第248話 別金魚は屋敷神
文字数 2,095文字
「禁忌……」
やってはいけないこと。タブー。
「皿の金魚は出て来ることができない。ならば、他の金魚はどうか──そのように考えたんでしょうね」
「他の金魚?」
水無瀬家の道具類には魚の意匠が多いって、そういえばさっき真久部さん言ってたっけ。
「家宝の皿以外にも、力のある道具があったんでしょうか?」
「いいえ……そうだったら良かったんですが」
現在もそれなりの力を持つものがあるけれど、家宝の皿には遠く及ばないという。
「でも、ほかの金魚っていっても……あっ、もしや、池のリアル金魚を……」
頭をよぎる、口元血まみれの猫耳老婆の影──。招き猫の呪物の台座内側に、水無瀬さんの名前を書いた人形 を縫い留めていたという黒い釘は、猫の血で染められたものではなかったか。その形の生き物 を使った呪術があるなら、金魚も……。
「いや、そういう血腥い方向じゃないですよ」
何を想像したのか、俺の顔色から正確に把握したらしい真久部さんは、あっさり否定した。
「甥の危機に、池の金魚の命で間に合うなら、叔父さんは迷わずそうしていたでしょうがね……。だけど、そんな方法も知らなかったでしょうし、知っていたとしても時間は無かった。だから、水無瀬家の屋敷神のご神体を使ったと、僕は推測しました」
「屋敷神……」
昔、夏休みに、数人の友人たちと一緒にそのうちの一人の実家にお邪魔したときのことを思い出した。そこは有名な清流の近くにある普通の農家だったんだけど、庭の隅に木造の小さなお社があったんだ。神社の家系なのかと聞いてみたら、ただの屋敷神だからそんなことはないという。
こういうのはこの辺りじゃ格別珍しいものでもないと言われて、そういうもんなのかと思いつつ、みんなで清流に泳ぎに行く途中気をつけて見ていると、本当にどこの家の敷地にもあった。
「……水無瀬さんのお宅に、そんなお社みたいなのってありましたっけ?」
俺は気づかなかったけど──、友人実家の辺りだと、庭じゃなくて畑の隅に作られたのもあったから、水無瀬家の屋敷神もそんな感じで外にあるんだろうか。
「ああ……何でも屋さんは、大きな神社の敷地にある小さなお社みたいなものを想像してるんですね。そういう形のところもありますが、石でできた祠のような形のところもありますよ。そこは土地により家により様々に。水無瀬家の屋敷神は目立たない祠タイプで、池の畔 にあるんです」
「池、ですか……?」
俺、あそこに座って、底のほうで冬眠してる金魚をさんざん眺めてたけど、全然気づかなかったなぁ。
「池のすぐ近くに、橘の木があるでしょう? その根方にあるんですよ、木に埋もれるようにして」
「そういえば、太い根のあいだが窪んだようになってたような……」
光の加減で、ちょっと洞 っぽく暗く見えるところがあったような気がする。もしかして、そこですか? とたずねてみると、正解です、と真久部さんはうなずいた。
「正式に参拝するためには、池の中に入らないといけない仕様になっています」
「うっ……冬だと辛いですね」
金魚ですら、水が冷たくて動けないのにさ。
「水無瀬さんによると、年に一度の御祭は七月だとか。でも、今は簡易に済ませているそうですよ。今回、そこを確認する必要を感じたので、中を見せていただきました」
「え? まさか真久部さん、池に入ったんですか?」
俺は思わずまじまじと、目の前の顔を見つめてしまった。いつもの読めない表情を浮かべてる。この季節、ラクダのシャツとラクダのパッチをご愛用、ちょいと地味な男前、寒がりらしい真久部さん。その真久部さんが、端に氷の張るような冷たい水の中に……?
「まさか。足場を渡してもらいましたよ」
澄ました顔で言う。お孫さんが買ったはいいけど、一度も使わなかったサーフボードを水無瀬さんが預かっていたのを、離れの土間から発見して許可を得、それを池の縁に引っ掛けて渡したらしい。
「踏ん張ると落っこちそうで、怖かったですけどね」
まあ、水無瀬さんのため、引いては水無瀬家のためにすることなので、そこのところは屋敷神様に事前によくお願いしましたけど、と食えない笑みで微笑んだ。──丸め込まれてしまったのかな、屋敷神様……。
つい遠い目をしているうちにも、話は続いている。
「苦労して、なんとか石の台座を開けてみると、僕が考えていたとおりのものが出てきました」
「ど、どんなものですか?」
水無瀬家の屋敷神のご神体……でっかい魚のミイラとか……? 怪奇・鯉のミイラ、とか考えちゃうと個人的に怖いけど、それってただの干物かも。いや、どっかのお寺にある人魚のミイラは、猿と魚で作ってあると聞いたことがあるような。もしかしてそういうのだったらちょっと珍しいかも……?
