第218話 竈と猫 5 かまどに棲むモノ

文字数 2,398文字

しかも、目を覚ましてしまっていて、なおかつご機嫌斜めという厄介な状況、とつけ加える。

「だから、そこにいて顔を引き攣らせている人たちに声を掛けてみたんです」

お困りでしょうか? そうたずねると、全員が無言でぶんぶんとうなずいたらしい──。うーん、真久部さん通常装備の温厚かつ怪しく胡散臭い笑みに、一瞬で気を呑まれる男たちの姿が目に見えるようだ……。

「まあ、藁にも縋りたい気分だったんでしょうねぇ。御祓いを頼んでも、まるで何かに邪魔されてるかのように人が来れないし、だからといって、放置するのも恐ろしいという」

「その……オーナーに飛びついてきたのは何だったんですか? かまどの精?」

主にこの慈恩堂で、俺も怪しい気配を感じることはあるけど、幸いそんなアクティブなのに出会ったことはない──。

「精……なのかなぁ」

んー、と真久部さんは首を捻る。

「でも、かまどのじゃないです。あれはかまどに棲んでいるもの──」

ふ、と笑う。

「何でも屋さんも、“結構毛だらけ猫灰だらけ”って台詞、聞いたことあるでしょう?」

「あー、あります。映画で、寅さんが口上述べてますね」

『男はつらいよ』で、寅さんに扮した渥美清が。流れるように小気味良く、ぽんぽん出てくるよな、真似できないけど。

「その“灰だらけ”の猫って、昔はそこらじゅうにいたんだよ。竈猫っていってね。灰猫ともいいますが」

かまどねこ? ああ。

「ご老人の話し相手したとき、どなたかに聞いたことあります。冬寒いから、火を落としたかまどの中に入ってるんですよね。朝になると灰と煤でまだらになって大変だったとか」

そこらじゅう足型付けて、汚して回って親に叱られる飼い猫が可哀想だから、毎朝雑巾で拭いてやってたって言ってたのは誰だっけ。大浦のお婆ちゃんだったかなぁ。

お婆ちゃんの子供の頃の姿を想像してちょっと和んでいると、真久部さんが、そうそう、とうなずく。

「今と違って昔は飼い猫でも厳しかったのでねぇ。布団になんか入れてもらえない。鼠捕りさせるから放し飼いで汚れてるし、蚤がいるからだろうね。だから寒くなると、暖かい場所を求めてかまどの近くにいるんです。粗忽な竈猫は、たまに火が消える前に中に入って毛を焦がせたそうですが、ベテランは上手に暖を取った」

火のあるあいだは外側にくっついてると暖かいし、昔の猫は本当にかまどが大好きでした、と言った。

「今なら彼らはコタツ猫と呼ばれることでしょうね。──床暖房やホットカーペットを使っていて、コタツの無い家では、保温中の炊飯器の上に乗ることもあるそうだけど」

「……」

ポットの上で、器用に香箱組んでる猫見たことある。顧客様のお宅で。そっか、現代の猫たちは暖まる場所がいっぱいあるんだなぁ……。

「中には、かまどの番をする竈猫もいたといいますよ。煮炊きの途中で蓋がずれて中身が吹きこぼれたり、一日の終わりに火を始末するのを忘れていたりすると、にゃあにゃあ鳴いて家人に教えたそうです。ある時など、何もないのにしつこく鳴くので、かまどをよく確かめてみると、わかりにくいところに亀裂が入っていた、ということもあったということです」

そういうのを放っておくと、下手すると使用中に崩壊する危険性があるので、かまど番の猫は重宝がられたそうですよ、と続ける。

「富貴亭のかまどの中にいたのは、きっとそういうモノ(・・)です。竈猫の、精霊のようなものが棲んでいたんでしょう。かまどの苦境を教えるために、オーナーに向かってきたんだと思いますよ」

可愛いですよね、なんて胡散臭く微笑みながら真久部さんは言うけど、そんなわけのわからないものに飛びつかれたというオーナーは、肝が冷えるくらいでは済まなかったんじゃないだろうか。俺だったらちびるかも……ぶるぶる。

「……でもそれが、どうして招き猫の中に入っちゃったんですか? そのとき真久部さんの持っていたっていう」

「中が空っぽだったから」

涼しい顔でそんなことを言う。

「空っぽ?」

「ええ。中が空っぽの、“猫”と呼ばれる器。入りやすかったんだろうね、(しょう)が似ているから」

「……」

そんな簡単に……と思うけど、真久部さんの仕入れた道具だしなぁ……。

「オーナーは怖がってましたけどね」

「そりゃ、そうでしょうとも……」

「でも、あの店にとって絶対良い道具になってくれると思ったので、説得して買い取ってもらいました。良い縁を結ぶことができたと自負していますよ。──人とモノとの縁を繋ぐのが、僕の仕事だからね」

そう言って珍しく普通ににっこりしたと思ったのに、でもまあ、オーナーにしてみれば、かまどの対処の仕方を教えてもらったから、というのが大きかったんでしょうけどね、とちょっと皮肉な微苦笑になってしまった。

「あそこのかまどは、(こぼ)してしまったどこかの古民家から廃品として回収してきたものだったそうで、戻せる先はもうありませんでした──。長い間人が住むこともなく放置され、何十年も時間が止まったままのような状態だったので、家と一緒にそのまま毀されていたなら、眠った(・・・)ままで消えていったんでしょうが……、ある日突然、火と水の気配のする、活気のある大きな台所、つまり板場の近くに持って来られた。そりゃあかまどだって、深い眠りからも覚めようってものですよ」

「……」

そ、そういうものなのかな……。かまど的に(?)出番が来たとでも、思っちゃったんだろうか。

「それなのに、自分は全く使われる気配がない。待っているのに、火も水も来ない。自分が()なのかよく知っている人間はいるようなのに近づいてこないし、しまいに、イマドキこんなん使うヤツいねーよ、邪魔だなぁ! なんてこと吐き捨てられるし」

何かが目に入った、と涙を流していた若い衆の言葉です、と真久部さんはいい笑顔でつけ加えた。きっとオーナーに飛びつきがてら、竈猫に灰を飛ばされたんでしょうね、って、怖いってば、ホントにもう……。
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