第302話 疫喰い桜 16
文字数 2,134文字
あんなにヌメヌメてらてらイキイキとテカッってたのに。
「どうしたんですか、コレ……」
「ん? ──ああ、これか。単純に中 ったんだよ」
あたる? 何に? 全然わかってない俺に、伯父さんはこともなげに教えてくれる。
「報恩謝徳の桜にさ」
「へ? さっき、吐いてましたよね?」
水撒きのホースみたいに振り回されて、無理やりに。盛大にオエーッっと、ふわふわきらきら淡く輝く薄紅色を、たくさんたくさん──。
「だって、あんなに美しくて純粋でそして清いものを、一時とはいえ大量に取り込んでいたんだよ? そりゃ、吐いたって影響は残るさ」
食中りしたら、我々だって吐けばたちまちスッキリ、というわけにはいかないだろうと言いつつ、伯父さんは慣れた手つきで木彫りの鯉に紐を通し、それを頭から被って、シャツの襟の下、ループタイとしての定位置に戻す。
「普 通 の 悪性持ちなら、とうに我楽多になり果ててしまっているはずだが、コイツだからこの程度で済んでいる。しぶといヤツだ」
まあ、本 人 が喰ってみたかったというんだから、しょうがないねぇ、と伯父さんは軽く溜息をつく。
「あ、そうか! あの“鬼”みたいなの、たくさん食べて取り込んでいたら、いつか竜になれるんでしたね」
この人と、この悪食鯉に初めて会ったあの日を思い出す。伯父さんも俺も、昔からその地に棲む“悪いモノ”に引っ張られてたんだよな。だけど、ほんのちょっとしたことで伯父さんは脱落、俺はそのまま引っ張られて……慈恩堂の真久部さんに頼まれて運んでいた鯉の自在置物が、逆に“悪いモノ”を喰らって竜に成り上がり、ループタイの悪食鯉はその機会を逃したんだ。
「まあねぇ、普 通 はそうなんだが」
「……」
普通って、何だろう──? ちょっと遠い目になってしまう俺を横目で楽しそうに見ながら、伯父さんは続ける。
「こ こ では無理だよ」
「え? なんでですか?」
「どうしたって報恩謝徳の桜ごと食べることになるからさ」
「あれ? でも……」
一緒に食べて中ったかもしれないけど、栄養(?)になる“鬼”だけぜんぶ濃し取ったんだよな。海水? に当たる桜は吐き出して……。ジンベイザメのプランクトン捕食のように。
「ここの桜は、地蔵菩薩の徳に感謝し恩に報いんとする気持ちから生まれたものだと教えたよね? 親と子と、鬼との」
「はい」
「何度も言うが、きれいな、きれいなものだ。人の魂に乗って侵入してきた“鬼”どもに蝕まれようと、その美しさは変わらない。きれいなまま、儚くも消えかけていたところを、コイツが“鬼”ごと呑み込んだわけだが──」
あのラーメン屋、今 日 の と こ ろ は <走りぎんなん>での出来事を、思い出してごらんと言う。
「私のぶんの水を横取りした後、何でも屋さんにはこの悪食めが、どんなふうに見えたかい?」
「……ツヤというかテカりというかが、少しだけ落ち着いたように見えました」
店主の出してくれた、すごく甘露だった水。俺が飲むのが美味そうだからって、どうやってか知らないけど鯉のヤツも伯父さんのコップを空にして……。
「あの……悪食で、何でも食べるという性 に合わせて鯉の形に彫ってもらったって聞いてますけど……もしかして、その、こ ち ら の 主 様 由 来 のものみたいな、有り難かったりきれいだったりするものって、実は苦手だったりします?」
俺の遠回しな言い方に、伯父さんがニッタリと笑う。
「苦手どころか。コイツにとっては毒だよ。中るんだし」
「え? それを自分でわかってないなんてことは──」
「ないね。コイツはちゃあんとわかっているよ。それでも食べたいんだよ」
ぺちん、と鯉のヤツを指で弾く伯父さん。
「あー……人間でいうと、ポテチとか、ああいうジャンクな食べ物的な感じ、でしょうか?」
身体に悪い食べ物ほど、美味しいっていうよなぁ。ビールにフライドポテトとか、マヨネーズたっぷりのポテトサラダ、カラッと揚がってるけど衣の厚いエビフライ──。
「んー、ちょっと違うねぇ。食べても、コイツにとっては不味いようだよ。それでも食べる」
「なんで……?」
素でたずねてしまう。美味しくてついつい、ってんならわかるけど、不味くて、しかもからだに合わないのに?
