第81話 秋の夜長のお月さま おまけ 後編
文字数 2,475文字
「……多分、二度と誰かが引っ張られることはないでしょう、って真久部さんは言ってました」
ほうほう、それはそれは、と伯父さんはうれしそうだ。
「人に仇なす妖 は消え、竜が一体放たれて、現世にはがらんどうの形だけが残ったか──」
感慨深そうにうんうんと頷いている。
甥の真久部さんは、それを恐れてあんなに真っ青になってたのに。そう思うと、ちょっと言ってやりたくなった。
「がらんどうにはならなかったようですよ」
「ほう?」
「そこに留まって、いつかはあの辺一帯の竜神様になるって、真久部さんは言ってました」
ふーん、と伯父さんは何故か俺をしげしげと見てくる。やめて! 俺、底浅いから深淵じゃないから。
「あの子もいい友達が出来たものだ」
ともだち? 俺が真久部さんの? いやいや俺はただの何でも屋で、真久部さんはただの顧客様です──と訂正したいけど、しにくい雰囲気。
「いやあ、はははは……」
真久部さん、まさか友達は書画骨董古道具だけとか言わないよね?
「まあ、なんだ。あの子はちょっと変わってるけど、何でも屋さん、よろしくお願いしますよ」
そう言って思いもかけず柔らかく笑んだ瞳は、片方が甥の真久部さんと同じ不思議な色。意外にも優しい光がのぞいてる。
それを見ていたら、あなたのほうがもっと変わってると思いますとか、言えなくなった──言えても言わないけどさ。変わってるけど、真久部さんにとってはいい伯父さん、なのかな?
「からかうと面白いんだけどねぇ……」
前言撤回。
「今日もね、本当なら件 の運の無いヤツと一緒に来たかったんですが」
伯父さんは襟元を触ってみせ、鯉のループタイのことだと言った。
「以前、アレを連れて行ったらあの子に怒られてしまって……。ほんの僅かな薄い精気まで喰らい尽くしてしまうから、店の品物が全部我楽多になってしまう、だから二度と持ってくるなと。ひどいでしょう?」
ひどい、のか? 品物の商品価値が下がるってことだよな?
「あの子は昔から古い道具の醸し出す空気が好きでね、それを脅かすようなものは隔離しておけって煩いんです。金魚やメダカのいる池に鯉を放すようなものだ、混ぜるな危険! と頭から湯気が出そうなくらい怒って」
もうそんなもの飼うのはやめろとか、いい加減そろそろ供養に出せとか、お炊き上げしてもらえとか、さんざん言われました、と肩を落としてみせるけど、それあなたの甥御さんのほうが正しいんじゃないのかな……。
「──アレは小さい ときから意地汚くて、誰も気づかないうちにいつの間にか**を食べるようになっていたんですが」
しっかり眠ってたくせにね、と溜息をつくけど、何を食べてたのか、そこだけなんだか音がぐんにゃりして聞こえない……。
「鯉は悪食雑食だとはいいますが、その形に作られたせいなんでしょうか。近くにあるもの何でもかんでも食べてしまう。良いものも悪いものも……。寝ぼけているのがいけないのかと起こして はみたものの、見境のないのは変わらなくて」
目を覚ましたら、少しは選ぶと思ったんですよ、と情けない顔で言うけど──本当か? わざと起こしたんじゃないのかなぁ……?
