第238話 滑ったボケはなかったことに
文字数 1,959文字
自信を持って言ったのに、真久部さんはちらっと目だけで笑って首を傾げてみせる。
「うーん、ちょっと違うかなぁ」
え……違うの?
「じゃあ、その……やっぱり盗み、いや、そうじゃなくて……ちょっと借りようとした、とか──?」
声が尻すぼみになってしまう。だってさ、真久部さんの唇の両端が胡散臭く上がっていって……。
「助けに、って言ったのに。──うーん、常識人 の何でも屋さんには、ちょっと考えつかないことなのかもしれませんねぇ」
常識人、のあたりに何やら軽い揶揄を感じるけど、知らん顔しておこう。
「いやー、俺なんかに難しいこと、わかるわけないじゃないですか」
そう言って無理に明るく笑っておくと、似たようなわざとらしい笑みを保ったまま、目の前の地味な男前はぽそっと何か呟いた。「わからないふりしてるくせに」って聞こえたような気がするけど、スルー、スルー。
「──まあ、簡単に言ってしまうと、あの招き猫、あれが水無瀬家の家宝の皿に描かれた金魚を虎視眈々と狙っていて、それに気づいた叔父さんが救出のために蔵に向かったんだと僕は考えています」
あれ、猫だから<猫視眈々>になるのかなぁ──、なんて珍しくボケてる真久部さん。反応に困った俺が沈黙しているとちょっと寂しそう……だけど、上手いツッコミを思いつかないので、知らない顔をさせておいてください。
「──真久部さんは、さっきあれを呪物だって言いましたけど」
俺はあんまり見ないようにして、招き猫エリアの新入りを指差した。小判じゃなくて、魚みたいな何かを持ってるほうのアイツ。
「あれって水無瀬家の家宝を呪う? ためのものだったんですか? どうしてそんなものが蔵に……」
「呪いの対象は、幼い水無瀬さんでした」
滑ったボケは無かったことにしたらしく、真久部さんはいつも通りの表情で教えてくれたけど、そんなこと聞かされたら胸の奥がヒヤッとしてしまう。──今はもう無害なんだろうけど……。
「じりじりと生命力を削っていたようですよ。皿の金魚は、その邪魔だったからというのと──まあ、猫ですからねぇ。猫って、たいがい金魚を狙うものじゃないですか?」
おそらく、術者はそのために呪物を猫の形にしたんでしょうけど、と続ける。
「あの招き猫、魚を持ってるでしょ? その裏に水無瀬さんの名前が書いてあったんですよ。それだけなら、まだただの縁起物かと思えますけど──填め込みの薄い木製台座を外してみたら、裏側にはびっしりと呪詛の言葉が連ねてあってねぇ、禍々しいのなんの。それだけでも良くないのに、台座裏中央には小さな木釘で打ち付けられた人形 が──」
紙で作られたそれにも、水無瀬さんの名前が書かれていたという。
「また、その木釘というのが多分、血に浸して作ったもののようでねぇ。真っ黒」
「!……」
ひいいいい、呪物怖い! と震え上がってたら、おそらく猫の血だと思います、とさらっと情報が追加されてしまった。
「そ、それってこ、こ──、猫を……」
殺した、とは言いたくなかった。けど……。
「──己の欲望の前に、小さな命を奪うことを何とも思わない人間は、残念ながら存在します」
……言わなかった言葉を肯定して、真久部さんは目を伏せた。
「……」
「効果を高めるためでしょうね、呪詛者の名前も書いてありました。僕もそう詳しいわけじゃないのでよくわかりませんが、多分それはアンテナみたいな働きをしてたんじゃないかと──」
呪詛者の送った念を受けて、増幅するような形だったんじゃないかな、とつけ加えた。
「その名前というのが、<白浪>の人と同じものだったんですよ。お祖父様の書付に、最多で登場していた人の名前と」
<白浪>、つまり水無瀬家の蔵の特性を利用することにより、矯正が期待された手癖の悪い人たち。怖い目に遭って、ほとんどは一度で懲りたようなのに、一人だけ、何度蔵に怒られても懲りなかったらしき人がいたという。
「その人が作ったんですか、呪物……」
「おそらく」
「何でそんなこと……」
蔵はともかく、当時ならば寝場所を与えてもらって、食べさせてもらえるだけでありがたかったんじゃないだろうか。そんなふうに何度も世話になったお家の息子さんに、何で……。
「想像するしかないけど、逆恨みじゃないかなぁ」
真久部さんは言う。
「名前に<白浪>付きの人は、そのほとんどが本人の意思とは関係なしに水無瀬家に預けられたと考えられます。もちろん真の理由は伏せて。たいがいは貧しいか、楽ではない境遇で、水無瀬家にいるあいだは、言われた仕事をやりさえすればそれなりに食べさせてもらえるわけだから、ありがたくまでは思わなくても、悪くは思わなかったでしょうが──、呪物の作成者となった人は、彼らとは違って裕福な家の出であり、それ故、他人の家で働かされるのを不満に思っていたと考えられます」
「うーん、ちょっと違うかなぁ」
え……違うの?
