第10話 双子のきょうだい 5
文字数 3,100文字
……思わず聞きたくなったけど、止めた。
だって、コワイ。聞かない方がいいような気がする。本能的に。
俺、思わず涙目になってたかも(涙目なだけで、泣いてない!)。
それを見て、くすり、と笑みをもらす店主。
「そんなに怯えないでくださいよ。偶然ですってば。たとえ──」
──今では忘れ去られた山奥の古街道跡から、石造りの小さな道祖神を盗んできたらしい男が、それをロープで背中にくくりつけたまま、川の浅瀬で溺れ死んでいるのを釣り人に発見されたりとか。
──どこか他所から来て、寂れた古い祠を夜陰に乗じて勝手に解体しようとしたらしい男が、朝になり、犬の散歩で通りかかったお年寄りに倒れてるところを発見された時には、記憶どころか生きることに必要な全てのことを忘れてしまっていたりとか。
「そういうのもね、全部ただの偶然ですよ」
にーっこり。
……店主の笑顔が、恐い。
「ぐ、ぐーぜん?」
「そうですよ? それとも、偶然だと思うより、バチとか祟りとかの方がいいですか?」
「ぐーぜんでいいです……」
むしろ、偶然だということにしておいてください、店主!
「ま、触らぬ神に祟りなし、という言葉もありますし」
「はぁ……」
「あなたは大丈夫でしょ、多分。あっちから触りにくることはあるかもしれないけど、まあ……、大丈夫だと思います、よ?」
何ですか、その「よ?」は?
「ふふっ」とか、何ですか、その含み笑いは? 俺が怖がるの、楽しんでる。このヒト、絶対にSだ……。
悔しさに、思わずくぅと唇を噛みしめていると、唐突に店主が言った。
「僕が保護した<あの子>、今日<親元>に返しましたよ」
え? 店主が保護したっていうと、悪い奴らに攫われたけど、売り飛ばされる寸前で間に合ったっていう……。
「ここに来たあの男の子の、お兄ちゃん?」
「そう。もう無事なのが分かったんだから、自分は<お家>でじっと待ってればいいのに、我慢出来ずにお迎えに来ちゃった<男の子>の、双子のお兄ちゃん。──あーあ、お兄ちゃん、今頃、弟がいないから心配してるだろうなぁ」
何故か吽形の狛犬をじぃっと見つめる店主。その手はやさしくその頭を撫でている。むすりと結んだ小さな狛犬の口元。何だろう、そんなに気に入ってるのかな、その狛犬。
「ま、僕が忘れ物したのがいけなかったんだけどね」
ふう、と遠い目をする店主。
「そういえば、忘れ物取りに戻ってきたんでしたっけ? 何忘れたんですか?」
俺が訊ねると、店主は懐から片手で袱紗包みを取り出して俺に渡した。
「何ですか、これ」
包みを開いてみたら、金糸銀糸をふんだんに使った贅沢な布をパッチワークみたいに繋いだものが入っていた。
「……花瓶敷き?」
ふと口にした言葉に、店主が吹き出した。
「か、花瓶敷きですか。あなたらしい発想だなぁ!」
店主、笑いすぎ。
肩ふるわせて、腹を抱え、狛犬の頭をぽんぽんしながら。心なしか、狛犬も笑ってるように見える。結んだ口の端の方が、何となく……被害妄想だけどさ。
「こ、こんな派手な花瓶敷きはないでしょ。せっかくの花がかすんじゃう」
言われてみればそうだけどさ。
「……じゃあ、何なんですか?」
むすっと訊ねると、店主は笑いすぎて目尻ににじんだ涙を拭きながら、答えた。
「花瓶敷きじゃないけど、敷物には間違いないですよ。笑ってすみません。これ、例の<あの子>のお気に入りでね。攫われた時も離さなかったみたいで。弟とお揃いの品だし」
ねー、とまた狛犬を撫でる店主。……話せない置物に相槌を求めるとは、変わった人だ。そう思いつつ、俺は敷物? を元のように袱紗に包むと、店主に返す。
「だからね、これの匂いを辿って来たんでしょう」
俺から受け取った袱紗包みを丁寧に懐に仕舞うと、店主は苦笑した。
「え、でも、匂いって……」
「これはねぇ、先代のお祖母さんだったかな? その方の娘時代のお手製らしいんです。ちょっと縫い目が不器用だったでしょ?」
「あー……そういえば……」
裏返した時、糸の見える場所があったような。
「これを縫うのに、家の中の着物とか、色んなものから布地を切り取ったそうなんです。まだ気持ちが幼かったせいでしょうかねぇ。子供って大人がびっくりするようなことしますよね。両親からも大目玉を食らったそうなんですが、それを<もらった方 >がとても喜んだらしくてねぇ。家にちょっとした良いことがしばらく続いたそうです」
「はぁ……」
もらった方? 敷物を……? お気に入りの敷物の、匂い?