うっかりつまらないことを想像して慄いてしまった俺の心を知ってか知らずか、特に珍しいものではないですよ、と真久部さんは首を傾げてみせる。
「考えていたとおりのもの、というか、考えていたとおりの状態のものでした。石です、ただの割れた石……。まあ、あれはどうやら柘榴石のようですが」
ただの石と聞いて何となくホッとしたけど、割れていたというのは只事ではない、ような気がする。
やってはいけないこと。タブー。
「皿の金魚は出て来ることができない。ならば、他の金魚はどうか──そのように考えたんでしょうね」
「他の金魚?」
水無瀬家の道具類には魚の意匠が多いって、そういえばさっき真久部さん言ってたっけ。
「家宝の皿以外にも、力のある道具があったんでしょうか?」
「いいえ……そうだったら良かったんですが」
現在もそれなりの力を持つものがあるけれど、家宝の皿には遠く及ばないという。
「でも、ほかの金魚っていっても……あっ、もしや、池のリアル金魚を……」
頭をよぎる、口元血まみれの猫耳老婆の影──。招き猫の呪物の台座内側に、水無瀬さんの名前を書いた
「いや、そういう血腥い方向じゃないですよ」
何を想像したのか、俺の顔色から正確に把握したらしい真久部さんは、あっさり否定した。
「甥の危機に、池の金魚の命で間に合うなら、叔父さんは迷わずそうしていたでしょうがね……。だけど、そんな方法も知らなかったでしょうし、知っていたとしても時間は無かった。だから、水無瀬家の屋敷神のご神体を使ったと、僕は推測しました」
「屋敷神……」
昔、夏休みに、数人の友人たちと一緒にそのうちの一人の実家にお邪魔したときのことを思い出した。そこは有名な清流の近くにある普通の農家だったんだけど、庭の隅に木造の小さなお社があったんだ。神社の家系なのかと聞いてみたら、ただの屋敷神だからそんなことはないという。
こういうのはこの辺りじゃ格別珍しいものでもないと言われて、そういうもんなのかと思いつつ、みんなで清流に泳ぎに行く途中気をつけて見ていると、本当にどこの家の敷地にもあった。
「……水無瀬さんのお宅に、そんなお社みたいなのってありましたっけ?」
俺は気づかなかったけど──、友人実家の辺りだと、庭じゃなくて畑の隅に作られたのもあったから、水無瀬家の屋敷神もそんな感じで外にあるんだろうか。
「ああ……何でも屋さんは、大きな神社の敷地にある小さなお社みたいなものを想像してるんですね。そういう形のところもありますが、石でできた祠のような形のところもありますよ。そこは土地により家により様々に。水無瀬家の屋敷神は目立たない祠タイプで、池の
「池、ですか……?」
俺、あそこに座って、底のほうで冬眠してる金魚をさんざん眺めてたけど、全然気づかなかったなぁ。
「池のすぐ近くに、橘の木があるでしょう? その根方にあるんですよ、木に埋もれるようにして」
「そういえば、太い根のあいだが窪んだようになってたような……」
光の加減で、ちょっと
「正式に参拝するためには、池の中に入らないといけない仕様になっています」
「うっ……冬だと辛いですね」
金魚ですら、水が冷たくて動けないのにさ。
「水無瀬さんによると、年に一度の御祭は七月だとか。でも、今は簡易に済ませているそうですよ。今回、そこを確認する必要を感じたので、中を見せていただきました」
「え? まさか真久部さん、池に入ったんですか?」
俺は思わずまじまじと、目の前の顔を見つめてしまった。いつもの読めない表情を浮かべてる。この季節、ラクダのシャツとラクダのパッチをご愛用、ちょいと地味な男前、寒がりらしい真久部さん。その真久部さんが、端に氷の張るような冷たい水の中に……?
「まさか。足場を渡してもらいましたよ」
澄ました顔で言う。お孫さんが買ったはいいけど、一度も使わなかったサーフボードを水無瀬さんが預かっていたのを、離れの土間から発見して許可を得、それを池の縁に引っ掛けて渡したらしい。
「踏ん張ると落っこちそうで、怖かったですけどね」
まあ、水無瀬さんのため、引いては水無瀬家のためにすることなので、そこのところは屋敷神様に事前によくお願いしましたけど、と食えない笑みで微笑んだ。──丸め込まれてしまったのかな、屋敷神様……。
つい遠い目をしているうちにも、話は続いている。
「苦労して、なんとか石の台座を開けてみると、僕が考えていたとおりのものが出てきました」
「ど、どんなものですか?」
水無瀬家の屋敷神のご神体……でっかい魚のミイラとか……? 怪奇・鯉のミイラ、とか考えちゃうと個人的に怖いけど、それってただの干物かも。いや、どっかのお寺にある人魚のミイラは、猿と魚で作ってあると聞いたことがあるような。もしかしてそういうのだったらちょっと珍しいかも……?
うっかりつまらないことを想像して慄いてしまった俺の心を知ってか知らずか、特に珍しいものではないですよ、と真久部さんは首を傾げてみせる。
「考えていたとおりのもの、というか、考えていたとおりの状態のものでした。石です、ただの割れた石……。まあ、あれはどうやら柘榴石のようですが」
ただの石と聞いて何となくホッとしたけど、割れていたというのは只事ではない、ような気がする。