第339話 芒の神様 18

文字数 2,331文字

偉い神様だという、古主様までそうしないといけないというからには、あの子も従わなければならないのだと、子供心にも理解することができました。
 
   
 そうなの…… よくわかんないけど、
 僕、男の子だから、残り食べちゃダメなんだね。
 きみ、眠っちゃうの?
 
 食べちゃったものは返せないけど、
 お饅頭なら、僕があげるよ
 このあいだ、お祖母ちゃんと作ったの
 いちご大福、おいしいんだよ

 きみが起きたら遊びに行くよ
 それならいいでしょ?


あの子は、ただ寂しそうに微笑っているだけでした。


   古主様も 酷なことをおっしゃる
   このような いとけない子供の
   命を……

 こく?

   いや 何でもない

   ああ だが……
   もし そなたが 寂しい悲しい子供 だったなら
   我は 伴侶ではなく 友として 
   そなたを ここに招いたよ
   残りを すべて食べさせて 

   ただ一度の 妻問い
   それが しくじりで あったとしても

   友は 得られた
 
   だが そうではない そなたには
   そなたを 大切に思う者が たくさんいる

 友だちだよ、僕ときみは友だちだよ!
 いっしょに遊んだもん。楽しかったもん。
 僕だって、きみが大切だよ。

 ねえ、また遊ぼうよ!
   
   ああ そうだな 遊んだな 
   ああ 遊んだ 楽しかった
   我は 生まれて初めて 楽しかったよ 

   ふふ……
   ……

   我に やさしくしてくれたのは
   母と そなただけ

   眠りについても 忘れまい
   そなたのこと 母のこと


小さな声で呟くと、それからすっと背を伸ばし、あの子は真っ直ぐに僕を見て、唐突に言いました。


   そなたは 長生きするだろう

 長生き? まもるくんのひいお祖父ちゃんみたいに?

   その翁のことは 知らぬが
   曽祖父と いうなら
   長生きなので あろうな

   そうだ そなたは 長生きをする
 
   我の力 そなた自身の害には ならぬ
   むしろ益に なると
   古主様は 教えてくださった
   それを お聞きして 我は
   心が 楽になった 安心したよ

   我の 力は
   そなたの 命 と混じり
   そなたの中で ひとつとなった

   病なども 時には得ようが
   死ぬことはない 必ず治る

   渇水や 日照不足 長雨
   我が どうすることも できないことで
   茅の 薄の 芒の その勢いが
   一時 衰えようと
   必ず また 盛り返すように

   元気で 頑丈で
   日々 健やかでいる
   そんな そなたの姿を思うと
   ああ


     ──もし、しくじったら
       残りを食べさせるのに、失敗したら
       取り返せ、己が力を

       妻問い相手の命ごと、取り戻すのだ
       さすれば全て元に戻る──
 
          
   我は 取り返そうとは思わぬよ


何を取り返そうというのか、聞き返そうとしたのにあの子は答えてくれなかった。その代わり、大きく息を吸うと、厳かな表情で言ったんです。

   
   いま、我は言の葉に乗せ、
   改めてここに誓約(うけい)を成す
   そなたは、元気で頑丈な身体で
   長生きをする


姿は子供なのに、本当に大人になったようなあの子。戸惑う間にも、続けます。

 
   天寿をまっとうする、その日まで
   そなたは、健やかだ


「うけい」とは何かと、後に叔父に聞いた。伯父は、「言葉にしたことが本当になったら、それを言った人が正しい」ということだ、と教えてくれました。「逆に言えば、正しい人が誓約をすれば、言葉にしたことが本当になるのだろうね」とも。

誓約を終えたあと、あの子はまた元の穏やかな、少し寂しげな子供の顔に戻りました。


   さあ、もう目覚めるが良い
   そなたを待つ 者たちの許に
   
 うん。また来るね。
 葉っぱのバッタ、教えてね。


あの子はもう何も言わず、やさしい寂しい笑顔で、袖を振りました。


 ……どうして小さくなるの

今よりも、最初に会ったときよりも、あの子が小さく、幼くなってく。まさか、そのままもっと小さくなって、赤ちゃんになるんじゃないかとハラハラするうち、足を動かしてもいないのに、薄の生い茂る不思議な場所が、あの子ごと遠くなっていきます。
 

 待って!

   
小さく、豆粒のようになっていくのは、遠離っていくからか、あの子が本当に小さくなるからか。


 待ってよ! なんで、なんで!


薄の原は遠く、遠く……あの不思議に明るい雲を抱く空との境目が曖昧になり、ふわふわと、ところどころを淡い金と茜の夕日の色に彩られ──ふと、僕は気づきました。金と茜のあわいに、うすい茶色に少しだけ緑を混ぜたような色が、ふわりとひと刷け増えていることに。

あれは、僕の目の色。
明るい榛色をしたほうの、瞳の色。

それを理解をしたとき、かすかな風があの子の、幼い声を運んできました。


   忘れないで 覚えていて
   我は眠る 眠りの中で
   そなたの夢を

   みる
 
   ゆめ みながら
   みながら ゆめのゆめを ああ
   ゆめうつつの

   おぼえていて
    わすれないで

      われ の のぞみ それだけ


……泣きながら目覚めると、枕元にいた母に何度も名を呼ばれ、父にも呼ばれ──伯父は、ただ黙って手を握ってくれていました。

診察のあと、父と母が医師の話を聞いているあいだに、伯父がそっとたずねてきました。「()()()は、さよならを言ってくれたかい?」と。「また来るって言ったのに、黙って手を振るだけだった」と答えると、ようやくホッとしたように、伯父は長い溜息を吐きました。







「これが、僕の昔話です」

真久部さんは言い、冷めたお茶で喉を湿した。
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