第194話 寄木細工のオルゴール 32

文字数 2,282文字

  ──……!

真久部さんが何か言ってるのに、声が遠くて聞こえない。自分の手が俺の意思とは関係なしに動くのを、ただぼーっと見ている。

 カタ……カタ……キリ……

全身から血を滴らせた鬼女は、いつの間にか俺から離れていた。手に持ってるオルゴールが怖いのかな……? 忌々しげにこちらを睨んでるけど、今はそれも怖くない。──よく見ると服もズタボロ、靴も履いてない……よく歩いてこれたな、足が血だらけ……。細かいカールできれいに整えられていたはずの髪も、血でべったり汚れて張りついて……頭も割れてるみたい、髪の隙間から頭蓋骨らしき白いものと、その奥に……。

 カタッ……カタッ……キリ……キリ……

俺の手は、まるで機械のように迷うことなく仕掛けの板を動かし続けている。合間に聞こえるのは、何の音だろう。螺子の回転……?

 カタ……キリキリ……カタ……

俺も“声”を聞いちゃうのかな。嫌だなぁ、何で……清美さんがオルゴールを開けるのを止めなかったから? でもそれは、彼女が縁のある人だと思ったからで、悪縁も縁で……知ってたら止めてた……止められて、彼女は言うことを聞いただろうか……? 先代から何かを預かった真久部さんが、この中にその何かを隠してると思い込んでたみたいだし……。

 カタカタ……キリ……キ……カタッ……

……悪魔の証明に取り憑かれた人間は、自分の眼で中を確認するまで信じない。──見たのに、まだ信じず、信じられず、彼女は持ち主を疑うことを止められないようだった──。そんなふうだから“声”を聞くはめになったのに……その苛立ちを、本来自分に向けるべき怒りを俺に転化して、恨んでる……? だから鬼みたいになっちゃった……?

 カタッ……カタ……キリキ……リ……カタッ……

……そんなのは自分の心の問題で……ロミジュリは悲劇だけどさ、あれは敵同士の家が和解するなり、駆け落ちが上手くいくなりすれば、そうはならない道があった。だけど、何をしてもどうしても疑い続ける人は、譬えるなら出口のない穴の中にいるようなもので、そんな人をハッピーエンドに導く力を俺は持たない。いや、誰にだって無理だと思う……疑心暗鬼の逆恨みで、俺、こんな羽目になってるの……?

 カタ……カタリ……キリ……キリ……

頼むよ、俺の手、俺の指先。──“声”が聞こえる前に、途中で止めれば悪夢を見るだけで済む、はず。真久部さんがそう言ってた。あの人はこういうことで嘘は言わない。俺は真久部さんを信頼してる──。 

なのに、身体がいうことを聞いてくれない。手は、勝手に……。

 カタ……
 キリキリキリ……
 カタリ……カタリ……

ああ、わかる、もうすぐ蓋が開く……。

 カタ……キリ…………キ……リ…………
 
開けたくないのに……!

 カタン

ああ、開いた! 開けてしまった……。

──“声”!

不運で不幸(ハードラック)な運命を、悲惨な末路を告げる“声”が、きっと俺にも──。

「……!」

俺はせめて目を閉じようとした。目蓋も動かせないかも、と思ったが、ちゃんと視界に幕が降りて安心した。


♪~……


「ひっ!」

覚悟をしても、聞こえると怖い……


♪~♪♪♪♪~♪~♪~♪~♪~……


……あれ? “声”じゃない。オルゴールの、光が弾けるようなきれいな音。


♪~♪♪♪♪~♪~♪~♪~♪~♪♪♪♪~……


そっと目を開ける。六面どこを見ても同じ模様だったオルゴールの、一面が蓋になって開いている。中にはアンティークな鍵の頭みたいな螺子。ジーッというかすかな音とともに、巻き戻りながら曲を奏でている。


♪~♪♪♪♪~♪♪♪♪♪ ♪~♪♪♪♪~♪♪♪♪♪♪♪~♪♪♪♪♪♪♪~ ♪♪♪
♪~♪♪♪♪~♪~♪~♪~♪~♪♪♪♪~


……ゆったりとした波の音を繋いで、真珠のネックレスにしたみたいな。

そう、見渡す限りの遠い浜辺、彼方から規則的に寄せる白い波……繰り返し、寄せては引いて繰り返し、波が紡ぐ荘厳な調べ……大粒の真珠を繋いだみたいな……って、あれ? 俺、このオルゴールの曲を聞いた覚えがある。──今日、この慈恩堂で。

頭の中が混乱してる。なのに──。

「『歌を忘れたカナリヤ』じゃなかったっけ……?」

ゆっくり回転する螺子を凝視しながら、呟いたのはそんなことだった。

「『亡き王女のためのパヴァーヌ』」

「へ?」

聞き慣れた声に思わずふり返ると、膝をついた真久部さんが微妙な表情でこちらを見ていた。──いつの間にか身体が自由になっていて、俺はもう一度、へ? と気の抜けた声を出していた。

「──その曲の名前ですよ」

ちゃぶ台から落ちた茶碗や皿を片付ける音が、かちゃかちゃと響く。

「あ、うん……聞いたことあります……」

よく聞く曲だよな。有名な、クラシックの……。でも、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……。

「──きれいなメロディですよね。でも、オルゴールって、二曲も入ってるものでしたっけ?」

「大きいのでは、そういうのもありますよ」

片付け終えた真久部さんは言う。

「でも、僕はこのオルゴールでは『歌を忘れたカナリヤ』しか聞いたことがなかった……。何でも屋さんのお陰で、貴重な体験ができました」

「え?」

「何でも屋さんが開けたんでしょう? 正しい手順で」

「えっ?」

俺が?

「それに、このオルゴールの奏でる音には、どうやら魔を祓う力があったようだね」

ま? って、魔?

「蓋が開いて曲が聞こえたとたん、いなくなりましたよ、“清美さん”」

「え? あ、怪我の手当て!」

全身からぼたぼた血を垂らしていた清美さん。救急車呼ばなくちゃ! 本人いない。倒れてる? 慌てて立ち上がろうとすると、手遅れですよ、と真久部さんが言った。
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