第282話 寂しい猫なら可愛がれ

文字数 2,265文字

「身勝手な理由で酷い目に遭わされた猫たちも、何とか成仏できたようです」

猫たちのためにも、水無瀬家のためにも、とても良いことですと呟くように言う。

「そうですか……」

恨みも苦しみも洗い流されて、軽くなって、空に上っていったのかな。そうだといいなぁ……。

「──招き猫本体のほうは、どうしたと思います?」

しんみりしていると、気持ちを切り替えるように次をたずねられ、俺は考えてみる。今回の場合はお焚き上げとかじゃないのはわかるけど、うーん……。

「鰹節でも供えてやったとか──?」

それくらいしか思い浮かばない。

「鰹節。それもいいねぇ」

それこそ猫のような笑みで、真久部さんは唇の端を上げてみせるけど。

「いいんですか?」

肯定されて、俺は驚いてしまった。──そういえば、富貴亭の板長は、毎朝仕込み前に竈猫の()()()招き猫に煮干しを上げているって、確かこの人から聞いたことがあったっけ……。

アレ(水無瀬家の招き猫)はねぇ、飼い主に可愛がられることのなかった猫みたいなものだから。ちゃんと存在を認めているというしるしに、好物を与えてやるのは良い方法です」

「そ、そうなんですか」

よくわからん。頭の中がこんぐらかりそうになってる俺を知ってか知らずか、読めない笑みのまま、さらに不可解なことを言う。

「だからね、水無瀬さんにお願いして、アレを可愛がってもらったんですよ」

「可愛がる?」

招き猫を、どうやって? 供え物をするのはわからなくもないけど……、そんな思いで顔を上げると、真久部さんが悪戯っぽい目をしてる。

「部屋に置いて声を掛けてやったり、撫でてやったり。一緒に日向ぼっこしたり。そんな感じでね」

抱っこまではしなくてもいいです、と説明したんですが、膝に乗せてやったりはしてくださったそうですよ、と微笑む。

「幼少の水無瀬さんにとっては悪い呪いの招き猫でしたが、今はもう、ね。悪人に利用された不憫な道具を、救ってやっていただけないでしょうかとお願いしてみたら、ちょっと複雑な表情はされましたが、快く」

「……」

心が広いな、水無瀬さん。でもまあ、今回は真久部さんのお蔭で昔のいろいろなことが判明したんだし──、何より、水無瀬家の家神様の磐座の件は、この人が動いてくれなければどうにもならなかったと俺でも思うから、恩返しのつもりもあったのかもしれない。

「それで、“良い子”になったというわけですね?」

店に並べられていたんだし。売れていったし。
そう言うと、真久部さんはうれしそうにうなずいた。

「アレはねぇ。本来は本当に人間のこと()大好きな道具だったんです。猫好きな職人が、亡き愛猫を思いながら大事に大切に作ったものですからね。大事にされれば、もっと人間のことが好きになる」

もともと猫八の作る招き猫は人懐こくて、ちょっと声を掛けてもらったり、なんとなく頭を撫でてもらったりすると喜んで、せっせと人を招いたといいます、と続ける。

「ただ置いてるだけのところはそれなりに。でも、粗末に扱うと──」

「そ、粗末に扱うと、ど、どうなるんですか……?」

意味ありげな間に、思わずごくりと唾を呑む──。そんな俺の反応に満足したかのように、真久部さんはにっこり笑って言った。

「どうもなりません。何もしないだけです。猫八の招き猫は、“悪い子”ではないからね」

「もう! 怖い話かと思いましたよ……」

意味深な言い方はやめてほしいとプチ抗議すると、怪しい笑みを浮かべたまま、まあまあ、と宥めてくる。

「だいたいね。猫好きの人間は、猫を怖い存在だと考えたりしないでしょう?」

たとえ暗闇で眼が光ろうと、気配を消して物陰から覗かれようと、雨の日に外にいたのにからだが濡れていなかろうと、とそれだけ聞くとなんだかコワイような例を軽く挙げていく。

「だから基本、猫好きの作った猫の形をしたものは、()()()()()()ならないんです。それに、ほら。猫八の頭のなかにいる猫は、生きていたときからいつもだいたいウメ。かなりぼーっとしていたというウメが、放置されたくらいで人を恨むと思いますか?」

「いや……なんとなく、そのままぼーっとして、隅っこで生きていそうな気がします」

可愛がられると喜ぶけど、ぞんざいに扱われたとしても何も主張せず、いつの間にかいなくなっているイメージ。

「そう。水無瀬家の呪いの媒体に使われた招き猫は、本当はそんな性質だったんですよ」

なのに、正反対のことをさせられてね、とほろ苦い笑みを浮かべる。

「傷ついていたと思うんです。──ウメも、うっかり猫八を引っ掻いて流血させたことがあって、そのときは長いあいだ床の下から出て来なかったといいます。いくら賢くなくても、自分の大事な飼い主を傷つけたら、自分が悪いんだとわかって落ち込むんだよ」

「ああ……」

うちの居候猫だって、好き勝手してるようでも、俺に怪我させるようなことないもんな。猫パンチや猫キックかましてきても、どこか軽くて遊んでいるみたいだ。あいつも俺のこと好きなのかな。まあ、嫌だったら居ついたりしないだろうけども。

「倉木さんちの猫も、引っ掻いたあとに“ヤバッ!”って顔して、傷跡を舐めてくるって言ってました。それで痛がって泣くふりをしたら、一日元気無かったって」

宥めるのが大変だったって言ってたな。真久部さんはうなずく。

「人を傷つけるつもりはないのに、そんな自分の性質を捻じ曲げられ、悪い呪いの招き猫にされていたことにアレは傷ついていましたが、それでも残る呪いの残滓は、元はそれを向けられていた人に許され、可愛がられることによって消えると僕は考え──実際、消えたと思います」
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