第260話 死すべき運命

文字数 2,140文字

考え込んで重い頭にするっとそんな言葉が聞こえて、俺は顔を上げた。

意味がわからなくて、こっちをじっと見てる黒褐色と榛色(はしばみいろ)のオッドアイを見つめてみたけど、そこには曖昧な表情があるだけで答は見つからない。

「……」

誰であっても、名前がどうでも、弾丸飛び交う戦場に行けば常に命の危険があるはずだ。いつ死んだっておかしくない状況に身を置けば、誰であっても……だけどさ、絶対死ぬともいえないんじゃないか?

確かに、あの戦争の末期の頃なんて、生きて帰れる可能性のほうが低かったんじゃないかと思う。それでも、激戦地と言われたところから無事帰ってきた人はいるし、戦地に送られる前に戦争が終わった、なんて話も聞いたことがある。

水無瀬さんの叔父さんはどうやら帰ってこれなかったみたいだけど──。だからといって、何で真久部さんはそんなことを断言できるんだろう、必ず死ぬはずだったなんて。だいたい、叔父さんは“水無瀬紘一”としてではなく、叔父さん自身として、“水無瀬紘二”として出征していったんだろ? さっきそう言ったじゃないか。

「……どうしてですか?」

もしかしたら、何となく責めるような目になっていたのかもしれない。真久部さんはちょっと困ったように微妙な笑みをみせた。

「お祖父様の日記には、こう書いてありました。『紘二は紘一になると宣言した。其の時、有るとも気づかなかった影が紘一からなくなり、紘二にそれが移ったように見えた』──それは死の影だったんだと、僕は考えているんですよ」

死の影……?

「時々、そういうものが視える人がいるんだよ。いや、感じるのかな……。進んで危ないことをするわけでもないし、すこぶる健康そうに見える。なのに突然の事故に遭ったり、まさかと思う病で命を落とす。誰にでも起こり得ることだけど、中にはそれ(・・)が決まってしまっている人もいる、ようなんだ。そしてそういう人には、視える人には視える影が差す……」

運命とか言いたくないけどね、と苦そうに続ける。

「どういった巡り合わせなのか、どういった基準で決まるのか、それは誰にもわからない。けど、世の中には確かにそういうことはあるんだよ。──水無瀬さんのお祖父様は視えているときはわからず、それが長男から消えて次男に移ったときにようやく気づいたようだから、あまりはっきりとは視えていなかったんだろうけれど」

「──叔父さんはどうだったんですか? なんか、視えてそうな人ですけど……」

どうでしょうね、と真久部さんは首を傾げる。

「視えていたかもしれない。でも、家神様の力をもらうまでは見るからに病弱で、元気を装おうとしても無理があったし実際無理だったでしょうから、死ぬ危険性の高いところに兄が赴くのを──召集されるのを防ぐ術はなかったと思います」

「……」

「それにねぇ、僕はこう思うんだよ。仮に叔父さんが生まれつき健康な身体を持っていたとして、同じように兄の代わりに出征したとしても、叔父さんは無事に戦地から戻り、兄は内地で死ぬことになっていたんじゃないかと」

「な、何でですか?」

どっちのほうなら死んでもよかったとかそういう問題じゃないけど、どうしてそんなことになるのかわからない。

「──当時の水無瀬家の長男、つまり“水無瀬紘一”という存在は、その辺りの年齢で死ぬというのが決まっていたんじゃないかと思うんです、戦争とか関係なく……」

でなければ、叔父さんがわざわざ『自分は紘一に、兄になる』と宣言して、兄を紘二と、弟と呼んだ理由がわからない、と真久部さんは小さく溜息をつく。

「それはどういう……? え?」

俺にはもっとわからない。死ぬ運命と名前、それに何の関係があるんだろう?

「言ったでしょう? 叔父さんは長生きしたはずだったんじゃないかって。禁忌を破った犠牲として、それを失いはしたけれども」

「聞きましたけど……」

「つまり、叔父さんが何もしなければ(・・・・・・・)、水無瀬紘一も水無瀬紘二も、二人とも若くして死んでいたはずなんです。同時ではなく、何年かのズレはあっただろうけどね」

「……」

真久部さんの言ったことを、俺は考えてみた。

「えっ……と、紘一さんは元々寿命が短くて、紘二さんは元の寿命は長かったけど禁忌を破った代償にそれを失い……結果、二人ともその時点から近い将来に死んでしまっていたと、そういうことですか?」

「叔父さんが“自分が水無瀬紘一になる”と、宣言しなければね」

何とか捻りだした答は正解だったみたいだけど、やっぱり意味がわからない。

「僕の説明がややこしいのはわかってますよ」

地味な男前は困ったように微笑み、でも、知ってみれば至ってシンプルなことなんです、と言う。

「“水無瀬紘一”という存在には、国にとっての“水無瀬紘一”と、霊的──と言うのも何ですが、それ以外言いようもないので──、霊的な意味での“水無瀬紘一”の、二つの立場があったんです」

国にとっての“水無瀬紘一”は、一時的にでも健康な身体になった“水無瀬紘二”になら代替が可能だった、と続ける。軍隊生活に耐えうる肉体と精神を持つならば、紘一でも紘二でも、兄でも弟でもどちらでも良かったのだと。

「極論ですがね。けれど、霊的なほうは違う。紘一の代わりに紘二の命を持って行ってほしいと願っても、それは叶えられない」
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