第197話 寄木細工のオルゴール 35

文字数 2,063文字

「怨霊になるのは勝手ですが、僕や何でも屋さんを恨むのは筋違いです。僕は八年前に先代と一緒に止めたし──何でも屋さんは何も知らなかった。仮に知っていたとしても止めなきゃいけない筋合いはありませんよ」

いい大人が、赤い炭火の埋もれた灰の中に手を突っ込んで、宝探しするとは思わないでしょう? そんなふうに言う。

「火が熱いことを知っているはずなのに、自分だけはその火で火傷しない、大丈夫、なんて根拠のない自信にあふれているような人間は、止めても聞く耳を持ちません。危険だからと止めても憎悪の目を向けられるだけ」

「……」

俺はふと、何年も前の有名な水の事故を思い出した。温帯低気圧の近づく中起こった、避けられたはずの水難。川の中洲にテントなんか張るのは危ないのに、地元の人の忠告も、消防や警察の再三の警告も聞かず、結局はそこにいた大半が、自らの無知と根拠のない傲慢の犠牲になった。親を選べない子供だけが可哀想だった……。

これは水の事故だけど、人にどう言われようとも、自分が痛い目に遭うその時まで、自分の侮っているものの本当の恐ろしさが理解できない人間は、確かに存在する。そして、何故かそういう者にかぎって……。

「当然の帰結として火傷をしたら、どうして火が熱いことを教えてくれなかった? と逆恨みしてくるだけですよ。そういう人は決して自分の非を認めない。運よく火傷をしなければ、それは自分の手柄。──何でも良いことは自分の功績で、悪いことは他人のせいだと、その人の中ではそういうことになっている」

……うん、そんなふうに考えるんだよね。どうしてそういう都合のいいことになるのか、全く理解できないけれども。

「自業自得という言葉と自分は無縁だと思っているから、恥ずかしげもなく他人を責められる。──だから、彼女もあんな浅ましい姿を……晒しに来れたんでしょうよ」

「……」

真久部さん、怪しくも胡散臭くもない、感情も何も伺えない官女の笑みで、いつになく辛辣……。っていうか、切り捨てちゃってるように感じられる。この人のこんな面は珍しいから、清美さんとは何かよほどのことなり、遣り取りなりがあったんだろうな、と想像するだけだけど……。

「──先代は、子供たち三人とも大切に思ってらっしゃったんですよ……。清美さんも、性格に難はあっても、それは親の自分の育て方が悪かったせいだと、苦笑いしてらっしゃいました。いつも不満ばかり言ってるけど、それは本人の問題で、結婚して、子供もいて、傍からみれば何不自由のない暮らしをしてるんだから、親としてはそれで満足だとね」

疲れたように溜息を吐く。

「僕がこのオルゴールの話を先代にしなければよかったのかもしれませんね、あの日、椋西のお宅に持って伺わなければ……」

──辛辣なのは自分に対して。切り捨てようとして切り捨てられないのは、自分の後悔。そういうことなのかな……。でも、真久部さん。

「もし先代にコレの話をしなければ、コレは今でも“鳴らない開かないオルゴール”のままだったんじゃないですか?」

ちょっと怖いけど、俺は手元にオルゴールを寄せて、蓋の開いた箱の底の、鍵の頭のような螺子を巻いてみた。意外に心地よい手ごたえで、スムーズに巻ける。巻きすぎると壊れるから適当なところで手を離すと、螺子が巻き戻りながらあのきれいなメロディを奏ではじめた。

「……」

そんな俺の行動に、ちょっと驚いたように瞬きしていた真久部さんだけど、流れ始めた曲には耳を傾けているようだった。

「俺、思うんですけど……。もし真久部さんがコレと出会わずその存在を知らず全く何の関係もなくても、清美さんはどこか別のとき別の場所でこのオルゴールと再会したんじゃないかなぁ……。で、やっぱり開けようとして、やっぱり失敗してたと思いますよ。だって、悪縁も縁で、それが強ければ、いくら見えないようにしておいてもやっぱり引きつけられてしまうって、そう言ってたじゃないですか。ロミオとジュリエットみたいに」

運命ってわからないけど、縁というものはあると思う。今回のこれは清美さんの縁で、言ってみれば清美さんの運命だったんだ。なら、真久部さんにどうにかできることじゃない。

「自分を責めないでくださいよ……。きっと先代もそんなこと望んでないですよ」

コレには二度と関わるなと、父がどれだけ諭しても聞かず、顔を見れば止められるからとおかしな手を使って真久部さんを遠ざけ、自分の意思でここに来て、自分の意思で不幸で不運(ハードラック)な運命への扉を開けた。──後からそんなつもりはなかったと言っても、通用しない。世の中、そんな都合よくいくわけがない。

「そりゃ、俺だってさっきのは怖かったし……、気の毒だとは思います」

今は何かが麻痺してるみたいに平静を保ってられるけど、今夜はオルゴールのせいでない悪夢を見そうで、怖い。全身血まみれの……。

思わず頭を振ってしまう。アレ思い出したらダメだ。

「でも、親心も厚意も無視して、どんなに止めても止められてもそれをやってしまったんなら、誰でもない、その本人の責任です」
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