第284話 眷属ならば竜になれ! 終

文字数 2,835文字

いきなり斜め上なことを聞かされて、思わずぽかんと口を開けてしまった俺の顔を眺めながら、真久部さんは満足そうに眼を細めている。

「だって、ある意味アレは、水無瀬家の家神様の眷属になったようなものだからね」

俺を驚かせてご満悦の様子だけど、そんなん、誰だって驚くと思うんだ。だいたい猫と竜なんて、まるっきりジャンルが違うじゃないか。

「……眷属って、何でですか? いくら温和しくなったとはいえ、元は敵だったのに──」

「言ったでしょう? アレは家神様のことを兄貴と慕っているって」

「ええ……」

ただの喩え話じゃなかったの?

「それに、呪物としてではあったけれど、アレだって一応水無瀬家の“魚もの”です。魚持ってるでしょ?」

「……」

水無瀬家の魚もの。衝立にも、襖にも。畳の縁や硝子戸の隅、お盆に湯呑み茶碗、ふと眼を上げたら欄間にも。眼につくところ、思いがけないところにも、さりげなくあしらわれている魚の意匠たち。

「水無瀬家の魚ものは、全てが家神様の影響を受けるんだよ。たとえ御本体が力を失って、動けなくなっているときであっても、場というのか──あそこの敷地に入った魚の形をしたものは、なんとなく微妙に、その意に添うようになるんです」

まあ、ふわっとした傾向程度のものですけど、と真久部さんはつけ加える。

「そんなわけで、元々眷属の素地があったところに、長いあいだ家神様のお力に浸っていたので──最初は魚を獲る猫だったはずが、今は持っていた魚と一体になったというか、魚風味の猫になったというか」

「魚風味の、猫……?」

俺の頭の中を、上半身が猫で下半身が魚な半魚猫? が猫掻きで過って行った。わけがわからなかった。まだ、化け猫とか猫又のほうがマシというか、わかりやすい、ような──? などとぼーっとする俺をよそに、「話していて、自分でもだんだんどちらがどちらなのか、わからなくなってきましたけど」なんて楽しげに笑う。

「アレ自身の意識も、きっとそんな感じなんでしょう。自分が猫なのか魚なのか曖昧になって……今は、元々の招き猫の性質として、千客万来ならぬ千()万来と、水の無い瀬()で魚を招きながら、自分を見つけて大事にしてくれる人とその周りを護りつつ、竜の眷属である水無瀬家の家神様がそうなろうとしているように、自分もいつかは竜になろうと──」

「なんでそうなるんですか!」

あまりに意味がわからなすぎて、つい大きな声が出てしまう。
なのにまったく動じず、黒褐色と榛色の瞳をしらじらしく瞬かせて。

「そう簡単に成れるわけじゃないですよ? もちろん。でも、憧れの兄貴みたいになりたいものじゃないですか? チンピラって」

わざとらしく唇の端を上げてみせる真久部さん。

「そうじゃなくて。何でそう、なんでもかんでもあいつら(古道具たち)は、竜になろうとするんですか!」

いつかの自在置物の鯉も、真久部の伯父さんの飼ってるループタイの鯉も。店の隅に並べてある江戸時代の一刀彫の兎や、なんかよくわからない禿山を描いただけの掛け軸、水仙を模った矢立だって。

あいつら、みんなうとうとと微睡みながら、子供が「うるとらまんになりたい」って言うのと同じように、「竜になりたい……」って夢見てるってこの人から聞いてる。──ひとつだけ、本当に竜に成ったヤツがいるけどさ。

「だって、日本は竜の国ですから」

「へ?」

俺の間抜けな声を、真久部さんは軽くいなして続ける。

「ほら、地図を思い出してください。ああ、テレビの天気予報のやつでいいですよ。竜の形をしているでしょう、日本列島は」

にーっこり。

「……」

確かに、日本の国の形は竜に似てる──。

そう思ってしまった俺は、お茶のおかわりを淹れましょうか、そうそう、デザートに水菓子でも、と機嫌よく立ち上がり、台所への戸口に消えていく着物の背中を見送るしかなかった。

「……水無瀬家の敷地が家神様の“場”だっていうなら、日本列島は竜の“場”ってことになるのかな」

ぼうっと呟く俺の言葉を聞いていたのは、店の道具たちだけ。


 チッタチッタチッタ……
 ……チ……チ……チ……
 チツツチツツチツツ……
 チツ……チツ……チツ……


勝手気ままに時を刻む古時計たちの、自己主張の激しい秒針の音。その隙間を埋めるように、気配のない気配、影のない影が陽炎の濃淡のように揺れる──ように感じられるのは、俺の気のせい。

そんな、いつもの慈恩堂の午後。













あとからわかったことだけど、元水無瀬家の呪いの招き猫、いま俺心で命名<魚招き猫>を買っていったのは、純喫茶・野梅系(ヤバイケイ)マスターの、年の離れた従弟さんだったみたい。常連の桜庭さんから聞いた。

なんか、脱サラして奥さんの実家の稼業を継いだけど、上手くいかなくて、大昔に同じく脱サラして喫茶店を始め、そこそこ成功してるマスター(従兄)に、愚痴を聞いてもらいにいこうとしてたらしいよ。

お店(慈恩堂)に迷い込んだってことは、あの招き猫と縁があったんですね、と真久部さんにそのことを話してみたら。

「道具は結局、使われようだし、育てられようです。だから出会いと、相性がとても大切なんだよ」

なんてことを言う。

「ああ、でも人も同じで、ある程度の年になったら、自分で自分を良いように使いつつ、育てないといけないんだよねぇ……」

誰にとってもなかなか難しいことだねぇ、と苦笑した顔は地味に男前で、いつものように胡散臭かったけど──そのとおりだなぁ、と素直に思った俺だった。

そんなことのあった、さらに数ヶ月後のこと。

水無瀬家の蔵整理に出かけたら、庭に大きな猫がいた。水無瀬さんが言うには、どこかからふらっとやってきた元野良猫らしい。池の金魚を狙ったりしないんですか? と聞いてみたら、逆にカラスとか、他の野良猫が来たら追い払ってるんだって。

やたらに温和しい猫で、水無瀬さんや家政婦さんにもよく懐くので、飼うことにしたらしい。

「儂は猫は苦手だったんだがなぁ……」

と、自分で自分が不思議そうな水無瀬さんだったけど。

「金魚を護る猫ならば、うちの家神様もお気に召すかもしれんしな!」

そんなこと言いながら、足元すりすりする猫を抱っこ。手慣れた様子で耳をカリカリ掻いてやっている。どうやら溺愛されているらしい猫は、安らいだ顔をしている。

ああ、ここでもお互いにいい関係だ──。

なんだか幸せな気持ちになりつつ、きらきら光る水面に惹かれてふと池の中をのぞくと、元気に泳ぐ金魚たち、と、あれ? 底のほうに、なんか丸くて平べったいものが……?

「ああ、あれか」

猫を抱っこしたまま、水無瀬さんが教えてくれる。

「あれは皿じゃ、家宝のな。()()が戻ってきたので……慈恩堂さんに相談してみたら、池の底に沈めておいてはどうですか、と。──儂もそれが良いような気がしたから、そうしてみた」

家神様の祠のそばだし、水の中だし、あれでなかなか居心地良いのかもしれんな、と笑う水無瀬さんと腕の中の猫の近くで、赤い金魚が楽し気に宙返りしているさまを幻視した……ような気がした。

うん。そんな気がしただけさ!
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