第55話 仏像の夏 6 終

文字数 3,560文字

「い、いやだなー、真久部さん。気のせいですよ。俺がここの入り口ドアを開けた時、たまたま風が吹き込んで、空気が騒いだように感じられただけなんです、きっと」

そう、きっと全ては気のせい気の迷い。そうに決まってる。
怖いのが苦手な俺の、固く結んだ唇を見てか、店主はまた溜息をついた。

「……まあ、いいですけどね。あなたが出入するようになってから、彼らもだいぶ気が丸くなりましたし。それに、今日はあなたを襲われた怒りででしょう、かなりの量の負の念が例の男にくっついて行ったようですね──」

店の中に視線をさまよわせてた店主は、軽くなってる、と呟いた。何が? と思ったけど、聞く気もしない。

「はあ……」

気の抜けた返事に苦笑しながら、店主はこちらに視線を戻した。

「それに、あまり怖がる必要はありませんよ。彼らにはあなたを害する気持ちは無いし……まあ、ちょっと身体には悪いんですけど、あなたは元々護りが固いから」

大丈夫、と店主は言う。身体に悪い、ってところに突っ込みたいけど、突っ込んだら負けなのは分かってる。

「彼らは直接あなたに触れてるわけじゃなくて、足元に纏わりついていただけですから。懐いてきた野良犬みたいなものだと思ってください。彼らは悪さをするわけじゃない、慕っているだけです。そういう犬の群れを連れている人をですよ、攻撃しようとすればどうなるか。想像してみてください」

「……」

そういえば、今日はグレートデンの伝さんだって俺を護るために男を攻撃したよなぁ。すごい迫力だった。俺があの男の立場だったらちびってた……。あの場に、他にも伝さんみたいなのが何匹もいたとしたら──。

「彼ら、地の果てまで追いかけて、息の根を止めようとしますよ。自分たちの大好きな人を害そうとしたんですから」

怖っ! でも──。

「どうしたんです、いきなり考え込んで」

ふと気づいたら、店主が心配そうに俺を覗き込んでいた。

「え、いや……、俺のために怒ってくれたんなら、感謝しておいたほうがいいのかなぁ、と思って……って、何で笑うんですか、真久部さん! ねえっ!」

今度の店主は、笑うだけ笑ってもう何も答えてくれなかった。何でだよ!

「……そろそろお暇しますね」

次の仕事行かないといけないし。その前に昼飯も食べたいし。笑われすぎたからって怒ってるわけじゃない。決して。

「そうですか。大したお構いも出来ずにすみません」

笑い収めた店主が、す、と頭を下げる。いや、そんな急に真顔になられても。

「え……、俺が勝手に押しかけてきたんだし……。焙じ茶と葛饅頭も出してもらったし……」

どっちも絶対お高いやつだ。そう思うと、こっちのほうが後ろめたい気持ちになる。──今度来る時、何か買ってこよう。

それじゃ、と帳場の畳の間から店の土間に降りようとした時、店主が言った。

「あの男……これからどうなると思います?」

「さ、さあ?」

例の仏像と、ずっと一方的な隠れ鬼をやってるんじゃないかなぁ?

「男が背負う負のエネルギーは、雪だるま式に増えていきます。件の仏像がそのように誘導しているのですから、当然そうなります」

「え、と。背負いきれなくなって、潰れる?」

この場合の潰れる、は、地獄行きってことになるんだろうな。ぶるるっ! 怖い怖い。

「我々、骨董古美術古道具を扱う人間の間では、こう予測されています──」

男の背負う負のエネルギー──穢れ──が満ちる時、かの仏像が男を男の母国に導く、と。

「元々、負の念の大きい土地ですが、そこに男が集めに集めた負のエネルギー、すなわち穢れを持ち帰るんです。どういうことになると思います?」

恐ろしさに、頭が真っ白になった。

「黒いものが、黒以上に黒くなるのは難しいじゃないかなぁ?」

真っ白になった頭で、まずそう思った。

「穢れに満ちた土地に新たな穢れが加わっても……それ以上穢れようが……あ、穢れホール」

「穢れホール?」

「ブラックホールって、重すぎてそんなふうになるんだって理学部の教授が言ってました。重力が多すぎてブラックホール。ってことは、穢れが多すぎて穢れホール。内部で穢れが穢れ崩壊して全ての穢れが吸い込まれて出て来れなくなるんだ。うん。穢れより穢れたものしか外に出られなくなるけど、そんなもの存在しないから、全部なんちゃらの地平の向こうに落ちて行くんです。とても怖いことだけど、元からそういうのに親しんでるなら、却って居心地いいんじゃないかなぁ」

