第34話 コンキンさん 6
文字数 3,551文字
「何言ってんのコイツ、とか言いたいんだろうけどさ」
俺が先回りして言ってやると、男は目を白黒させた。
「最初にこの道を通った時、君、窓からペットボトルを捨てただろう。まだ中身の入ったやつ。おまけに、蓋をきっちり閉めてなかった。だから君の飲み残しのジュースが思いっきりこぼれて掛かったんだよね、祠のひとつに」
覚えがあるよね? そう言うと、男は口を開いて何かを言おうとしたらしいが、力なく閉じた。
「あれだよ。あれがいけなかったんだ。多分」
専門家 じゃないから断言は出来ないけど、きっとそういうことなんだ。
「君だってさ、日本の昔話のひとつやふたつ、聞いたことあるだろ? アニメの『まんが日本昔ばなし』とか観たことない? あれ何度も再放送してるし」
「ある、けど……」
「そういうお話の中に、狸に化かされてぐるぐる道に迷っていつまでも目的地に着けなかったり、風呂だと思わされて池に入ってそこで溺れ死んだりとか、そいういうのがあっただろ?」
「……」
「君は、怒らせちゃいけない相手を怒らせたんだよ。誰だってさ、何もしてないのにいきなりペットボトルぶつけられて、中身をバシャッてやられたりしたら怒るだろ? そういうことだよ。ま、相手は狸じゃなくて祠の──神様、なのかな。何が祀られているのかまでは聞いてないから知らないけど……怒らせなきゃ、こんな目に遭うことは無かったんだよ」
「そんなこと……」
言いかける男の声は震えてる。
「信じられないなら別にいいけど、このままだとまたぐるぐる道に迷うことになると思うな。どこにたどり着くことも出来ず、君は永遠にこの道を彷徨うんだ……」
さっきまでもそうだったろ? と俺は指摘してやった。男の顔色がまた悪くなった。
「もし俺がここにいなければ、君はぐるぐる道に迷った結果コンキンさんに遭ってしまい、命を失ってただろうと思うよ。俺の存在は君にとって、嵐の夜、荒波に揉まれる船から見える灯台の光みたいなものだったんだと思う。他に車も来ない、見渡す限り誰もいない草原で、ただ一人だけ君が見つけることが出来た自分以外の誰か。それが俺だ」
「……」
「でもね、俺からすれば、君に巻き込まれたってことになるんだ」
迷惑だよなぁ、と言ってやると、男は身を竦めた。ちょっとくらい分かってくれただろうか、自分の立場を。
「本当だったら今頃はもうバスに揺られてたはずなんだよ。コンキンさんであんな恐ろしい目に遭う必要は、俺には無かったんだ」
「わ、悪かったよ、俺が悪かった……!」
男はがばっと土下座した。
「俺、どうしたらいいんだ? なあ、教えてくれよ……!」
切羽詰って恐ろしくなったのか、藁をも掴むかのように足に縋りついてくる。おいこらヤメロ。お前はお宮で俺は貫一か。ここは熱海の海岸じゃないんだからさぁ。ったく、ヤローにしがみつかれてもうれしくも何とも……。ま、話を聞いてもらいやすくなったみたいだし、いいか。
「君はもう、やるべきことをやった。だから大丈夫」
俺は請け合ってやった。男はぽかんと口を開けている。
「君が買ったアンパンを俺が預かって、祠の神様にお供えした。そんで、君の代わりに「今年もお願いします」と祈っておいた。それがどうやら聞き届けられたみたいだから、もう大丈夫」
心配しなくていいよ、と男を安心させるように言う。
「つまり、どういうこと……?」
「さっき君からもらった百円。それがポイント。分からないかい?」
全然何も分かっていない顔だ。パカッと口を開けたまま、男は俺を見ている。うーん、間抜けな表情。
「君がやってくる前。俺はこの祠に自前のアンパンをお供えした。──その前に、依頼主に言われたものをちゃんと供えてたんだけど、ちょっと目を離した隙に無くなったんだよ……」
風が強いから、飛ばされたんだと思うんだけどね、と俺は付け加えた。
「で、だ。俺は清掃もしたし、決まりごとをきっちり守ってお供えをし、手も合わせて感謝の気持ちを捧げたから守られたんだと推測してるんだけど」
そこで一拍置いて、男の顔を見た。
