第231話 真久部さんの愚痴
文字数 2,018文字
「そういうものですよ」
俺がしっかり肯定すると、目の前の地味な男前はすっと目を伏せた。
「悪さはしないんですがねぇ……」
それは一瞬のことで、次の瞬間にはまたいつものように微笑んでいたけど、瞳がどこか寂しげで、何だか胸の奥がチクッと──いや、でもこれって立派な怪異であって、俺じゃなくても普通は誰だってびびると思うんだよ、真久部さん……。
まあ、この人にとって水無瀬家の蔵はただのでっかい古道具みたいなもので、普段この店で扱ってるものと大差ないのかもしれないけど、さ……。
「……」
店主は冷めたお茶をゆっくりと啜っている。
その姿から何となく目を逸らし、ぼんやりとした視線の行く先を辿ってみれば、明るいのにどこか仄暗い店の中、黒い兎のミニ鬼瓦がとぼけた顔でミニ座布団の上に鎮座してるし、柘植の木でリアルに彫りこまれた蝦蟇は磨かれて艶々、でっかいドクターバッグみたいな覆いのついた卓上手回しミシンは最近入ったものだけど、その隣の、牡丹の花がわさっと咲いてる図案の壺と、亀の形をした小物入れはずっと前からあってなかなか売れない。
卓上手回しミシンからは、時々カタカタと何かを縫うような音が聞こえる、ような気がするし、亀の形の小物入れはたまに頭と手足と尻尾が引っ込んで、甲羅しか見えない、ような錯覚に陥るときがある。でも、ただそれだけで、何か悪いことが起こるわけでもない。それと同じことだって言われれば、納得できてしまうような、そうでもないような──。
真久部さんは古い道具を愛してる。だから人を害するわけでもなく、限られた条件の中、文句を言うだけの蔵なんて、ただただ微笑ましいだけなのかもしれない。──確かに、どっかのあの寄木細工のオルゴールみたいに、開けた者に対して気分で不運で不幸 な運命を囁いたりするわけじゃないんだから、可愛いものなのかも。開けるつもりもない者に、妙な落とし穴を用意して開けさせたりするわけでもないし……。
「……」
俺は思わず片手の親指と人差し指で目元をぐりぐり揉んでいた。すっかりこの慈恩堂と真久部さんに馴染んでしまっている己がコワイ。心の中にしっかりとあったはずの常識が難破して方向を失った挙句、北極星の隣の隣の、普通は見えない星をしるべにしちゃってるみたいじゃないか。これはイカン。
右と左とで少し色の違うちょっと孤独な瞳に、うっかり感じかけてしまった罪悪感は脇に置いておくとして、俺はまず自分の針路を確認しなきゃ……えーと、何の話をしてたんだっけ。
「……水無瀬さんの叔父さんって、本当に家宝の皿を盗んで逃げたんでしょうか──」
ふと口をついて出たのは、そんな疑問だった。
「それって、お父さんの早とちりだったんじゃあ? ほら、蔵が騒ぐから それは泥棒だってお父さんは思ってたわけで。叔父さんにしてみたら、盗むとかじゃなくてちょっとじっくり眺めたくなったから、蔵から出しただけだったんじゃ……」
真久部さんが緩く唇の端を上げる。
「真夜中に?」
「あ、そうか……」
あそこ、今も灯りはあるにはあるけど、裸電球だしなぁ……。水無瀬さんが子供の頃って、どうだったんだろう? 少なくとも、今より明るかったとは思えない。
「……ん? そういえば、水無瀬さんの叔父さんって、蔵についてのアレコレは知らなかったんでしょうか?」
知ってたら騒がれなかったはずだし……。
「──当時の状況から推測するしかありませんが……、多分、蔵の扱い方については秘伝で、代々長男にしか教えられないものだったじゃないでしょうか」
それが先代と先先代の間でうっかり途切れてしまったんだろうね、と軽く溜息を吐く。
「昨今、同じような感じで“取り扱い上の注意”が失われたせいで、使えなくなった道具が捨てられることも多くてねぇ……うちのような店に流れるくらいならいい方で、被害が出たからと、素人がおかしな処分の仕方をしたせいで、とばっちりの犠牲者が出ることもあって……」
「……」
とばっちりって、どんな? と思ったけど、深く聞くのはやめておこう。うん。
「そ、その点、蔵って建物ですもんね。捨てるなんて無理ですし──」
「モノが建物でも、毀 されることはあるよ。──まあ、放置されて、崩れるに任せられているものがほとんどだけれど」
事実、少し前までは水無瀬さんだって触らぬ何とやらに祟りなし、ということ放置していたわけだし、と言われて、うなずくしかなかった。そんな俺に、真久部さんがすみません、と言う。
「え?」
「すみません。つい愚痴をこぼしてしまって。何でも屋さんは僕の気持ちを考えてくれたのにね。そう、今回はちゃんと人とモノの縁を途切れさせなくて済んだんだから、喜ばなくちゃね、蔵も、その中の道具たちも」