あれ? なんだかわけが分からなく……。
「ということで、僕、この忘れ物もってもう一度行ってきますね」
「あ、あの男の子……」
「大丈夫。僕の持ってるこれ」
そう言って、店主は懐をぽん、とたたいた。
「これの匂いに安心して、ちゃんと大人しくついて来るでしょう」
「えっと……」
「あー、さっきの男の子はね、そうだなぁ、店の裏口から出たんじゃないかな。ほら、そっちの台所。奥に勝手口があるんです。知らなかったですか?」
「そ、そうなんでしょうか?」
そうだとしたら……あまりにも素早すぎないか? そう思って訊ねてみると、店主、答えて曰く。
「子供というのは、大人がびっくりするようなことをするものです、よ?」
「は? はぁ……」
んー、そういえば、さっきあの敷物は、先代のお祖母さんがまだ娘 の頃、切り取っちゃいけないようなもの(着物とか、帯とかかなぁ)から布を切り取って、縫ったものだとか言ってたっけ。──でも、あれれ? それって俺の疑問に対する説明になってないような? って、ん?
「その狛犬、持って行くんですか?」
絹? の布で吽形の狛犬を包む店主。これからまた出かけるというのに、荷物になるのでは?
「はい。きっと相方に会いたいだろうと思いまして」
「え? ここにないんですか?」
俺はアヤシイものがいっぱい並んでる店内を見渡した。この中に紛れてないのか、阿形の狛犬。
「今日、先に持っていきましたからねぇ」
「そうだったんですか。あ! さっきの敷物と一緒に、それも忘れて行ってたんですね!」
「……そういうことにしておきましょ。ふふふ」
楽しそうに笑いながら、店主はまた出かけて行った。夕方までに帰ってこれなかったら、店を閉めてくださいね、と俺に店の鍵を預けて。
店主が出て行ったら、途端に静かになった。
しーん……。
俺以外、誰もいない。いないんだけど、何だろうな、この感じ。無理矢理たとえるなら、すごく大勢の人間が、じっと息を潜め、ひっそりと店のそこここに佇んでいるような、どこか不安になるようなこの微妙な緊張感。
……
……
か、考えるな、俺! 慈恩堂って、いっつもそうじゃないか! きっとあれだよ。壁の前で眼を閉じると、見えなくても何となくその壁を感じられるみたいに、店中にわんさとある謎の骨董品たちの物的な質量が、俺に圧迫感を与えるんだよ!
はぁはぁ……何焦ってるんだ。落ち着け、俺。
だけど。んー、「物的な質量」って、何だかちょっと物理学的だなぁ。高校の時の授業思い出した。難しかったなぁ、物理の授業。いっつも途中で眠くなって……。
……
……
しーん……。
ああ、時計の音がやけに大きく聞こえる。
チッチッチ……ポッポー、ポッポー、ポッポー……機械仕掛けの鳩が、十三回鳴いた。
だって、コワイ。聞かない方がいいような気がする。本能的に。
俺、思わず涙目になってたかも(涙目なだけで、泣いてない!)。
それを見て、くすり、と笑みをもらす店主。
「そんなに怯えないでくださいよ。偶然ですってば。たとえ──」
──今では忘れ去られた山奥の古街道跡から、石造りの小さな道祖神を盗んできたらしい男が、それをロープで背中にくくりつけたまま、川の浅瀬で溺れ死んでいるのを釣り人に発見されたりとか。
──どこか他所から来て、寂れた古い祠を夜陰に乗じて勝手に解体しようとしたらしい男が、朝になり、犬の散歩で通りかかったお年寄りに倒れてるところを発見された時には、記憶どころか生きることに必要な全てのことを忘れてしまっていたりとか。
「そういうのもね、全部ただの偶然ですよ」
にーっこり。
……店主の笑顔が、恐い。
「ぐ、ぐーぜん?」
「そうですよ? それとも、偶然だと思うより、バチとか祟りとかの方がいいですか?」
「ぐーぜんでいいです……」
むしろ、偶然だということにしておいてください、店主!
「ま、触らぬ神に祟りなし、という言葉もありますし」
「はぁ……」
「あなたは大丈夫でしょ、多分。あっちから触りにくることはあるかもしれないけど、まあ……、大丈夫だと思います、よ?」
何ですか、その「よ?」は?
