第192話 寄木細工のオルゴール 30
文字数 2,278文字
「清美さん?」
真久部さんが呟く。そこには、あのマナーの悪い客が仁王立ちになっていた。
「なんなの? あなたなんなの?」
いや、あなたが何なの……と言いたいけど、さっきというか数時間前に来たときは余裕ありありイケイケだった表情が、今はどうしてかひどく追い詰められたようになっていて、その豹変ぶりがなんだか怖かった。眼鏡の奥の眼は妙にギラギラしており、ひどく憎々しげに真久部さんを見据えている。
「……この店の店主ですが? ご存知のはずでしょう、清美さん」
そんな彼女に気圧されることもなく、真久部さん。その顔に浮かぶのは、心の裡を全く見せない官女のような笑み。──こんなよそよそしい雛人形みたいな顔、初めてこの店に来て初対面の挨拶したとき以来だな。あの頃はこの一見穏やかな表情が、普段のこの人の顔だと思っていたよ……。
「なっ……!」
「本日、ご指定の時間に、ご依頼の鑑定のために椋西の御宅に伺ったところですよ。お手伝いさんが対応してくださいましたが、ご依頼いただいたご本人のお姿を見なかったので、どこか具合でも悪くされたのかと心配していたんですが──、お元気のようで何よりです」
ちくちく皮肉を塗 しつつ、あの品はここ数年のあいだに作られた量産品でしたよ、と口調だけは穏やかに、今は場違いな鑑定結果を告げる。
「あれは玉屋鍵之助の作品ではありませんでした。鍵之助の作品にしてはあの花火の部分が雑すぎて、まず普通は見間違うようなものでは──」
「そんなことわかってるわよ!」
切って捨てるように、お客……清美さんは言う。
「ええ、こちらもわかってますよ。あなたが何故僕を誘き出して、店から離れさせたのか」
「……」
「何度も言いましたけど、僕は先代から何も預かっていません。何を探してらっしゃるのか知りませんが──」
「その箱!」
ちゃぶ台コタツの上のオルゴールを睨みつけながら、通路を近づいてきた清美さんは、よく見ると足を引きずっているようだ。
「その忌々しい箱に、あなた、細工したでしょう! 私を驚かそうと……」
あれ? コートの袖から肘のところ、表面が裂けて……どっかで転んだんだろうか。俺がそんなこと考えてるあいだも、二人の会話は続いてる。
「どうして僕がそんなことをしなければならないんです?」
あなたがこの店に来るなんて、全く考えたこともなかったのに、と真久部さんは冷静に突っ込んでいる。
「今までだって一度も来たことないでしょう? 清美さん。あなたお父上と違って、骨董になんか興味ありませんものね。店番をお願いしたこの方に、今日来たという客の人相を聞くまで、あなたのことなど思い付きもしませんでしたよ。──どうやらあまり行儀の良いお客ではなかったようですね」
そう言ってにっこり笑ってみせる。
「興味のある品物を、ちょっと持ち上げて見るくらいはわかるんですよ。でも、店の者に何の断りもなく、本格的に弄りまわすのはどうでしょうね? しかも、そこの後ろの道具に、秘密箱を開けるためのカンニングペーパー代わりですか? スマホを立て掛けてたそうですね。申しわけありませんが、そういうのは控えていただきたいんですよ。立て掛けられた道具に傷がついたり、倒れたりしたら困るんです」
常識的に考えたらすぐわかることだと思うんですけどねぇ、と溜息を吐いてみせる。
「で? 僕をここから遠ざけて、お父上には二度と近づくなとまで言われたこのオルゴールを──あなた、開けてしまったんですね?」
「開けたわよ!」
帳場の畳エリアの前に立った清美さんは、悪びれるでもなく、まるで叩きつけるように言った。
「父もあなたも、開けられないって言ってたけど、嘘でしょ、動画を参考にしたら簡単に開いたじゃない! 二人して、馬鹿にして……」
「馬鹿になんてしていませんよ──。それに、あれはもう八年ほども前のことじゃありませんか」
どうして今頃、と問う真久部さんに、清美さんが瞳を鋭くする。──怒り狂う女の人怖い……。あれ? 脛に血が……よく見るとストッキングも伝線してるみたい。これ確実に転んだな。怪我の手当てを、と思うけど、もうちょっと落ち着いてもらわないと無理かも……。
「古川骨董店の古川さんに聞いたのよ、昔うちにあったそのオルゴールがまだ慈恩堂にあるって。あれは売れないんでしょうね、って古川さんは言ってたけど、わざと売らないんでしょう。違う? 父と何か約束してたからに決まってるわ!」
……落ち着くどころか、激昂しっぱなしで眼が三角だ。今は無理だな。せめて救急箱の用意でもしておくか。
「──ああ、先代のコレクションの鑑定、結局古川さんに頼んだんですか……そうですね、古川さんは清美さんのご主人、川合さんとおつき合いがありましたっけね……」
思い出すようにしながら、真久部さんが答えてる。──喚きたてる女性を前に、平静を保つその姿。強い……! 俺なんか、もう逃げたいと思ってるのに……。
「古川さんのご専門は絵画と掛け軸だから、先代のコレクションは──まあ、そちらがそれでよろしいのなら──」
「ほら、そうやって知らないふりする!」
清美さんはさらに声を荒げる。
「実家のガラクタの中に何も無いことを知ってるから、父の遺言通りにしなくても文句言わないんでしょ!」
え? そういう解釈? 俺と真久部さんは思わず眼を見合わせた。
「何も無いもなにも、それはご遺族のご意思なんですから──」
宥めるように言う真久部さんを、清美さんはキッと睨みつける。