いつの時代も世代交代で行き場を失うモノは沢山あるんだし、と呟いた。
「いやあ、はは……」
そんな深く考えてたわけじゃないけど、真久部さんがあの蔵のことけっこう気に入ってるらしいのは感じてたから、うん。
俺がしっかり肯定すると、目の前の地味な男前はすっと目を伏せた。
「悪さはしないんですがねぇ……」
それは一瞬のことで、次の瞬間にはまたいつものように微笑んでいたけど、瞳がどこか寂しげで、何だか胸の奥がチクッと──いや、でもこれって立派な怪異であって、俺じゃなくても普通は誰だってびびると思うんだよ、真久部さん……。
まあ、この人にとって水無瀬家の蔵はただのでっかい古道具みたいなもので、普段この店で扱ってるものと大差ないのかもしれないけど、さ……。
「……」
店主は冷めたお茶をゆっくりと啜っている。
その姿から何となく目を逸らし、ぼんやりとした視線の行く先を辿ってみれば、明るいのにどこか仄暗い店の中、黒い兎のミニ鬼瓦がとぼけた顔でミニ座布団の上に鎮座してるし、柘植の木でリアルに彫りこまれた蝦蟇は磨かれて艶々、でっかいドクターバッグみたいな覆いのついた卓上手回しミシンは最近入ったものだけど、その隣の、牡丹の花がわさっと咲いてる図案の壺と、亀の形をした小物入れはずっと前からあってなかなか売れない。
卓上手回しミシンからは、時々カタカタと何かを縫うような音が聞こえる、ような気がするし、亀の形の小物入れはたまに頭と手足と尻尾が引っ込んで、甲羅しか見えない、ような錯覚に陥るときがある。でも、ただそれだけで、何か悪いことが起こるわけでもない。それと同じことだって言われれば、納得できてしまうような、そうでもないような──。
真久部さんは古い道具を愛してる。だから人を害するわけでもなく、限られた条件の中、文句を言うだけの蔵なんて、ただただ微笑ましいだけなのかもしれない。──確かに、どっかのあの寄木細工のオルゴールみたいに、開けた者に対して気分で
「……」
俺は思わず片手の親指と人差し指で目元をぐりぐり揉んでいた。すっかりこの慈恩堂と真久部さんに馴染んでしまっている己がコワイ。心の中にしっかりとあったはずの常識が難破して方向を失った挙句、北極星の隣の隣の、普通は見えない星をしるべにしちゃってるみたいじゃないか。これはイカン。
右と左とで少し色の違うちょっと孤独な瞳に、うっかり感じかけてしまった罪悪感は脇に置いておくとして、俺はまず自分の針路を確認しなきゃ……えーと、何の話をしてたんだっけ。
「……水無瀬さんの叔父さんって、本当に家宝の皿を盗んで逃げたんでしょうか──」
ふと口をついて出たのは、そんな疑問だった。
「それって、お父さんの早とちりだったんじゃあ? ほら、蔵が
真久部さんが緩く唇の端を上げる。
「真夜中に?」
「あ、そうか……」
あそこ、今も灯りはあるにはあるけど、裸電球だしなぁ……。水無瀬さんが子供の頃って、どうだったんだろう? 少なくとも、今より明るかったとは思えない。
「……ん? そういえば、水無瀬さんの叔父さんって、蔵についてのアレコレは知らなかったんでしょうか?」
知ってたら騒がれなかったはずだし……。
「──当時の状況から推測するしかありませんが……、多分、蔵の扱い方については秘伝で、代々長男にしか教えられないものだったじゃないでしょうか」
それが先代と先先代の間でうっかり途切れてしまったんだろうね、と軽く溜息を吐く。
「昨今、同じような感じで“取り扱い上の注意”が失われたせいで、使えなくなった道具が捨てられることも多くてねぇ……うちのような店に流れるくらいならいい方で、被害が出たからと、素人がおかしな処分の仕方をしたせいで、とばっちりの犠牲者が出ることもあって……」
「……」
とばっちりって、どんな? と思ったけど、深く聞くのはやめておこう。うん。
「そ、その点、蔵って建物ですもんね。捨てるなんて無理ですし──」
「モノが建物でも、
事実、少し前までは水無瀬さんだって触らぬ何とやらに祟りなし、ということ放置していたわけだし、と言われて、うなずくしかなかった。そんな俺に、真久部さんがすみません、と言う。
「え?」
「すみません。つい愚痴をこぼしてしまって。何でも屋さんは僕の気持ちを考えてくれたのにね。そう、今回はちゃんと人とモノの縁を途切れさせなくて済んだんだから、喜ばなくちゃね、蔵も、その中の道具たちも」
いつの時代も世代交代で行き場を失うモノは沢山あるんだし、と呟いた。
「いやあ、はは……」
そんな深く考えてたわけじゃないけど、真久部さんがあの蔵のことけっこう気に入ってるらしいのは感じてたから、うん。