「君は違うよね? 何もしてないし、それどころか、祠のひとつに粗相もしている。だから君は、本来ならばコンキンさんから守ってもらえるどころか、見殺しにされても文句は言えなかった、というか、言う資格もなかった」
そこに存在することすら知らなかった祠を畏れ敬えっていうのも、無理な話だとは思うけどさ、と俺は続ける。
「でも、君の運が良かったことに、俺は余分にアンパンをお供えしていた。本来の御供え物とは別口でね。そこから俺は考えたんだ、君 か ら 預 か っ た そのアンパンを、俺が代理で 祠にお供えし、感謝の気持ちと加護の願いを伝えたという形にすればいいんだと」
大雑把に「よろしくお願いします」って言っただけだから、そこに「この男のこともよろしくお願いします」って入ってたことにすればいいと思うんだ。
こういう理屈? は慈恩堂店主に教わった。教わりたくなかったけど、こんなふうに役に立つ場合もあるから、やっぱり感謝しないといけないんだろうな。
「えっと……さっきの百円?」
男はようやく俺の言うことが分かったみたいだ。
「そう。さっきの百円」
俺は頷く。
「君が買った アンパンを、俺が預かって 供えた。だから君も守ってもらえた。そういうこと」
セーフティゾーンに入れたっていうか、今現在もそこにいるよね? と教えてやる。
「順番は後になったけど、ほら、この祠でお礼を言って。ちゃんと心をこめてね。あ、ゴミなんか捨ててごめんなさい、も言うんだよ」
ようやく歩けるようになったらしい男に、俺は指示する。いや、まあ……俺だって足元怪しいんだけどね! 怖かったし、必死で走ったし、足ガクガク。そんなんだからもう、二人してよろよろと最後の祠の表側に回る。
「普通はさ、個別に何もしなくても、コンキンさんみたいな危ないモノから身を守ってもらえるとは思うんだ。何しろ、年に一度は必ず四つの祠を訪れて、清掃とお供えを欠かさなかったらしいからね。だけど、君はやらかしちゃったから──危なかったね」
「……」
曖昧な表情で黙り込む男に、俺はもう一度だけ今日男の身に起こったことを整理して聞かせた。
1.祠のひとつに不敬と粗相をやらかしたので、ぐるぐるさせられたこと。
2.ぐるぐるさせられただけなら道に迷って終り(?)だったかもしれないが、改造エンジンが「我ここに在り!」とばかりに響き渡ったこと。
3.響き渡ったから、対抗心(?)を燃やしたコンキンさんが来たこと。
4.コンキンさんが来たら命が無かったはずだけど、アンパンのお陰で祠セーフティーゾーンに入れてもらえたこと。
5.入れてもらえたから助かったこと。
「アンタがいなかったら、俺、本当に危なかったんだな……」
男はうつむいたまま呟いた。そしてそのまま祠の前に跪いたかと思うと、いきなり土下座をした。
「すみませんでした! ペットボトル捨ててごめんなさい。車、エンジン普通のに戻します。もう煩くしません。それと、この人にもちゃんとお礼を言います……」
土下座の頭をいったん上げて、男は俺を見上げた。
「ありがとうございました!」
バッと目の前に下げられる、パサパサの茶髪頭。
一瞬、呆気に取られて何も言えなかったけど。
「いや。いやいやいや。俺にはそこまでしなくていいから! 分かったから!」
俺よりも祠の神様にお礼を、と言おうとして祠に目をやり、俺はさらに絶句した。
「あ、アンパンが無い……」
ざざー
ざざーざー
ざざざーざーん
風が吹いている。風に波打つ丈高い草の原。
風は強い。強いけど。
「餡子のみっしり詰まったアンパンが飛ぶほどじゃないよ……!」
俺はその場に座り込んだ。それを聞いた男もへたりこんだ。かと思うと、次の瞬間また祠の方を向いて額を地面に擦りつけていた。
「俺、今度お供え持ってくる、いや、きますから! 駄菓子と酒とぼた餅と稲荷ずし持ってきますから! 許してくださいごめんなさいもうしません!」
ざざざーん
ざざーざー
ざざーんざんざざーん
風の音を聞きながら、俺はぼんやりと考えていた。おはぎとぼた餅ってやっぱり同じものなのかなぁ? てなことはおいといて。
──何で四つの祠に供える御供え物の内訳が、この男に分かったんだろう?