「食べたいからだ」
「へ?」
「そこに、コイツにとって食べてみたいものがあるなら、何でも食べる。多少身に障ろうが、中ろうが、関係ないらしい。食べたいから食べる、ただそれだけだと言っている」
「うーん……」
そんな、『そこに山があるからだ』みたいな。登山家のマロリー卿をリスペクトしてるのか、お前は。
「ってことは、今テカりが消えて見えるのは、宿酔いで顔が蒼ざめてるみたいな感じで……?」
大量にリバースしたもんなぁ。
「それもあるけど、どちらかというと浄化されかかったのが大きいね。好物の“鬼”を、それこそ竜に成れるほど喰ったけど、同時に報恩謝徳の桜も大量に喰らった。そのせいで、プラマイゼロどころかマイナスになっているのさ」
「……」
「腹には溜まらないし、毒になるけれど、それでも食べる。わかっていて食べる。食べただけで満足という、筋金入りの貪欲さだよ」
さすがは桜の身に生まれながら鯉の性 を宿した世にも稀な徒花よな、と伯父さんは、褒めてるのか貶してるのかどちらともつかない声音で言い、面白げに笑った。
「どうしたんですか、コレ……」
「ん? ──ああ、これか。単純に
あたる? 何に? 全然わかってない俺に、伯父さんはこともなげに教えてくれる。
「報恩謝徳の桜にさ」
「へ? さっき、吐いてましたよね?」
水撒きのホースみたいに振り回されて、無理やりに。盛大にオエーッっと、ふわふわきらきら淡く輝く薄紅色を、たくさんたくさん──。
「だって、あんなに美しくて純粋でそして清いものを、一時とはいえ大量に取り込んでいたんだよ? そりゃ、吐いたって影響は残るさ」
食中りしたら、我々だって吐けばたちまちスッキリ、というわけにはいかないだろうと言いつつ、伯父さんは慣れた手つきで木彫りの鯉に紐を通し、それを頭から被って、シャツの襟の下、ループタイとしての定位置に戻す。
「
まあ、
「あ、そうか! あの“鬼”みたいなの、たくさん食べて取り込んでいたら、いつか竜になれるんでしたね」
この人と、この悪食鯉に初めて会ったあの日を思い出す。伯父さんも俺も、昔からその地に棲む“悪いモノ”に引っ張られてたんだよな。だけど、ほんのちょっとしたことで伯父さんは脱落、俺はそのまま引っ張られて……慈恩堂の真久部さんに頼まれて運んでいた鯉の自在置物が、逆に“悪いモノ”を喰らって竜に成り上がり、ループタイの悪食鯉はその機会を逃したんだ。
「まあねぇ、
「……」
普通って、何だろう──? ちょっと遠い目になってしまう俺を横目で楽しそうに見ながら、伯父さんは続ける。
「
「え? なんでですか?」
「どうしたって報恩謝徳の桜ごと食べることになるからさ」
「あれ? でも……」
一緒に食べて中ったかもしれないけど、栄養(?)になる“鬼”だけぜんぶ濃し取ったんだよな。海水? に当たる桜は吐き出して……。ジンベイザメのプランクトン捕食のように。
「ここの桜は、地蔵菩薩の徳に感謝し恩に報いんとする気持ちから生まれたものだと教えたよね? 親と子と、鬼との」
「はい」
「何度も言うが、きれいな、きれいなものだ。人の魂に乗って侵入してきた“鬼”どもに蝕まれようと、その美しさは変わらない。きれいなまま、儚くも消えかけていたところを、コイツが“鬼”ごと呑み込んだわけだが──」
あのラーメン屋、
「私のぶんの水を横取りした後、何でも屋さんにはこの悪食めが、どんなふうに見えたかい?」
「……ツヤというかテカりというかが、少しだけ落ち着いたように見えました」
店主の出してくれた、すごく甘露だった水。俺が飲むのが美味そうだからって、どうやってか知らないけど鯉のヤツも伯父さんのコップを空にして……。
「あの……悪食で、何でも食べるという
俺の遠回しな言い方に、伯父さんがニッタリと笑う。
「苦手どころか。コイツにとっては毒だよ。中るんだし」
「え? それを自分でわかってないなんてことは──」
「ないね。コイツはちゃあんとわかっているよ。それでも食べたいんだよ」
ぺちん、と鯉のヤツを指で弾く伯父さん。
「あー……人間でいうと、ポテチとか、ああいうジャンクな食べ物的な感じ、でしょうか?」
身体に悪い食べ物ほど、美味しいっていうよなぁ。ビールにフライドポテトとか、マヨネーズたっぷりのポテトサラダ、カラッと揚がってるけど衣の厚いエビフライ──。
「んー、ちょっと違うねぇ。食べても、コイツにとっては不味いようだよ。それでも食べる」
「なんで……?」
素でたずねてしまう。美味しくてついつい、ってんならわかるけど、不味くて、しかもからだに合わないのに?
「食べたいからだ」
「へ?」
「そこに、コイツにとって食べてみたいものがあるなら、何でも食べる。多少身に障ろうが、中ろうが、関係ないらしい。食べたいから食べる、ただそれだけだと言っている」
「うーん……」
そんな、『そこに山があるからだ』みたいな。登山家のマロリー卿をリスペクトしてるのか、お前は。
「ってことは、今テカりが消えて見えるのは、宿酔いで顔が蒼ざめてるみたいな感じで……?」
大量にリバースしたもんなぁ。
「それもあるけど、どちらかというと浄化されかかったのが大きいね。好物の“鬼”を、それこそ竜に成れるほど喰ったけど、同時に報恩謝徳の桜も大量に喰らった。そのせいで、プラマイゼロどころかマイナスになっているのさ」
「……」
「腹には溜まらないし、毒になるけれど、それでも食べる。わかっていて食べる。食べただけで満足という、筋金入りの貪欲さだよ」
さすがは桜の身に生まれながら鯉の