「信用できないのよ! あなた、妙に父と仲が良かったし、胡散臭いもの!」
「……」
胡散臭いのは同意だけどねぇ……。
真久部さんが呟く。そこには、あのマナーの悪い客が仁王立ちになっていた。
「なんなの? あなたなんなの?」
いや、あなたが何なの……と言いたいけど、さっきというか数時間前に来たときは余裕ありありイケイケだった表情が、今はどうしてかひどく追い詰められたようになっていて、その豹変ぶりがなんだか怖かった。眼鏡の奥の眼は妙にギラギラしており、ひどく憎々しげに真久部さんを見据えている。
「……この店の店主ですが? ご存知のはずでしょう、清美さん」
そんな彼女に気圧されることもなく、真久部さん。その顔に浮かぶのは、心の裡を全く見せない官女のような笑み。──こんなよそよそしい雛人形みたいな顔、初めてこの店に来て初対面の挨拶したとき以来だな。あの頃はこの一見穏やかな表情が、普段のこの人の顔だと思っていたよ……。
「なっ……!」
「本日、ご指定の時間に、ご依頼の鑑定のために椋西の御宅に伺ったところですよ。お手伝いさんが対応してくださいましたが、ご依頼いただいたご本人のお姿を見なかったので、どこか具合でも悪くされたのかと心配していたんですが──、お元気のようで何よりです」
ちくちく皮肉を
「あれは玉屋鍵之助の作品ではありませんでした。鍵之助の作品にしてはあの花火の部分が雑すぎて、まず普通は見間違うようなものでは──」
「そんなことわかってるわよ!」
切って捨てるように、お客……清美さんは言う。
「ええ、こちらもわかってますよ。あなたが何故僕を誘き出して、店から離れさせたのか」
「……」
「何度も言いましたけど、僕は先代から何も預かっていません。何を探してらっしゃるのか知りませんが──」
「その箱!」
ちゃぶ台コタツの上のオルゴールを睨みつけながら、通路を近づいてきた清美さんは、よく見ると足を引きずっているようだ。
「その忌々しい箱に、あなた、細工したでしょう! 私を驚かそうと……」
あれ? コートの袖から肘のところ、表面が裂けて……どっかで転んだんだろうか。俺がそんなこと考えてるあいだも、二人の会話は続いてる。
「どうして僕がそんなことをしなければならないんです?」
あなたがこの店に来るなんて、全く考えたこともなかったのに、と真久部さんは冷静に突っ込んでいる。
「今までだって一度も来たことないでしょう? 清美さん。あなたお父上と違って、骨董になんか興味ありませんものね。店番をお願いしたこの方に、今日来たという客の人相を聞くまで、あなたのことなど思い付きもしませんでしたよ。──どうやらあまり行儀の良いお客ではなかったようですね」
そう言ってにっこり笑ってみせる。
「興味のある品物を、ちょっと持ち上げて見るくらいはわかるんですよ。でも、店の者に何の断りもなく、本格的に弄りまわすのはどうでしょうね? しかも、そこの後ろの道具に、秘密箱を開けるためのカンニングペーパー代わりですか? スマホを立て掛けてたそうですね。申しわけありませんが、そういうのは控えていただきたいんですよ。立て掛けられた道具に傷がついたり、倒れたりしたら困るんです」
常識的に考えたらすぐわかることだと思うんですけどねぇ、と溜息を吐いてみせる。
「で? 僕をここから遠ざけて、お父上には二度と近づくなとまで言われたこのオルゴールを──あなた、開けてしまったんですね?」
「開けたわよ!」
帳場の畳エリアの前に立った清美さんは、悪びれるでもなく、まるで叩きつけるように言った。
「父もあなたも、開けられないって言ってたけど、嘘でしょ、動画を参考にしたら簡単に開いたじゃない! 二人して、馬鹿にして……」
「馬鹿になんてしていませんよ──。それに、あれはもう八年ほども前のことじゃありませんか」
どうして今頃、と問う真久部さんに、清美さんが瞳を鋭くする。──怒り狂う女の人怖い……。あれ? 脛に血が……よく見るとストッキングも伝線してるみたい。これ確実に転んだな。怪我の手当てを、と思うけど、もうちょっと落ち着いてもらわないと無理かも……。
「古川骨董店の古川さんに聞いたのよ、昔うちにあったそのオルゴールがまだ慈恩堂にあるって。あれは売れないんでしょうね、って古川さんは言ってたけど、わざと売らないんでしょう。違う? 父と何か約束してたからに決まってるわ!」
……落ち着くどころか、激昂しっぱなしで眼が三角だ。今は無理だな。せめて救急箱の用意でもしておくか。
「──ああ、先代のコレクションの鑑定、結局古川さんに頼んだんですか……そうですね、古川さんは清美さんのご主人、川合さんとおつき合いがありましたっけね……」
思い出すようにしながら、真久部さんが答えてる。──喚きたてる女性を前に、平静を保つその姿。強い……! 俺なんか、もう逃げたいと思ってるのに……。
「古川さんのご専門は絵画と掛け軸だから、先代のコレクションは──まあ、そちらがそれでよろしいのなら──」
「ほら、そうやって知らないふりする!」
清美さんはさらに声を荒げる。
「実家のガラクタの中に何も無いことを知ってるから、父の遺言通りにしなくても文句言わないんでしょ!」
え? そういう解釈? 俺と真久部さんは思わず眼を見合わせた。
「何も無いもなにも、それはご遺族のご意思なんですから──」
宥めるように言う真久部さんを、清美さんはキッと睨みつける。
「信用できないのよ! あなた、妙に父と仲が良かったし、胡散臭いもの!」
「……」
胡散臭いのは同意だけどねぇ……。