「じゃあ、その……やっぱり盗み、いや、そうじゃなくて……ちょっと借りようとした、とか──?」
声が尻すぼみになってしまう。だってさ、真久部さんの唇の両端が胡散臭く上がっていって……。
「助けに、って言ったのに。──うーん、
常識人、のあたりに何やら軽い揶揄を感じるけど、知らん顔しておこう。
「いやー、俺なんかに難しいこと、わかるわけないじゃないですか」
そう言って無理に明るく笑っておくと、似たようなわざとらしい笑みを保ったまま、目の前の地味な男前はぽそっと何か呟いた。「わからないふりしてるくせに」って聞こえたような気がするけど、スルー、スルー。
「──まあ、簡単に言ってしまうと、あの招き猫、あれが水無瀬家の家宝の皿に描かれた金魚を虎視眈々と狙っていて、それに気づいた叔父さんが救出のために蔵に向かったんだと僕は考えています」
あれ、猫だから<猫視眈々>になるのかなぁ──、なんて珍しくボケてる真久部さん。反応に困った俺が沈黙しているとちょっと寂しそう……だけど、上手いツッコミを思いつかないので、知らない顔をさせておいてください。
「──真久部さんは、さっきあれを呪物だって言いましたけど」
俺はあんまり見ないようにして、招き猫エリアの新入りを指差した。小判じゃなくて、魚みたいな何かを持ってるほうのアイツ。
「あれって水無瀬家の家宝を呪う? ためのものだったんですか? どうしてそんなものが蔵に……」
「呪いの対象は、幼い水無瀬さんでした」
滑ったボケは無かったことにしたらしく、真久部さんはいつも通りの表情で教えてくれたけど、そんなこと聞かされたら胸の奥がヒヤッとしてしまう。──今はもう無害なんだろうけど……。
「じりじりと生命力を削っていたようですよ。皿の金魚は、その邪魔だったからというのと──まあ、猫ですからねぇ。猫って、たいがい金魚を狙うものじゃないですか?」
おそらく、術者はそのために呪物を猫の形にしたんでしょうけど、と続ける。
「あの招き猫、魚を持ってるでしょ? その裏に水無瀬さんの名前が書いてあったんですよ。それだけなら、まだただの縁起物かと思えますけど──填め込みの薄い木製台座を外してみたら、裏側にはびっしりと呪詛の言葉が連ねてあってねぇ、禍々しいのなんの。それだけでも良くないのに、台座裏中央には小さな木釘で打ち付けられた
紙で作られたそれにも、水無瀬さんの名前が書かれていたという。
「また、その木釘というのが多分、血に浸して作ったもののようでねぇ。真っ黒」
「!……」
ひいいいい、呪物怖い! と震え上がってたら、おそらく猫の血だと思います、とさらっと情報が追加されてしまった。
「そ、それってこ、こ──、猫を……」
殺した、とは言いたくなかった。けど……。
「──己の欲望の前に、小さな命を奪うことを何とも思わない人間は、残念ながら存在します」
……言わなかった言葉を肯定して、真久部さんは目を伏せた。
「……」
「効果を高めるためでしょうね、呪詛者の名前も書いてありました。僕もそう詳しいわけじゃないのでよくわかりませんが、多分それはアンテナみたいな働きをしてたんじゃないかと──」
呪詛者の送った念を受けて、増幅するような形だったんじゃないかな、とつけ加えた。
「その名前というのが、<白浪>の人と同じものだったんですよ。お祖父様の書付に、最多で登場していた人の名前と」
<白浪>、つまり水無瀬家の蔵の特性を利用することにより、矯正が期待された手癖の悪い人たち。怖い目に遭って、ほとんどは一度で懲りたようなのに、一人だけ、何度蔵に怒られても懲りなかったらしき人がいたという。
「その人が作ったんですか、呪物……」
「おそらく」
「何でそんなこと……」
蔵はともかく、当時ならば寝場所を与えてもらって、食べさせてもらえるだけでありがたかったんじゃないだろうか。そんなふうに何度も世話になったお家の息子さんに、何で……。
「想像するしかないけど、逆恨みじゃないかなぁ」
真久部さんは言う。
「名前に<白浪>付きの人は、そのほとんどが本人の意思とは関係なしに水無瀬家に預けられたと考えられます。もちろん真の理由は伏せて。たいがいは貧しいか、楽ではない境遇で、水無瀬家にいるあいだは、言われた仕事をやりさえすればそれなりに食べさせてもらえるわけだから、ありがたくまでは思わなくても、悪くは思わなかったでしょうが──、呪物の作成者となった人は、彼らとは違って裕福な家の出であり、それ故、他人の家で働かされるのを不満に思っていたと考えられます」