「ふふっ」とか、何ですか、その含み笑いは? 俺が怖がるの、楽しんでる。このヒト、絶対にSだ……。
悔しさに、思わずくぅと唇を噛みしめていると、唐突に店主が言った。
「僕が保護した<あの子>、今日<親元>に返しましたよ」
え? 店主が保護したっていうと、悪い奴らに攫われたけど、売り飛ばされる寸前で間に合ったっていう……。
「ここに来たあの男の子の、お兄ちゃん?」
「そう。もう無事なのが分かったんだから、自分は<お家>でじっと待ってればいいのに、我慢出来ずにお迎えに来ちゃった<男の子>の、双子のお兄ちゃん。──あーあ、お兄ちゃん、今頃、弟がいないから心配してるだろうなぁ」
何故か吽形の狛犬をじぃっと見つめる店主。その手はやさしくその頭を撫でている。むすりと結んだ小さな狛犬の口元。何だろう、そんなに気に入ってるのかな、その狛犬。
「ま、僕が忘れ物したのがいけなかったんだけどね」
ふう、と遠い目をする店主。
「そういえば、忘れ物取りに戻ってきたんでしたっけ? 何忘れたんですか?」
俺が訊ねると、店主は懐から片手で袱紗包みを取り出して俺に渡した。
「何ですか、これ」
包みを開いてみたら、金糸銀糸をふんだんに使った贅沢な布をパッチワークみたいに繋いだものが入っていた。
「……花瓶敷き?」
ふと口にした言葉に、店主が吹き出した。
「か、花瓶敷きですか。あなたらしい発想だなぁ!」
店主、笑いすぎ。
肩ふるわせて、腹を抱え、狛犬の頭をぽんぽんしながら。心なしか、狛犬も笑ってるように見える。結んだ口の端の方が、何となく……被害妄想だけどさ。
「こ、こんな派手な花瓶敷きはないでしょ。せっかくの花がかすんじゃう」
言われてみればそうだけどさ。
「……じゃあ、何なんですか?」
むすっと訊ねると、店主は笑いすぎて目尻ににじんだ涙を拭きながら、答えた。
「花瓶敷きじゃないけど、敷物には間違いないですよ。笑ってすみません。これ、例の<あの子>のお気に入りでね。攫われた時も離さなかったみたいで。弟とお揃いの品だし」
ねー、とまた狛犬を撫でる店主。……話せない置物に相槌を求めるとは、変わった人だ。そう思いつつ、俺は敷物? を元のように袱紗に包むと、店主に返す。
「だからね、これの匂いを辿って来たんでしょう」
俺から受け取った袱紗包みを丁寧に懐に仕舞うと、店主は苦笑した。
「え、でも、匂いって……」
「これはねぇ、先代のお祖母さんだったかな? その方の娘時代のお手製らしいんです。ちょっと縫い目が不器用だったでしょ?」
「あー……そういえば……」
裏返した時、糸の見える場所があったような。
「これを縫うのに、家の中の着物とか、色んなものから布地を切り取ったそうなんです。まだ気持ちが幼かったせいでしょうかねぇ。子供って大人がびっくりするようなことしますよね。両親からも大目玉を食らったそうなんですが、それを<もらった
「はぁ……」
もらった方? 敷物を……? お気に入りの敷物の、匂い?
あれ? なんだかわけが分からなく……。
「ということで、僕、この忘れ物もってもう一度行ってきますね」
「あ、あの男の子……」
「大丈夫。僕の持ってるこれ」
そう言って、店主は懐をぽん、とたたいた。
「これの匂いに安心して、ちゃんと大人しくついて来るでしょう」
「えっと……」
「あー、さっきの男の子はね、そうだなぁ、店の裏口から出たんじゃないかな。ほら、そっちの台所。奥に勝手口があるんです。知らなかったですか?」
「そ、そうなんでしょうか?」
そうだとしたら……あまりにも素早すぎないか? そう思って訊ねてみると、店主、答えて曰く。
「子供というのは、大人がびっくりするようなことをするものです、よ?」
「は? はぁ……」
んー、そういえば、さっきあの敷物は、先代のお祖母さんがまだ
「その狛犬、持って行くんですか?」
絹? の布で吽形の狛犬を包む店主。これからまた出かけるというのに、荷物になるのでは?
「はい。きっと相方に会いたいだろうと思いまして」
「え? ここにないんですか?」
俺はアヤシイものがいっぱい並んでる店内を見渡した。この中に紛れてないのか、阿形の狛犬。
「今日、先に持っていきましたからねぇ」
「そうだったんですか。あ! さっきの敷物と一緒に、それも忘れて行ってたんですね!」
「……そういうことにしておきましょ。ふふふ」
楽しそうに笑いながら、店主はまた出かけて行った。夕方までに帰ってこれなかったら、店を閉めてくださいね、と俺に店の鍵を預けて。
店主が出て行ったら、途端に静かになった。
しーん……。
俺以外、誰もいない。いないんだけど、何だろうな、この感じ。無理矢理たとえるなら、すごく大勢の人間が、じっと息を潜め、ひっそりと店のそこここに佇んでいるような、どこか不安になるようなこの微妙な緊張感。
……
……
か、考えるな、俺! 慈恩堂って、いっつもそうじゃないか! きっとあれだよ。壁の前で眼を閉じると、見えなくても何となくその壁を感じられるみたいに、店中にわんさとある謎の骨董品たちの物的な質量が、俺に圧迫感を与えるんだよ!
はぁはぁ……何焦ってるんだ。落ち着け、俺。
だけど。んー、「物的な質量」って、何だかちょっと物理学的だなぁ。高校の時の授業思い出した。難しかったなぁ、物理の授業。いっつも途中で眠くなって……。
……
……
しーん……。
ああ、時計の音がやけに大きく聞こえる。
チッチッチ……ポッポー、ポッポー、ポッポー……機械仕掛けの鳩が、十三回鳴いた。