第155話 煙管の鬼女 3

文字数 2,138文字

美しい太夫の面影に、朝でも昼でも夢うつつ、恋わずらいの職人を、見かねた親方諭して曰く、「これから三年、一心不乱に働けば、高嶺の花の太夫とはいえ一度は座敷に呼べるほどの、金を貯めることができるだろう」。忙しくしていれば、恋の病もそのうち治まるだろうという、親方の思いやりだったが。

それを聞いた職人、腑抜けから一転たちまちしゃきんとし、一心不乱、死に物狂いに働いて、あともう少しで太夫にも、会えるくらいの金が貯まろうかという二年目の終わりの冬、無理をしすぎたためだろう、ちょっとした風邪が元で死んでしまった。

職人の友達は、真面目すぎるあいつに少しは遊びを教えてやろうなんて余計な真似、花魁道中見物なんぞに誘ったばかりにこんなことになったと悔い、伝手の伝手の伝手をたどって、

──たったひと目見ただけの太夫に、惚れて焦がれて焦がれ死にした男がおります。そんな莫迦な男だが、太夫に会いたいそれがため、死に物狂いに働きました。その金を差し上げますので、どうか太夫、情けを掛けて、哀れな男のために歌のひとつでも詠んでやってもらえませんか。太夫手ずからしたためたその歌を、死出の旅路の餞に、男に持たせてやりとうございます──

そんなふうに願いを伝えてもらった。





「太夫の歌とともに男の元に届けられたのが、この煙管だと言われてるんですよ」

「──え? それだとその死んだ職人と一緒に葬られたんじゃないんですか?」

「さあ、どうだろう」

真久部さんはニヒルに笑った。

「骨董古道具にまつわる話は、どれが嘘やら本当やら。フィクションとノンフィクションの境が曖昧でねぇ、後付けの箔付けもあるし」

「……」

つまり、実際に恋に焦がれて死んだ哀れな男がいたのか、情けある太夫がいたのか、本当のところはわからないってことですね。

「──でもまあ、そんな逸話が似合うような雰囲気の煙管ですよね。なんだかとってもゴージャスな感じ」

煙草盆に掛けられた煙管を、あらためてじっと見てみる。両端の銀の吸い口と雁首、だったっけ? 細かい模様が彫られてる。真ん中の木の部分は蒔絵が施されてて、図案は何だろう、秋の野辺で踊る……女の人? 長い時を経てきた道具特有の、独特の雰囲気と存在感がある。

「容貌に優れ、教養高く、芸事にも秀でた選りすぐりの存在──。当時の遊女の最高位、“太夫”と呼ばれた女性の持ち物だったと言われれば、そうかと納得できるほどの豪奢なつくりでしょう」

真久部さんの言葉に、本当に、と俺はうなずいていた。

「そんじょそこらの人間には絶対似合わないですね。女も男も。これで刻み煙草吸うより、位負けして逆に命とか吸われそう」

つるっとそんなことしゃべってた。ひえっ! と思う。自分で怖いこと言ってどうするよ、俺。──あ、真久部さんが面白そうな顔してる。話を逸らそう。

「でも、さっきの真久部さんは別に変じゃなかったですよ。負けてなかったです!」

その代わり、妙に艶かしかったけど……。きっとあれは眼の錯覚に違いない、うん。胡散臭い笑みのよく似合う、怪しい雰囲気の人だから、この程度では位負けなんてしないのかもしれないな。

俺の言葉にちょっと笑ってから、不思議なことを真久部さんは言う。

「これはねぇ、女の人は使えない、使ってはいけない煙管なんですよ」

「え、でも。お話はともかく、元は太夫、つまり女性の持ち物だったんじゃ?」

男物には見えないけど。あ、でも、わざと女物持ったりすることもあったのかな。何だっけ、派手な格好した、傾奇者だっけか。今で言うヤンキー的な感じの。

「最初の持ち主の名前は伝わっていませんが、何々太夫、と呼ばれていたとは言われていますね。その後は様々」

「……」

そりゃ、今現在こんな店(つまり骨董古道具の)にあるくらいだから、いろんな人の手から手へと渡り、次々と持ち主が変わってるんだろうけど──真久部さんの言い方が、なんだか不穏……。

「実はね、さっき何でも屋さんの言ったこと、半分くらい当たってるんだ」

ここで楽しそうに笑う真久部さん。わざとらしく、「いやあ、何でも屋さんもなかなかわかってきたみたいで、うれしいですねぇ」なんてこと言う。やめて!

「最初に何があったのか、それはわかりません。ただ、次にこの煙管を手にした遊女が凄惨な最期を遂げたらしく、そこから良くないいわくがついたのか、持ち主になった女はもれなく不幸になったといいます」

「お、男は……?」

「男の場合は、特に何も起こりません。ただ、所有しているそれを身近な女に使わせると、彼女に良くないことが起こる。だからいつしかこれは女を呪う、呪い殺す煙管だと言われるようになりました。二つ名を、“六条”」

たぶん『源氏物語』の六条御息所から採ったんでしょうね、とつけ加える。

「この“六条”にとっての源氏の君は全ての男で、全ての女は源氏の君を奪う憎き(かたき)である、だから女を不幸にし、取り殺すのだというわけですね。それが正しいのかどうかはわかりませんが」

そんなわけで、男である何でも屋さんは怖がる必要はないですよ、と怪しく笑う。
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