「あの子は、元々の材料が悪かったと言うんです。なにしろ、丑の刻参りに使われてきた木ですから。他にもあるのにどうしてか、その木にばかり藁人形が打たれるものだから、これはもはや木が誘っているに違いないと伐られてしまったんですが、それがまた立派な桜の古木で。もっと咲きたかっただろうにと思うと可哀想でねぇ……」
もらい受け、供養のために小さな鯉をひとつ、彫ってもらったのだという。それを聞いた俺、ちょっと背筋が寒くなってもしょうがないと思う。丑の刻参りって……。
「あの……俺、素人だから分からないんですけど、供養のためなら仏像を彫るもんじゃないですか……?」
訊ねてみたら。
「安定より、可能性に掛けたくなって」
そう言って、怪しく笑う。
「残りの材は供養されてしまいましたが、咲けなくなった桜の無念、小さな鯉に託してもらおうとね。いつかは試練の滝を泳ぎ登り、竜に成って憂き世から、心置きなく飛び去ってくれればと」
「……」
「咲けない桜を哀れと思う人の気持ちが鯉を育てて、いつかそのうち自然にと、そう思っていたのですがね。いやはや、自ら餌を獲るようになるとは。──あの子には、それは伯父さんの自己中心的な好奇心にすぎないと責められたんですが……」
ふふふ、と笑う。
「ねえ、あなた、何でも屋さん。──あなたはどうだと思います?」
「……!」
全身が鳥肌立った。ぐぎぎ、と音がしそうな首を必死に動かして前を見て、ぎくしゃくと足早に歩く。古美術雑貨取扱店慈恩堂はもうすぐそこ。
「ああ、ほら! 着きましたよ。話してるとすぐですね!」
半地下の階段をささっと降り、運んでいた荷物を店の入り口に置いてすぐ道に戻った。
「俺、もう行かないといけないので、ここで失礼します。真久部さんによろしく!」
挨拶もそこそこに、俺は走って逃げた。怖い、怖すぎるよ真久部さんの伯父さん。後ろで笑い声が聞こえたような気がするけど、気にしない。きっと俺をからかったんだ、丑の刻参りの桜の木なんて存在しなかったんだよ……!
そういうことにしておこう、精神衛生のために。
さあ! 駅前に戻って本屋に行くぞ。図書券と本と雑誌と……えっと、本のタイトルなんだっけ?
──『水木しげる妖怪大百科』
表紙の一反木綿が、妙に怖い!
……
……
これを顧客に届けたら、シンジのたこ焼き買いに行こう。そうしよう。元チンピラのわりに、シンジはけっこう常識人だ。あいつのごくフツーなまともさに、癒されに行くんだ! クセの強すぎる人間はもうたくさん。
シンジのたこ焼き、美味いしな。腹をあっためたら、このどうしようもない寒気も解消される、はず。
ほうほう、それはそれは、と伯父さんはうれしそうだ。
「人に仇なす
感慨深そうにうんうんと頷いている。
甥の真久部さんは、それを恐れてあんなに真っ青になってたのに。そう思うと、ちょっと言ってやりたくなった。
「がらんどうにはならなかったようですよ」
「ほう?」
「そこに留まって、いつかはあの辺一帯の竜神様になるって、真久部さんは言ってました」
ふーん、と伯父さんは何故か俺をしげしげと見てくる。やめて! 俺、底浅いから深淵じゃないから。
「あの子もいい友達が出来たものだ」
ともだち? 俺が真久部さんの? いやいや俺はただの何でも屋で、真久部さんはただの顧客様です──と訂正したいけど、しにくい雰囲気。
「いやあ、はははは……」
真久部さん、まさか友達は書画骨董古道具だけとか言わないよね?
「まあ、なんだ。あの子はちょっと変わってるけど、何でも屋さん、よろしくお願いしますよ」
そう言って思いもかけず柔らかく笑んだ瞳は、片方が甥の真久部さんと同じ不思議な色。意外にも優しい光がのぞいてる。
それを見ていたら、あなたのほうがもっと変わってると思いますとか、言えなくなった──言えても言わないけどさ。変わってるけど、真久部さんにとってはいい伯父さん、なのかな?
「からかうと面白いんだけどねぇ……」
前言撤回。
「今日もね、本当なら
伯父さんは襟元を触ってみせ、鯉のループタイのことだと言った。
「以前、アレを連れて行ったらあの子に怒られてしまって……。ほんの僅かな薄い精気まで喰らい尽くしてしまうから、店の品物が全部我楽多になってしまう、だから二度と持ってくるなと。ひどいでしょう?」
ひどい、のか? 品物の商品価値が下がるってことだよな?
