第58話 貴重な人材 3

文字数 2,249文字

「その、叔父さんは……?」

話の端々から、既に亡くなっているような印象を受ける。

「もう、会えないんです……」

お客はそう言って目を伏せた。やっぱり……。でも、ここに来たのは偶然みたいなのに、ピンポイントで叔父さんの形見を見つけるなんて、これも縁なんだろうなぁ。

「俺にギターを教えてくれたのは、叔父でした。子供の頃、このギターでね。もちろん大きすぎて持てなかったけど、叔父が構えて前に俺を座らせて、弦だけ押さえさせてくれたり、叔父が弦を押さえて、弾くのだけやらせてくれたり、楽しかったな」

「いい叔父さんだったんですね。そんなふうに教えてもらったら、誰でもギターが好きになるでしょう」

お客はうれしそうに笑った。

「ええ。俺も大好きになりました。大きくなったらこのギターをやるよ、と叔父が言ってくれたのがうれしくて、自分の名前を書いたりして……」

恥ずかしそうに、「だいすけ」の字をなぞる。ちょうどその頃、マジックペンで壁に落書きして叱られたせいで、これなら色がつかないから大丈夫だろうと、祖父の日曜大工道具入れから千枚通しを持ち出し、覚えたての文字で薄く名前を刻んだのだという。

「父と母に、落書きした時よりもっと叱られました。当然ですよね。叔父は笑ってましたが……叔父は母の弟で、母の実家で同居してたんです。父は婿養子だったので。叔父は、初めての甥である俺をよく可愛がってくれました。父より母より、叔父のほうに顔が似ていたから、よけい可愛いと思ってくれたのかもしれません」

俺には甥も姪もいないから分からないけど(元義弟の智晴が結婚して子供が出来たら、その子は俺の娘のののかのイトコになるから、元義理ながらも甥姪といっていいかもしれない)、自分の子と似た感じなんだろうか。

「最初は大きすぎて一人では弾けなかったけど、身体が成長するにつれ、支え方のコツや楽な姿勢も分かってきて……。中学の入学式の朝、祝いだといって、叔父は正式にこれを俺に譲ってくれました。うれしかったなぁ……」

お客は愛しそうにギターのネックを撫でた。

「叔父はもう一本ギターを持っていて、これは練習用でした。──実は、叔父はギタリストだったんです。ものすごく売れてるというわけではなかったですけど、食べていくのに困らない程度には仕事があったようで」

「それはすごいですね」

音楽の道で食べて行くのって、すごく難しいって聞いた。仮に音大を出ても、プロになれるのはほんの一握り。指導者になるのも狭き門で、好きな音楽に関わる仕事に就けるだけで幸運なんだと、身内に音楽家のいる友人が言っていたことを覚えている。

「そうです。叔父はすごいんです。毎日何時間も練習してて──」

単純な曲も複雑な曲も変わりないように弾きこなして、軽い音も深みのある音も自由自在で、聞いてるだけで楽しくなったり悲しくなったり、叔父のギターが世界で一番好きだったと、きらきらした目でお客は語る。

「俺も一所懸命練習したけど、どうしても叔父のようには弾けなかったなぁ……下手の横好き以上にはなれかなったけど、家ではよく弾いてました。中高と進学校だったせいか、他に楽器をやってる友人もいなくて、本当に家でだけ」

地味な青春でした、とお客は寂しそうに笑う。

「進学して、大学の近くの学生アパートに入ったときも、このギターは持って行きました。なかなか友達も作れなくて、予習と課題とレポートと、少しのバイトのほかは、ギターを弾くしか楽しみがなかった……もっと弾きたかったな。せめて、この『禁じられた遊び』だけでも、叔父さんのようにもっと上手に──」

亡くなった叔父さんのこと、本当に好きだったんだろうな、と頷きながら聞いていたけど。ふと、あれ? と思った。この人が大学生になっても大事にしていたというこのギターが、なんでこんな店にあるんだろう?

このお客の彼は、まさにその大学生くらいの年頃に見える。なのに、ギターは古ぼけて、長い間手入れもされてなさそうだ。

不可思議な違和感に、何か訊ねようと口を開いたそのとき。

 ちりりん

ドアの開く音とともに、来客ベルが鳴った。これまでの店番では一度も聞いたことが無かったのに、今日は二人も客が来るなんてすごい、いや、でも、店主が忘れ物でもしたのかな、と思いつつ、そちらに目をやると、大きな荷物を背負った男が立っていた。服が濡れてる。

あー、ついに降りだしたか、店の中にいると雨降っても分からないなぁ、一応でも傘立て出しといて良かった、とか思いながら、「いらっしゃいませ」と声を掛ける。雨宿りのひやかし客かな?

「す、すみません、ちょっと道に迷ってしまって」

男は言った。

「そこの道を歩いてて、ふとこちらの看板が目に入ったもので。ちょっとその、教えてもらえませんか、この近くに──」

俺はもう、男の言葉を聞いていなかった。ただ、その顔だけを呆けたように見ていた。だって、そっくりなんだ、そこで亡き叔父さんのギターを抱えて、思い出を語っていたお客に。親子といっていいくらい。

え? この人、ギタリストの叔父さん? お客の話だと、亡くなったんじゃ……? それとも、この人は亡くなった叔父さんの、双子の兄弟とか?

軽く混乱しながら、半ば助けを求めるようにお客のほうを見ると──。

そこには、誰もいなかった。土間から上がった畳の上には、古いギターが転がっているだけ。
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