第355話 鏡の中の萩の枝 6

文字数 2,027文字

「友人は、別にそっち方面に関心があったわけでもなかったんです。私の持ち物を見て、古そうだけどなんか良いね、とか言うくらいでねぇ。なのに旅先で買ったと、こんな割れてないだけが取り柄の古道具を見せられたときには驚きました。本人は、なんか良いと思ったから、とか言ってたけれど」

呼ばれたのかねぇ、と、この人には珍しくたぶん普通の冗談を言う。

「鏡の裏の、萩が気に入ったとは聞いたよ。さすがに、鏡面が割れていたら買わなかったとも言っていた。塗りが剥げ、螺鈿もいくつか欠けていたが、それでもこの萩がいいと──好みというか、本人の感覚と合っていたんでしょう」

石ころの中に見つけた宝物、他の人間には石ころに見えても、と思い出の中に向ける瞳はどこか微笑ましそうだ。

「別にその道具に**が育っていなくても、呼んで呼ばれて出会うことがある。それも縁というのさ。友だちに出会うのと同じことだよ」

道具に育つ**何か──。いつもそこだけ耳がぐにゃっとして聞こえないけど、古い道具には“何か”が育つことがあって、その“何か”がある道具は、とても魅力的に見える、らしい。

この慈恩堂のあちこちで俺にアピールしてくるやつらなんかは、俺からすると、無駄な存在感がある、ように見える。そうでないやつらも、なんかツヤツヤしてたりテカテカしてたり……まあ、伯父さんが言ってるのはそういうことなんだろう。それに中てられ、惹かれて出会う縁もあるけど、この場合は本当にただの偶然だと──

「友人は、きれいに拭き上げただけで、特に修理もせずにいた。ただ書き物机の上に置いて、時々眺めては気分転換をしていたそうだよ。古ぼけてところどころ破損している萩の姿、その裏側の古い鏡とそこに映る自分の顔、周囲の資料や本、ドア、窓の向こうの庭木の枝、反射する光、光──。そういったものが面白くて、気づけば煮詰まって止まっていた筆も動き出すと笑っていましたね」

道具と、良いつき合いをしていた、とかつての友を思う表情は柔らかい。

「ドジを踏んでポックリ逝ってしまった後、残されたこれ。大切に扱われてはいたけれど、傍目にはやはり見窄らしい、ただの壊れた道具だ。奥方が気味悪がってね、これのせいで主人に悪いことがあったんじゃないか、なんて──まだそんなトシじゃなかったからね」

奥方は、怖がりのくせに怖い話が大好きな人だったから、鏡の出てくる怪談あたりにちょっと影響されてしまったんだろう、と苦笑い。

「かといって、捨てるのも怖い。どうしたらいいかと相談されたので、形見分けにもらってきたんだ。ちゃんときれいに修繕してお返ししますよ、と提案したんだけれど、やっぱり怖いからいいです、と遠慮されてしまった」

うっかり者のあの友人と添い遂げただけあって、朗らかで懐の深い人だったが、一度怖いと思ってしまうともうダメだったんだろうね、と言う。

「まあ、鏡は昔から神秘的なものとされ、祭祀にも使われるほどだし、その向こうにもう一つの世界が広がっているという考え方は、古今東西変わらない。神秘的というのはつまり、得体が知れないってことでもある。今では気にしない人もいるが、それでも、だいたいは昔からの扱いのルールを守っているね。迷信に囚われるというほどではないにしても」

「……」

そういえば、手鏡は使わないとき伏せておきなさい、とか、三面鏡も開きっぱなしはダメ、とかいうよな。俺も子供の頃、母に注意されたことがある。何でも屋の俺を贔屓にしてくれてる布留のお婆ちゃんも、嫁入りに持ってきたという古い鏡台の鏡に、着物みたいな生地の覆いを被せてる。

「確かに、あんまり鏡をむき出しにしてることってないですよね。鏡面を保護するためかと思ってましたけど、それだけでもないのかな……」

「もちろん保護の意味も大きいですよ、単純に割れやすいもの。もっと昔の、石や金属を磨いた鏡は傷つきやすいし」

そう言って、伯父さんは笑う。

「洗面台の鏡とかトイレの鏡なんか、昔の人が見たら仰天するだろうね。量産できるようになったんだから、普及するのは当たり前だし、あったほうが便利なんだから仕方がない。だけど、何でも屋さん、不気味に思ったことはありませんか?」

「──何を?」

「学校の、誰もいない放課後のトイレ、薄暗い雑居ビルや地下街、古い旅館の洗面所で見る鏡。あるいは、夜、作りつけの鏡の前を横切るときなんか。どうです? 何も無いけど気味が悪い。これまでに、そんなことはなかったですか?」

「……」

俺の顔色を眺める意地悪仙人は、とても楽しそうだ。

「誰でも、一度はそんな思いをしたことがあるはずだよ。鏡を畏れる気持ち、それはほとんど本能的なものだ。ただの虚像だと、理性は判断する。けれど、そうでない部分が囁く、そこに映っているのは、本当にこちらの世界なのか? と。あれはこちらの世界に似た別の世界で、そこに映る自分の顔は、もしかしたら、自分にそっくりのあちらの世界の住人の顔ではないのかと──」
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