俺が先回りして言ってやると、男は目を白黒させた。
「最初にこの道を通った時、君、窓からペットボトルを捨てただろう。まだ中身の入ったやつ。おまけに、蓋をきっちり閉めてなかった。だから君の飲み残しのジュースが思いっきりこぼれて掛かったんだよね、祠のひとつに」
覚えがあるよね? そう言うと、男は口を開いて何かを言おうとしたらしいが、力なく閉じた。
「あれだよ。あれがいけなかったんだ。多分」
「君だってさ、日本の昔話のひとつやふたつ、聞いたことあるだろ? アニメの『まんが日本昔ばなし』とか観たことない? あれ何度も再放送してるし」
「ある、けど……」
「そういうお話の中に、狸に化かされてぐるぐる道に迷っていつまでも目的地に着けなかったり、風呂だと思わされて池に入ってそこで溺れ死んだりとか、そいういうのがあっただろ?」
「……」
「君は、怒らせちゃいけない相手を怒らせたんだよ。誰だってさ、何もしてないのにいきなりペットボトルぶつけられて、中身をバシャッてやられたりしたら怒るだろ? そういうことだよ。ま、相手は狸じゃなくて祠の──神様、なのかな。何が祀られているのかまでは聞いてないから知らないけど……怒らせなきゃ、こんな目に遭うことは無かったんだよ」
「そんなこと……」
言いかける男の声は震えてる。
「信じられないなら別にいいけど、このままだとまたぐるぐる道に迷うことになると思うな。どこにたどり着くことも出来ず、君は永遠にこの道を彷徨うんだ……」
さっきまでもそうだったろ? と俺は指摘してやった。男の顔色がまた悪くなった。
「もし俺がここにいなければ、君はぐるぐる道に迷った結果コンキンさんに遭ってしまい、命を失ってただろうと思うよ。俺の存在は君にとって、嵐の夜、荒波に揉まれる船から見える灯台の光みたいなものだったんだと思う。他に車も来ない、見渡す限り誰もいない草原で、ただ一人だけ君が見つけることが出来た自分以外の誰か。それが俺だ」
「……」
「でもね、俺からすれば、君に巻き込まれたってことになるんだ」
迷惑だよなぁ、と言ってやると、男は身を竦めた。ちょっとくらい分かってくれただろうか、自分の立場を。
「本当だったら今頃はもうバスに揺られてたはずなんだよ。コンキンさんであんな恐ろしい目に遭う必要は、俺には無かったんだ」
「わ、悪かったよ、俺が悪かった……!」
男はがばっと土下座した。
「俺、どうしたらいいんだ? なあ、教えてくれよ……!」
切羽詰って恐ろしくなったのか、藁をも掴むかのように足に縋りついてくる。おいこらヤメロ。お前はお宮で俺は貫一か。ここは熱海の海岸じゃないんだからさぁ。ったく、ヤローにしがみつかれてもうれしくも何とも……。ま、話を聞いてもらいやすくなったみたいだし、いいか。
「君はもう、やるべきことをやった。だから大丈夫」
俺は請け合ってやった。男はぽかんと口を開けている。
「君が買ったアンパンを俺が預かって、祠の神様にお供えした。そんで、君の代わりに「今年もお願いします」と祈っておいた。それがどうやら聞き届けられたみたいだから、もう大丈夫」
心配しなくていいよ、と男を安心させるように言う。
「つまり、どういうこと……?」
「さっき君からもらった百円。それがポイント。分からないかい?」
全然何も分かっていない顔だ。パカッと口を開けたまま、男は俺を見ている。うーん、間抜けな表情。
「君がやってくる前。俺はこの祠に自前のアンパンをお供えした。──その前に、依頼主に言われたものをちゃんと供えてたんだけど、ちょっと目を離した隙に無くなったんだよ……」
風が強いから、飛ばされたんだと思うんだけどね、と俺は付け加えた。
「で、だ。俺は清掃もしたし、決まりごとをきっちり守ってお供えをし、手も合わせて感謝の気持ちを捧げたから守られたんだと推測してるんだけど」
そこで一拍置いて、男の顔を見た。
