第309話 藤花の季節 4

文字数 2,004文字

「道具?」

「ああ、コレさ」

そう言って、伯父さんは傍らの信玄袋から布包みを取り出した。表側が縮緬、裏が絹地でできた袱紗の中から出てきたのは、ひと目見ただけで息を呑む美しさの──。

(かんざし)、ですか?」

それは二本足の扇のような形をしていて、平たい飾りの部分には、螺鈿細工の小花が散りばめられている。淡い虹色の光をまとった花々に、小粒の輝石や真珠などが輝きを添え、素人目にもとても高価な品物に見えた。

「そうだよ。駆け引きの末、彼女の言い値で買ったんだ。どうやらあんまり価値がわかってないみたいで、驚くほど安く手に入れられた。名のある職人の手掛けたものだから、そうだねぇ、どっかの鑑定団に出したら七桁は軽くいくんじゃないかな? それを、ねぇ。彼女は吹っ掛けたつもりだろうけども」

初心なことだ、とにったり笑う伯父さんは、よほどその駆け引きとやらが楽しかったらしい。目を細め、ご機嫌な様子で、自分用に淹れたらしいコーヒーを啜りながら、思い出しの含み笑いをしている。

「……」

そんな意地悪仙人全開な姿にドン引きしつつ、いくらで買ったのかな……と思いはしたものの、聞くのは止めておくことにした。だってさ、あからさまに誘ってるんだもの、そういう質問を。

俺が乗ってこないとわかったからか、読めない笑みを浮かべつつ、伯父さんはまた話し始めた。

「まあね、だからサービスだよ。本来、彼女が得られるはずだった代金のぶんのさ。この簪だって、とても面白いことを()()()()()()()()ぇ」

聞けば、簪の元の持ち主は女系で続いた旧家の当代らしく、この簪も、代々の女主人に受け継がれてきた道具のひとつなのだという。そんな古い家の、昔むかしのその昔の出来事を、いろいろたくさん語って聞かせてくれて、興味深かったよと伯父さんがニヤリと笑うから、俺は顔を引き攣らせた。

このヒトには、とても悪趣味な趣味がある。それは、“骨董古道具の声を聞く”というものだ。

年経た道具たちが見聞きしてきた、人々の営み、諍い、恋模様、歴史の大事件の裏側。そういったことを聞き出して、聞き出したまま、そのままを己の胸にだけ秘めておくという、常人にはよくわからない愉しみ。そのためにわりと手段を選ばないところがあると、甥っ子の真久部さんはいつも苦い顔をしている。

「ソレハヨカッタデスネ」

棒読みで、俺は答えた。好奇心は猫をも殺すというけれど、俺は猫にはなれない。だって、離れて暮らす可愛い娘の成長を見守りたいし、彼女がいつか幸せな結婚をするのを見届けたい。孫の顔を見るまでは、俺は元気に生きていたいんだ。曾孫の顔だって見たいと思っている。

「……話し甲斐がないねぇ」

古くも、美しい道具。長い年月丁寧に手入れされることで、さらに美しくなっていったのであろうその簪から、どんなことを聞いたのかと、尋ねてもどうせはぐらかして俺の反応を見て楽しむだけだろうに、口調だけは残念そうだ。

「ちょっとくらい、興味を示してくれてもいいのに」

「いやあ、はは。俺ってば、ホント常識好きのつまらない男なもので」

だから、底の見えない得体の知れない世界に、引きずり込もうとするのはやめてください。

「その簪は確かに見事だし、とても素晴らしい古美術品だとは思いますけど、本題はそれじゃないんじゃないですか?」

古道具の語る昔話、なんて非現実なことから離れたくて、俺はそう言ったんだけど。

「いやあ、これはしたり」

わざとらしく声を上げ、伯父さんは自分の額をぺちりと叩いた。

「私の悪い癖だ、つい話が寄り道してしまう。そうだねぇ、何でも屋さんだって、私が物々交換で何を手に入れたのか、知りたいよねぇ?」

滲み出る、無邪気な邪気。罠にかかった獲物を見るような、甚振るような──。

「……!」

しまった、と思ったときには遅かった。俺、言わされたんだ、伯父さんが、本当はいま一番聞かせたかった話、怖がりな俺が、一番聞きたくないであろう話を、聞かせてほしいと。

俺の、青くなっているであろう顔を楽しそうに眺めながら、伯父さんは続ける。

「能天気な浮気者の夫をさぁ、物理的に殴るのは私には無理だけど、精神的に懲らしめたいというなら、面白いし、それなりに心当たりもあってね。なに、それも別の()()から教えてもらったんだが」

白い髭の下、唇の両端を吊り上げて、意地悪仙人がニッタリと笑った。




──深い深い山の中に、それは美しい場所があるという。

一面にむらさきの藤の花咲く、楽園のようなところ。樹冠を覆うほどに繁った蔓や葉のせいで、陽射しは柔らかく、芳しい花の香りが立ちこめる。風が吹くと花房が揺れ、穂先からほろほろと小さな花をこぼす。

重なる葉や花の影には、その美しさとは裏腹、太く節くれだった根が、絡み合った蛇のように這う。黒々としたそれは、あるいは曲がり、あるいは土の下に隠れてうねくり、静かに何かを待っている。

空から、白鷺がやってきた。何か獲物を見つけたのだろうか?
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