「あの子は昔から古い道具の醸し出す空気が好きでね、それを脅かすようなものは隔離しておけって煩いんです。金魚やメダカのいる池に鯉を放すようなものだ、混ぜるな危険! と頭から湯気が出そうなくらい怒って」
もうそんなもの飼うのはやめろとか、いい加減そろそろ供養に出せとか、お炊き上げしてもらえとか、さんざん言われました、と肩を落としてみせるけど、それあなたの甥御さんのほうが正しいんじゃないのかな……。
「──アレは
しっかり眠ってたくせにね、と溜息をつくけど、何を食べてたのか、そこだけなんだか音がぐんにゃりして聞こえない……。
「鯉は悪食雑食だとはいいますが、その形に作られたせいなんでしょうか。近くにあるもの何でもかんでも食べてしまう。良いものも悪いものも……。寝ぼけているのがいけないのかと
目を覚ましたら、少しは選ぶと思ったんですよ、と情けない顔で言うけど──本当か? わざと起こしたんじゃないのかなぁ……?
「あの子は、元々の材料が悪かったと言うんです。なにしろ、丑の刻参りに使われてきた木ですから。他にもあるのにどうしてか、その木にばかり藁人形が打たれるものだから、これはもはや木が誘っているに違いないと伐られてしまったんですが、それがまた立派な桜の古木で。もっと咲きたかっただろうにと思うと可哀想でねぇ……」
もらい受け、供養のために小さな鯉をひとつ、彫ってもらったのだという。それを聞いた俺、ちょっと背筋が寒くなってもしょうがないと思う。丑の刻参りって……。
「あの……俺、素人だから分からないんですけど、供養のためなら仏像を彫るもんじゃないですか……?」
訊ねてみたら。
「安定より、可能性に掛けたくなって」
そう言って、怪しく笑う。
「残りの材は供養されてしまいましたが、咲けなくなった桜の無念、小さな鯉に託してもらおうとね。いつかは試練の滝を泳ぎ登り、竜に成って憂き世から、心置きなく飛び去ってくれればと」
「……」
「咲けない桜を哀れと思う人の気持ちが鯉を育てて、いつかそのうち自然にと、そう思っていたのですがね。いやはや、自ら餌を獲るようになるとは。──あの子には、それは伯父さんの自己中心的な好奇心にすぎないと責められたんですが……」
ふふふ、と笑う。
「ねえ、あなた、何でも屋さん。──あなたはどうだと思います?」
「……!」
全身が鳥肌立った。ぐぎぎ、と音がしそうな首を必死に動かして前を見て、ぎくしゃくと足早に歩く。古美術雑貨取扱店慈恩堂はもうすぐそこ。
「ああ、ほら! 着きましたよ。話してるとすぐですね!」
半地下の階段をささっと降り、運んでいた荷物を店の入り口に置いてすぐ道に戻った。
「俺、もう行かないといけないので、ここで失礼します。真久部さんによろしく!」
挨拶もそこそこに、俺は走って逃げた。怖い、怖すぎるよ真久部さんの伯父さん。後ろで笑い声が聞こえたような気がするけど、気にしない。きっと俺をからかったんだ、丑の刻参りの桜の木なんて存在しなかったんだよ……!
そういうことにしておこう、精神衛生のために。
さあ! 駅前に戻って本屋に行くぞ。図書券と本と雑誌と……えっと、本のタイトルなんだっけ?
──『水木しげる妖怪大百科』
表紙の一反木綿が、妙に怖い!
……
……
これを顧客に届けたら、シンジのたこ焼き買いに行こう。そうしよう。元チンピラのわりに、シンジはけっこう常識人だ。あいつのごくフツーなまともさに、癒されに行くんだ! クセの強すぎる人間はもうたくさん。
シンジのたこ焼き、美味いしな。腹をあっためたら、このどうしようもない寒気も解消される、はず。