「蠱毒ですか……」

「こどく?」

「いえ、何でもありません」

店主はふう、と息を吐いた。

「でも、そうですね。本質が穢れならば、周囲に穢れが増えてもうれしいだけなんでしょうね。そうか、周囲がきれいになるほうが落ち着かないか──」

最後のほうは口の中で呟いてるだけだから、何て言ってるのか分からなかったけど、俺のしょーもない思いつきに心を煩わせているのは分かった。

「大丈夫ですよ、真久部さん」

「何がです?」

「洗濯する時は、白いものは白いものどうし、黒いものは黒いものどうしで洗うものです。混ぜるな危険って言いますよね、お互いに汚れるから(・・・・・・・・・)。黒いものを黒いところに持って行ってくれるというなら、それでいいじゃないですか。黒には、白が汚れなんですよ、きっと。だから黒が集まるぶんには歓迎してくれるでしょう、多分」

黒ばっかりで洗うなら、色落ちしても分からない。だから、大丈夫。
──そんなふうに言ったら笑ってくれるかと思ったのに、店主、今度は笑わなかった。

「あの土地はそのうち、あなたの言うように<穢れ崩壊>するかもしれませんが、そこに住んでいる者たちにとっては、それが本望なのかもしれませんね。周囲に穢れを撒き散らしたいという欲望も、自らの穢れに囚われて外に出ることすら叶わなくなれば、内側に向けるしかなくなるのかもしれない。──それを待つのも有りかもしれませんねぇ……」

なんか、しみじみしてる。ま、いいか。早く帰ろ。本格的に腹減ってきた。葛饅頭ひとつくらいでは、この空腹は癒せない。何かガッツリしたものを食べねば。

「じゃあ……」

お邪魔しました、と店を出ようとした時。

「あ、そうだ、何でも屋さん。今日は夜に出歩かないほうがいいですよ。あっちについて行ったものが戻ってくるかもしれませんから。仕事があるならしょうがないですけど、出来れば家から出ないようにしたほうが……」

「え……急にそんなこと言われても……」

いきなりの警戒勧告に慄く俺の顔をじっと見ていた店主は、ふと視線を外して俺の肩越しに遠くを見た。え? 後に何かいる? 恐る恐る振り返ってみたけど、誰もいない。そりゃそうだよな、客なんか入ってきてないんだし。また怖がらせるつもりかと口を開こうとしたら、最後にこう言って、深く礼をした。

「まあ、あなたの場合は何があっても大丈夫でしょう。いらぬ心配をしてしまいました」

「……」

何だか変な雰囲気の店主に会釈だけ返して、俺は早々に店の外へ出た。太陽が眩しい。

うう……。心配いらないなら、不安になるようなこと言わなくていいと思うんだ。人をからかうのもいい加減にしてほしいよ、全く。しかし……「あっちについて行ったもの」って、やっぱり「あっちに憑いて行ったもの」って意味なのかなぁ?

「……」

夕方も伝さんの散歩があるから、その時に伝さんに懐こう。そうしよう。犬には魔除けの力があるという。それにしても。

「……あの仏像が、一番気難しくて危ないんじゃないかな?」

木の根元に、ぽつんと落ちていた仏像。あんなところに放置するには忍びないと思い、拾おうとして……。

穏やかな顔をしていたな。

店主の話が本当だとして、あの男は何をしてそんなに怒らせたんだろう。──そう考えると、やっぱりあの男が一番怖いと思う。元々からの存在自体がまるで……

「……呪物」

自分で考えついて怖くなってしまった。二の腕に鳥肌が……。いかん、早く帰ろう。そんで、野菜をたっぷり入れたラーメン食べよう。腹が減ってるから妙なこと考えてしまうんだ。よし、卵とハムも乗せちゃうぞ! あんな、仏の顔ライフを三つとも使い切って、マイナス積み上げてるらしい男のことなんか知らない。知る価値も無い。俺は、俺の仕事を頑張るのみだ。

夏の空は、明るすぎるくらい明るい。こんな明るい真昼間に、隠れ鬼をし続ける仏像に、俺は何をか祈ろうとしていた。

──願わくば、全ての不心得者が、改心して真人間になりますように……。
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