第283話 魚持つなら魚招き

文字数 3,282文字

「そう、ですか……」

良かったなぁ、水無瀬家の招き猫──。いや、今はもう水無瀬家のじゃないし、魚持ってるヤツだったから、アイツのことは心の中で“魚招き猫”って呼んでおくか。

「こびりついた汚れが、ゆるゆると川の流れに洗い流されていったみたいな感じなのかなぁ……。だったら、元々の(しょう)、でしたっけ。それもきっと無くなってしまったんでしょうね。それこそ、成仏するみたいに」

水無瀬さんのお蔭で、さ。

(しょう)というのは、古い道具に育つ<何か>らしい。性質というか、性格というか、それがあると魅力的に見える()()

作られた時から既にあるものも稀にはあるらしいし、魚招き猫はそれなんだろうけど──人が好きという性質を捻じ曲げられ、好きなものを害する呪物としてあることに傷つき、苦しみ続けるくらいなら、愛され可愛がられた猫として、ゆるゆる消えていくほうが幸せだったかもしれないなぁ、なんて思ってしまった。

なのに。

「いえいえ、そんなことはありません」

怪しい笑みで、どこか楽しげに否定する真久部さん。

「……違うんですか?」

「ええ。アレから無くなったのは呪いの残滓だけで、(しょう)は残っています。──多少、変容はしましたが」

「へんよう……変容?」

どういうこと? 難しくて意味がわからない。
だいたい俺、この店にあるときもあんまり見ないようにしてたし、(しょう)があるとかないとか──。

「ほら、あの招き猫は、水無瀬家の家神様と家宝の皿の金魚の()に、触れたというか、やられちゃったわけじゃないですか」

「え、ええ」

前に説明された話を思い出しながら、うなずく。

確かアイツにとって、家宝の皿の金魚はそれまでアイツが喰らってきた()()たちとは勝手が違い、下手に手を出すこともできず、睨み合うしかなかった相手だし、家神様に至っては、目の前に顕れて早々、易々と抑え込まれて力を奪われ、長いあいだ見張られていて身動きすらできなかったんだよな。

「アレの性質は、招き猫だからもちろん猫。猫なんですが──何というか、参ってしまったんだよ、金魚に」

「へ?」

金魚に参る、猫?

「たとえば現実でも、獲ろうとした金魚に思いっきり水跳ねを飛ばされて、びしょ濡れになるなんてことが何度もあれば、猫だって近寄らなくなるでしょう? あるいは、うっかり耳の中に飛び込まれたりとか」

「……」

耳の中に飛び込みは滅多にないだろうけど、もしそんなことがあったら猫的にトラウマになるかもなぁ。あいつら耳弱いし。

「アレも、家神様に見張られているあいだ逃げたくても動けず、そのままずっと()を感じ続けていたせいか、もう降参という境地に至ったらしくて」

「うーん……つまり、絶対に逆らってはいけない相手と認めた、みたいな感じですか?」

「そうそう。実はすごく強い一般人にちょっかいかけて、コテンパンにやられて土下座するチンピラみたいなのいるでしょ? そういうのに近いんだと思うんです」

「はぁ」

招き猫が、チンピラ……? 俺の頭の中で、目つきの悪い猫耳不良少年が青年になったかと思うと、ちゃらくて趣味の悪いアロハシャツを着用してしまった。

「そのせいか、アレは水無瀬家の家神様のことを、兄貴と慕うように……」

「兄貴?」

なんでいきなりそんなことに。

「ほら。グレてはいるけど心根は腐っておらず、本当は堅気になりたい、とか思ってるようなの、いるでしょ?」

「……」

俺はなんとなく、元チンピラ、今はたこ焼き屋のおにーさんをやってるシンジのことを思い出した。あいつはグレるとかじゃなく、単に不器用だったからチンピラなんかやってたんだと思うんだけど……。元気かな、シンジ。昨日も駅前で元気にたこ焼き焼いてるの見たけど。

「そういう輩って、自分より絶対的に強い格上の相手に出会うと、何故か懐きたくなるみたいだねぇ。それこそ『兄貴! 一生ついて行きます!』、みたいな」

「……」

現在ただ今ついて行けてない俺に、単純に<調伏された>っていうのが正しいのかもしれませんけど、と真久部さんは言い直してくれる。

「家神様も家宝の金魚も、一番は水無瀬家の人たちだけど、とにかく人を護るという意思が強いでしょう? そこにアレは痺れたり憧れたりしたんじゃないかなぁ、と思うんだよ。漢気というか、なんというか」

