていたため傲慢で、凝った彫刻をほどこされた美術品でもあるから大切に扱われて当然と思っているので、あんなのはただの阿呆ボンのロクデナシ、その辺の有象無象、破落戸 と大差ありません」
「あ、阿呆ぼん?」
「ええ。お坊ちゃまと戦場 の侍くらいの差がありますよ。たとえ同じくらいの力があったとしても、守り刀とは心構えが違う。心構えが違えば、強さも違ってくる」
守り刀は主を護るために常に感覚を研ぎ澄ませているので、主に害をなすものが近づけば、即座に斬り捨てます、と真久部はつけ加えた。
「でも、護りたいものなど何も無い、己が楽しい面白いことしかしない、ただのモノでしかないアレはぼんやりしている。だから純粋に力だけの勝負となります。力だけなら、アレは例の“糸”より弱いんですよ」
ようやく驚いた彼に、真久部は深々と頭を下げて謝罪した。
「君の取り扱いに全く問題はありませんでした……。君はきちんとていねいに刃を仕舞っていたよ、僕は見ていた。それなのに指が切れたのは、刃がわざと傷つけたからだ」
「わざと……」
「痛くないのは──名刀は触れただけで切れるが、切れたことにも気づかないほどだというでしょう? あれは本当のことなんだよ。あまりに薄くて鋭い刃は、水のように光のように自然に肉に馴染み、そのときにはもう切れている。痛みなど感じさせない。それと同じです」
小さくても刀と同じ製法で作られたものだし、錆びたり朽ちたりしないように定期的に手入れをしていたので、切れ味だけならその辺のナイフなんか比べ物になりません、と真久部は補足した。
「切れた瞬間が痛くないのはともかく──、後になっても何も感じないのはどうしてですか?」
まだ痛みを感じないです、と彼は絆創膏のついた左手を振る。
「大きな怪我とかだと、ショックで何も感じなかったりすることもあるそうですけど、俺、驚いたけど別にショックでもないし……ん?」
まさか、痛覚が麻痺させられてる? と焦ったのか彼は右手で左手を思いっきり抓り、あいたたた、と呻いていた。
「それは……一応悪意まではなかったということかな……」
こいつに、と真久部は澄ました顔で
「ちょっとびっくりさせたかっただけ、ということだったのかも。よほど上手く肉の目に沿って切ったんでしょうね。それか、たまには血を浴びたかったとか──」
「ひっ!」
彼が座布団を越えて後ずさる。当然の反応だな、と思いながら真久部は続ける。
「本人にとっては、ちょっとした悪戯、手品みたいな感じだったのかもしれないですね。まったく洒落になってませんが。いずれにせよタチが悪い──けれど、これほどタチが悪く、マイナスの方向に力の強いものでも、かの“糸”を切るには役不足なんですよ。あちらのほうがもっとタチが悪く力も強いので」
「……真久部さんは簡単に切っちゃいましたよね?」
背中を叩いただけで。と彼は後ずさったまま、問いかけるように真久部を見る。
「僕の場合は、明確な意思を持ち、そこにあることを知って、切るというよりも退けたんです。特別な力は無くても、分かっていればある程度は誰にでも出来ることだ。ですが、モノは違う」
「モノ?」
「ねえ、何でも屋さん。護るものがあるのと無いのと、どっちが強いと思います?」
厄介な肥後守をちゃぶ台の上から取って、元の抽斗に放り込みながら真久部はたずねた。
「え? そりゃ護るものがあるほうが……」
「それと同じことですよ。うちのあの肥後守には護るものが無い。でも“糸”を切る力のある名刀にはある。大切にされているので、店と店の主人、家族を護る守り刀になっているんです。同じ刃物でも、ただのモノである肥後守と、守り刀は全然違う」
「真久部さんも大切にしているみたいですけど……?」
あんなにていねいに手入れされてるのに、と言う彼に、真久部は首を振った。
「大切にされたら喜ぶ、感謝する。そんな素直な気持ちがあったら、あの肥後守はとっくにどこかの誰かのところで落ち着いていますよ。なまじ出来上がったときから力を持っていたため傲慢で、凝った彫刻をほどこされた美術品でもあるから大切に扱われて当然と思っているので、あんなのはただの阿呆ボンのロクデナシ、その辺の有象無象、
「あ、阿呆ぼん?」
「ええ。お坊ちゃまと
守り刀は主を護るために常に感覚を研ぎ澄ませているので、主に害をなすものが近づけば、即座に斬り捨てます、と真久部はつけ加えた。
「でも、護りたいものなど何も無い、己が楽しい面白いことしかしない、ただのモノでしかないアレはぼんやりしている。だから純粋に力だけの勝負となります。力だけなら、アレは例の“糸”より弱いんですよ」