「君は違うよね? 何もしてないし、それどころか、祠のひとつに粗相もしている。だから君は、本来ならばコンキンさんから守ってもらえるどころか、見殺しにされても文句は言えなかった、というか、言う資格もなかった」
そこに存在することすら知らなかった祠を畏れ敬えっていうのも、無理な話だとは思うけどさ、と俺は続ける。
「でも、君の運が良かったことに、俺は余分にアンパンをお供えしていた。本来の御供え物とは別口でね。そこから俺は考えたんだ、
大雑把に「よろしくお願いします」って言っただけだから、そこに「この男のこともよろしくお願いします」って入ってたことにすればいいと思うんだ。
こういう理屈? は慈恩堂店主に教わった。教わりたくなかったけど、こんなふうに役に立つ場合もあるから、やっぱり感謝しないといけないんだろうな。
「えっと……さっきの百円?」
男はようやく俺の言うことが分かったみたいだ。
「そう。さっきの百円」
俺は頷く。
「
セーフティゾーンに入れたっていうか、今現在もそこにいるよね? と教えてやる。
「順番は後になったけど、ほら、この祠でお礼を言って。ちゃんと心をこめてね。あ、ゴミなんか捨ててごめんなさい、も言うんだよ」
ようやく歩けるようになったらしい男に、俺は指示する。いや、まあ……俺だって足元怪しいんだけどね! 怖かったし、必死で走ったし、足ガクガク。そんなんだからもう、二人してよろよろと最後の祠の表側に回る。
「普通はさ、個別に何もしなくても、コンキンさんみたいな危ないモノから身を守ってもらえるとは思うんだ。何しろ、年に一度は必ず四つの祠を訪れて、清掃とお供えを欠かさなかったらしいからね。だけど、君はやらかしちゃったから──危なかったね」
「……」
曖昧な表情で黙り込む男に、俺はもう一度だけ今日男の身に起こったことを整理して聞かせた。
1.祠のひとつに不敬と粗相をやらかしたので、ぐるぐるさせられたこと。
2.ぐるぐるさせられただけなら道に迷って終り(?)だったかもしれないが、改造エンジンが「我ここに在り!」とばかりに響き渡ったこと。
3.響き渡ったから、対抗心(?)を燃やしたコンキンさんが来たこと。
4.コンキンさんが来たら命が無かったはずだけど、アンパンのお陰で祠セーフティーゾーンに入れてもらえたこと。
5.入れてもらえたから助かったこと。
「アンタがいなかったら、俺、本当に危なかったんだな……」
男はうつむいたまま呟いた。そしてそのまま祠の前に跪いたかと思うと、いきなり土下座をした。
「すみませんでした! ペットボトル捨ててごめんなさい。車、エンジン普通のに戻します。もう煩くしません。それと、この人にもちゃんとお礼を言います……」
土下座の頭をいったん上げて、男は俺を見上げた。
「ありがとうございました!」
バッと目の前に下げられる、パサパサの茶髪頭。
一瞬、呆気に取られて何も言えなかったけど。
「いや。いやいやいや。俺にはそこまでしなくていいから! 分かったから!」
俺よりも祠の神様にお礼を、と言おうとして祠に目をやり、俺はさらに絶句した。
「あ、アンパンが無い……」
ざざー
ざざーざー
ざざざーざーん
風が吹いている。風に波打つ丈高い草の原。
風は強い。強いけど。
「餡子のみっしり詰まったアンパンが飛ぶほどじゃないよ……!」
俺はその場に座り込んだ。それを聞いた男もへたりこんだ。かと思うと、次の瞬間また祠の方を向いて額を地面に擦りつけていた。
「俺、今度お供え持ってくる、いや、きますから! 駄菓子と酒とぼた餅と稲荷ずし持ってきますから! 許してくださいごめんなさいもうしません!」
ざざざーん
ざざーざー
ざざーんざんざざーん
風の音を聞きながら、俺はぼんやりと考えていた。おはぎとぼた餅ってやっぱり同じものなのかなぁ? てなことはおいといて。
──何で四つの祠に供える御供え物の内訳が、この男に分かったんだろう?