第165話 寄木細工のオルゴール 3

文字数 2,068文字










……やさ……な……さん……

見渡す限りの遠い浜辺、彼方から規則的に寄せる白い波……繰り返し、寄せては引いて繰り返し、波が紡ぐ荘厳な調べ……大粒の真珠を繋いだみたいな……

……な……で……さ……

あれ、波の音が遠く……海が……

「何でも屋さん!」

「へ?」

ぼーっと見上げると、地味な男前。

「何でも屋さん! 大丈夫ですか?」

両手で肩を持って、揺すられる。え? 何で……? 俺、どうかした……?

「……真久部さん? お帰りなさい……」

揺すられて、がくがくしながら答える。店主が帰って来たのに気づかなかった。俺、居眠りしてたのか。

「すみません、俺、店番なのに……」

仕事なのに、ダメじゃん、俺。そりゃ、帳場でじっと座ってると、足元の掘りごたつが暖かくて気持ち良くて、よく居眠りを誘われるけどさぁ、ドアベルにも気づかないなんて……。あれ?

「俺、何でこっちに?」

帳場の掘りごたつじゃなくて、畳部屋の真ん中の、改造ちゃぶ台コタツの前に──。

「何でも屋さん、コレ、まさか開けちゃったんですか?」

厳しい顔でたずねられる。

「え?」

真久部さんが指さしてる、ソレ。──寄木細工のオルゴール!

「いや、その! 開けたのは俺じゃなくて!」

「僕が帰ってきたとき、きみ、これの前でぼーっとしてたんですよ。いくら呼んでも返事しないし、魅入られてしまったのかと……」

はあーっ、と特大の溜息を吐いた真久部さん。コートを着たまま、畳に突っ伏した。

「すみません、心配させて……」

「……何があったのか、教えてくれますか?」

畳に伏せたまま、顔だけこちらに向けて言う。う……そんな格好なのに、なんか、迫力。でも、ここにコレ置いたのは仕方なくだし……。

「さっき、変な客が来て──」

真久部さんが身を起こすのを待って、俺はさっきあったことについて話し始めた。

その客は店に入ってすぐ、迷わずこの寄木細工のオルゴールを手に取ったこと。俺はそれに驚いたけど、きっと縁のある人なんだと思い直したこと。ためつすがめつしていた客が、さらに開けようといじり出したのを見て、アレを開けようとするなんて、縁のある人はやっぱり違う、とさらに驚いたこと。

「──でも、それ、スマホで何か見ながら開けようとしてたみたいなんですよ。ほら、あの仏像に立て掛けて。店の品物にそういうのやめてくださいって注意しようと思ったんですが、それより前に、開いた! っていうのが聞こえて……。縁のある人のようだし、それなら帳場に持ってくるかな、と思って待ってたんですけど、スマホ仕舞ったあと、なんかそこにじっと立ったまま動かなくなって、身体がゆらゆらし出して……」

具合が悪いのかと、慌てて支えに行こうとしたとき、客はいきなり全てを放り出し、逃げるように店を出て行った──。そこまで話すと、真久部さんはまた溜息を吐いた。

「オルゴールはそのまま下に転がってるし、他の小物……そこに置いてありますけど、それも巻き添えになって落ちたしで、仕方なく一緒に拾うことにしたんです。壊れてたら困るし……。でも、拾っただけですよ。俺だって本当は触りたくない……って、その」

触らないほうがいいって、前に真久部さん言ってたし、と続けると、力なくうなずいていた。

「あ、小物たちは一応確認しましたけど、どこも欠けたりしてませんでした。でも、もう一回ちゃんと見たほうがいいと思ってこちらに。──すみません、真久部さん。店番を任されておきながら、変な客を止められなくて……」

「……いえ、何でも屋さんは何も悪くないですよ」

そう言いかけて、真久部さんはようやくコートを着たままだったことに気づいたのか、立ち上がって和装用のそれを脱いだ。そのあいだ、俺は温かいお茶を淹れることにする。あ、こっちのコタツ、電源入れてなかった。パチッとスイッチを入れると、ジンッ……とかすかな音がした。

「どうぞ」

ちゃんと茶碗を茶托にのせて、きれいに色の出たお茶を出す。

「ありがとうございます」

膝をコタツの中に納め、真久部さんは背中を丸めて茶碗を手に取った。俺はオルゴールの近くにいたくなかったんだけど、真久部さんが自分のほうに寄せてくれたので、妥協してその向かい側に座った。

「──しかし、何事もなくてよかったですよ。何でも屋さんが好んで触るとは思わないですが、そういうふうに持っていかれるということもあるし……」

後半を口の中で呟くように言ってから、客のやったことなら、しょうがないですよ、と真久部さんはお茶を啜る。

「だけど、ただ拾って、そこに置いただけでも影響があるようだから……、これはもう倉庫に仕舞ってしまおうか……」

白い湯気が吐息に乱れる。考え込んでいるようだ。俺も同じように熱めのお茶を少しずつ啜りながら、気になっていたことをたずねてみる。

「あのお客は、結局縁がなかったんでしょうか?」

店に入ってすぐ、オルゴールに目を付けたようなのに。

「ああ……」

真久部さんはそれに視線をやり、そして言った。

「縁は、何も良い縁ばかりじゃありませんからね」

悪い縁に引かれることもありますよ、って。今日も怖いよ慈恩堂!
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