第70話 秋の夜長のお月さま 8

文字数 2,219文字

「竜が現れたんですか?」

愕然とした口調で訊ねてくる。

「え? あれもお地蔵様のイリュージョンですよね? 竜はまず、俺の幻より先に魚の姿で現れるという演出で──」

「え、演出……?」

店主はどうしてか、顎を外しそうなくらい驚いた表情で俺を凝視している。ん? 真久部さんたら自分でお地蔵さんのことを<凄腕の手妻師>とか言っておきながら、今更その手法にびっくりしてるのかな? 手品に演出はつきものじゃないか、もっとゼンジー北京やマギー司郎を見て勉強しないと。

「いや、あれは効果的でしたよ。どじょうすくい踊ってた俺の幻が、黒く蠢く<悪いモノ>に呑み込まれたとたん、空を遊弋していた魚が急降下。そのまま竜の姿になったかと思う間に、<悪いモノ>をぱくっと咥えてまた急上昇するという、強烈なタッチ・アンド・ゴーをかましてくれました」

あれは今思い出しても、溜息が出るくらい見事なものだった。

「月光の中を泳ぐ魚も、空を駆ける竜も素晴らしかったですよ。どっちも鱗が銀色に輝いて幻想的でねぇ……」

いやー、あんなリアルなイリュージョンはもう見られないだろうなぁ。CGなんか全く比べ物にならないね。

「<悪いモノ>は往生際悪く口の中から逃げようとしてましたけど、竜は逃さずバリバリっと噛み砕いて、ごっくん。そこだけギャグだったかもしれません」

──でも、あの断末魔は恐ろしかった。未だ脳裏に残る、耳にダプリと何かを流し込まれるような異様な感覚を思い出すと身の毛がよだつ。引っこ抜かれるときのマンドラゴラってああいう悲鳴を上げるんじゃないかな……。マンドラゴラなんか見たことないけど。

音響も凄かったよな、手妻地蔵……としみじみ思いながら店主を見ると、何故か絶句している。

「真久部さん?」

俺の顔をじーっと見たまま、何も言わない。

「ど、どうしたんですか? 俺の顔に何か付いてる?」

「……」

「真久部さん!」

「──あれは深く眠ってると思ったのに」

呻くようにそう呟いて、店主は帳場の和机に突っ伏してしまった。

「まさか、目を覚ますとは……」

え? 何? 何のこと?

いつも飄々としている店主の、こんな様子は見たことがない。俺は何だか不安になってきた。

「ほんと、どうしたんですか、真久部さん。俺、何か悪いことしました?」

もしかして、店主の言う<決まりごと>に触れるようなことしちゃった? でも、俺ちゃんと指示書守ったし、さっき店主も大丈夫だって言ったよな?

「──昨日、あの鞄を開けたりしませんでしたね?」

突っ伏したまま、店主が確認してくる。何を当たり前のことを。

「そんなことしませんよ。中は覗くなって言ったのは、真久部さんでしょ。鞄のまま萱野さんに渡しましたよ」

萱野さんも、その場で確認せずに鞄を別室に持って行ったし。だから、俺は結局自分が何を運んでたのか知らないんだ。俺の肩幅くらいの大きさの、けっこう重いものだったから、木彫りの仏像か何かだと思ってる。

もちろん、中身が何なのか知らないで運ぶなんて、普通はしない。怪しい品物……たとえば、白い粉とか銃とか、そういう法律に触れるようなもの持たされたらたまらないからさ。犯罪者になるわけにはいかない。俺には娘がいるんだから。

その点、同じアヤシイものでも、慈恩堂の<怪しい>は種類が違うから……。よく分からないけど、ピタゴラスイッチ的<決まりごと>の中に、知ってるor知らないが分岐になる部分があるんだと思ってる。店主が知らないほうがいい、っていうんなら、知らないほうがいいんだ、うん。盗品の類もないと思う。そこは店主を信頼してる。

「じゃあ……道中、何か変わったことは無かったですか?」

鞄に水をこぼすとか、と言われて、俺は否定した。

「大切な預かり物に、そんなことしませんよ。中身が何だか知らないけど、わざわざ人を使って送り届けるんだから、たぶんお高い骨董品でしょう? 常に身から離さず、お茶とか飲むときも気をつけてました」

腹減って立ち食いそば食べたときも、鞄は背中側に回してたもんね。もちろん後ろは壁になる場所を選んだ。それなり嵩張る荷物に通行人がぶち当たらないとも限らないからさ。俺だって色々考えてるんよ。

「電車が遅れたり、イノシシで立ち往生したり、バスのエンストや……それ以外の変わったことなんてなかったですよ」

道に迷ったことまで充分変わったことのはずだけど、それは例の<悪いモノ>のせい、ってことでお互い納得(?)してるはず。

ん? だけどそういえば。

「変わった人ならいましたね」

「変わった人?」

店主が顔を上げた。この短時間にえらく憔悴してる。思わず大丈夫ですか? と訊ねたけど、本人は問題無いと首を振る。

「それより、その変わった人の話をお願いします」

「別に……普通の老人でしたよ」

店主の食いつきっぷりに驚きながら、俺は続ける。

「身なりは裕福そうで、お洒落な感じでした。それだけなら別に何も思わなかったんですが──」

あれ? そういえば、俺はなんで今までその老人のことを思い出さなかったんだろう?

「イノシシのせいで電車が止まったとき、その人、俺に話しかけてきたんです」

何て言ったんだっけ?

「呼ばれてたのは、あなたの方でしたか──確か、そんなふうなことを……」
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