第340話 芒の神様 19

文字数 1,916文字

「攫われてからのことは、すべて夢か幻だったのかもしれない──幼い頃の記憶は、誰だって夢と現実が混じって、違うものに変わっていたりするからね。でも、僕はあの子に会ったこと、あの子の言ったこと、それがすべて子供だった僕の心が作り出した幻だったとは、思いたくないんです」

淡々とした声で、だけどその目は遠く、もう二度とは無い時間を、/会えない誰か/人を、どこかに探しているかのようだった。


      …………チ…………ッ
     ッ……チ……ッチ……ッ…………
         …………チ…………チ…………
       ッ…… ……ッ ……ッ ……


息を潜めるような、静かな古時計たちの音。珍しく沈んでいる主に、遠慮しているように聞こえるのは、俺がこの店にすっかり染まってしまっているからだろうか。

だけど。

「きっと、本当のことだったんですよ、だって──」

夢でも幻でも、幼い記憶の改変でもない。俺はそう思う。

「ふふ、何でも屋さんなら、そう言ってくれると思ってました」

きみはやさしい人だから、と真久部さんは寂しげに微笑む。いや、俺は大人のおためごかしを言ってるんじゃない。ちゃんと根拠があるんだ。

「だって、このあいだ真久部さん、普通なら有り得ないくらい、道に迷ったじゃないですか! あれはおかしかった。神隠し寸前って言っていいくらいに」

狐でも狸でもないなら、神隠ししかないじゃないですかと続けながら、いつもは怖いからあんまり認めたくない怪異だけど、今回ばかりは全面的に肯定する。

「俺、本当に心配したんですよ。でも、子供の頃のお話を聞いてわかりました。姿が消えていたとき、真久部さんはきっとその子──薄の神様の領域に近いところにいたんです。そうに違いありません!」

危ない目に遭ったのだから、それは現実だったんだと、俺は逆説的に言い募る。
    
「いつも余裕の人なのに、あんな危なっかしい真久部さん、神様のせいじゃなきゃ有り得ない!」

そうだよ、この人には胡散臭い笑みが似合うんだ。猫又寸前の怪しい古猫みたいに、じっと物事を観察してるみたいな、全てわかっていて愉しんでいるような、そういう余裕が何より似合う人なんだ。

「何でも屋さん……」

少しびっくりしたみたいに目を瞠って、それから、花がほころぶように微笑んだ。

「何でも屋さんらしくないのに、とても何でも屋さんらしい……ありがとうございます」

褒められてるのか、貶されてるのかわからないと思いつつ、素直な真久部さんなんか、真久部さんじゃない/やい/! なんて捻くれた照れに襲われそうになった俺だけど、そんな照れは投げ捨てる。だって真久部さん、本当にうれしそうなんだ。

「今までこの話、伯父にしかしたことがなかったんですよ。途中までは両親にも話したけれど、あからさまに信じていないのが、子供心にもわかって……」

当時は悲しかったです、と苦笑いする。

「伯父だけは信じてくれた、どんなに不思議で、常識はずれな出来事でも。それは伯父が普段から、自ら好き好んで不思議な世界に片足どころか両足を突っ込んで、そのくせしっかり現実世界に命綱を繋ぐような、そんな本人だけが楽しい綱渡りみたいなことしているからだ──なんて、大人にならないとわからなかったですけどね」

「……」

なんか、プールサイドに座って、両足で水をパチャパチャ跳ねさせて愉しんでる真久部の伯父さんの姿が思い浮かんだ。その腰にはぶっといワイヤーロープが結わえられている。
   
「だけど、そのお蔭で僕がこの世に留まれたことも事実です。あのとき病室で飲まされた水、あれが無ければあの子と夢で逢うことも難しかったと──そう思うんだよ、勘だけれど。ただの夢で逢えるなら、その前の、助けられてからの昏睡で逢えなかったのはおかしいと思うから」

「そう、ですよね……」

俺はうなずいていた。

「その……薄のあの子は、それを心配してくれてたんじゃないかなと思うんです。饅頭の欠片に籠められた自分の力が、真久部さんにどういう影響を与えるのかって。只の人には大きい力なんでしょう? 取り入れた力が中途半端だと、あの子のそばに居られるようになるには足りないってことだけど、ただの人のままで/いさせる場合/いて、それはどうなるのか……なかなか目覚めない真久部さんに、不安になったんじゃないかなぁ」


  ──今の眠りの前に
    そなたは 数日目覚めなかったようだな

     親御たちが心配していた
     我も心配だった


「たぶん、そのときはあちら側から真久部さんの夢に繋がることができなかったのかも。だから、古主様が、その力は害にならない、っておっしゃったとしても、やっぱり心配になったのかも」
  
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