「おとこ、ぎ……」

よくわからないけど、わからないといけないのかなぁ……。
そう思う俺は今、遠い目をしているに違いない。

「だからね、店に並べたときにはワクワクしているようだったよ。自分も()()と同じように、自分を選んでくれた人を一所懸命護るんだ! と」

ね、とっても“良い子”になったでしょう? と真久部さんは唇の端をきれいに上げてくれる。目元も笑ってる。

「呪具にされる前は、()()()()()()()()()()人間好きだったようですが、今はもっと、アクティブになったみたいですねぇ。──何にせよ、猫好きの猫八の作った招き猫を、不幸のまま終わらせることにならなくて、本当に良かったと思っています」

にこにこにっこり。
──うん、真久部さんがうれしそうで何よりだ。

「じゃあ今頃は、自分を見つけて買ってくれた漁師さんを、頑張って護ってるんですね」

「そのようですよ。さっそく、アレに助けられたのかもしれない、というお礼の電話があって」

「え!」

俺は思わず声を上げてしまった。一体、何があったんだろうと慄きつつ、話を聞く。

「お買い上げのときに一応ね、自宅に飾っておくよりも、船に乗せておいたほうがいいと思いますよ、とアドバイスしておいたんですが、それをちゃんと守ってくれていたみたいでねぇ。操舵室の隅に棚を作って、そこに固定していたそうなんですが──」

購入以来、漁に出れば毎回予期した以上の水揚げ量で、「こういう縁起物も、馬鹿にしたもんじゃないな」と、ほくほくしながら魚招き猫を毎日磨いてやっていたらしい。

「つい先日、ご本人がうっかり船から海に落ちたというんですよ。運の悪いことに僚船もなく、エンジンはかかったまま、船は遠ざかっていく。潮の流れの激しいところで、いくら泳ぎが得意でも海岸まで泳ぎ着けるかどうか──というところで、猫の鳴き声が聞こえたというんだよ」

「そ、それで……?」

まさか、魚招き猫が泳いで助けに来たとか……いやいや、さすがにそこまでわかりやすく化け物じみてるはずが──。

「幻聴か、と思っていたところに、なんと、船が戻ってきたんだとか」

ああ。なんだ、そういうことか。

「もう一人漁師さんが乗ってて、その人が落ちたことに気づいて慌てて助けに来てくれたんですね!」

それならわかる、と思ったのに。

「いえ。漁にはいつも一人だそうですよ」

俺の考えはあっさり否定されてしまった。

「……じゃあ、何で戻ってきたんでしょう?」

「何ででしょうね? 僕にもわかりません」

怪しい笑みを浮かべたまま、真久部さん。

「ただ、あれはどう考えても潮の流れに逆らっていたと、その漁師さんはおっしゃってました」

「はあ」

「それだけだと船に上がるのに苦労するものだけど、不思議なことに船首のほうから網が、海面までのぶんだけ垂れていたんだそうです。落ちたときは、たしかにきっちり畳んだままの状態だったそうですが」

「……」

航行中の船から下手に網だの綱だの垂らしてたら、プロペラに巻き込んでしまうよなぁ。

「お蔭で九死に一生を得たと、大変お歓びで」

「そりゃあ……。でも、助かって良かったですね」

俺、カナヅチじゃないけど、海のど真ん中から生還できるほど泳げない。状況を想像してみたら怖かった。

「招き猫のお蔭だと、そう何度もお礼を言ってくださるので、これからも大切にしてやってくださいと、改めてお願いしておきました」

もちろんです、と請け合ってくださいましたよ、とまたにっこり。

えらく胡散臭い笑みだけど、自分の繋いだ古い道具と人との縁が、そんなにいい形になっているのを知ったなら、この人がこんなに機嫌が良いのもうなずける。

いろいろあったけど、その漁師さんも真久部さんも、魚招き猫も良かったなぁ、と思って俺もつられて笑ってたら。

「あの招き猫も、竜を目指してこれからも頑張ることでしょう」

え? なんで?
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