第193話 寄木細工のオルゴール 31

文字数 2,574文字

「それでも僕は、先代とは骨董以外の話はしていません」

貶されても意に介さず、真久部さん。──うん、俺、そこは信じるよ、真久部さんのこと。

「親しくはさせていただきました。可愛がっていただいたとも思っています。ですが、僕たちは本当に骨董古道具の話しかしてなかったんですよ」

お互いそれが楽しかったんです、という呟きを、どうだか、と清美さんは鼻で嗤うように叩き伏せる。

「じゃあ、どうして?」

投げられた問いに、真久部さんは無言で首を傾げた。

「どうして父は、わざわざガラクタ整理にあなたを指名する遺言を遺したのかしら?」

「……それこそ、あなたのおっしゃるガラクタ、先代の蒐集された骨董古道具に関することだからですよ。子供が三人いて、三人とも自分の趣味に興味を持ってくれなかったと──、先代は生前、寂しそうにおっしゃってました」

どうしてご主人とつきあいのある古川さんじゃなくて、慈恩堂(うち)に、とそれを不満に思ってらっしゃるのかもしれませんけど、と真久部さんは続ける。

「単純に得意分野の問題でしょう。古川さんは主に絵画と掛軸を扱ってらっしゃいますが、それ以外の道具類は得意でない。先代のコレクションは組木、寄木の箱物、細工物が多く、あとは茶道具などもありますが、根付などの小物も沢山あって幅が広い。もちろん掛軸なども良いものをお持ちですが、それでも一点特化の古川さんより、書画骨董よろず全般を扱う慈恩堂(うち)が適当だと考えられたのだと、僕は思っています」

「……」

清美さんのあからさまな疑いの表情をものともせず、真久部さんは穏やかにその眼を見つめ返す。

「先代は僕の鑑定眼を信用してくださっていたのだな、と、うれしく思っていますよ。今回は仕事としての、そのご遺言を果たすことはできませんでしたが……、先代に頂いた信用と信頼が僕の勲章です」

だから、コレクション整理の手数料などは手に入らなくても、僕は別にいいんです、と結んだ。全てはご遺族のご意思ですし、と。

「……じゃあ、そのオルゴールは何なの、開かないはずの。──あなた、父から預けられたのではないの? 何かを、入れて──」

そう訊ねる清美さんの眼には、まだ疑惑の念が油膜のようにぬらぬらとこびりついている。口元も歪んで、醜い表情だなぁ……あ、ちょ、指先にも血が……? 

……このぶんじゃもっとあちこち怪我してそうだけど、興奮のあまり痛みを感じられないのかもしれない。今はアドレナリン全開でやたら元気に見えるけど、もう少ししたら倒れるかも? せめて座らせたいんだけど、今は無理か……。下手に口を出したら、火に油を注ぎそうだし……。

「先代がこれを手放したのは、三十五年も前だと聞いています。あなたが十二歳のときですよ、清美さん。骨董市で僕がこれを買い付けたのは、今から十年前……。先代とこれには、もう何の関係もありません。これは僕の……この店の所有であって、誰かから預かったものではないんです。僕が“開かない鳴らないオルゴール”の話をするまで、先代はすっかり忘れていらっしゃいましたよ、四半世紀も行方不明だったんですから」

……三十五年前に十二歳ってことは、清美さん、いま四十七歳か。失礼ながら五十代半ばに見えたよ。口元の不敵なシワのせいでそう見えたのかも……。態度もなんというか傲慢……いや、妙に貫禄があったので、てっきりそれくらいだと……いや、いや、微妙に若作りだなんて思ってなかったよ! 四十七も五十半ばも大して変わらないし!

「先代があなたにコレに近づいてほしくなかったのは、危険だから。お金を積まれても売らないでほしいとおっしゃったのは、あなたにはもう次がないということを、ご存知だったから。──覚えているでしょう、三十五年前。先代がこのオルゴールを手放すきっかけになった出来事を」

あなただけ七日間の悪夢──。そう告げる真久部さんに、父があなたに話したの? と清美さんは血走った目を見開いた。

「あ、あれは──」

「そのとき聞かされたでしょう、この道具のことを。そして、諭されたでしょう、禁じられるには理由があると──。あなたは、二度とコレを手に取ってはいけなかったのに……」

「……」

「開けてみて、どうだったんです? 何か入っていましたか、お求めのものが?」

「何も……」

うつむいた清美さんの指先から、つぅっ、と赤いものが糸を引いて落ちた。

「何も入っていなかったわ……」

ポタリ、ポタリ、水音が聞こえる。

「何もなかったのに、声、が──」

「あなたは、ここに来るべきではなかった。そうすれば三十五年前には免除されたはずの“運命”を、聞かずに済んだのに……」

「……」

「僕が店にいれば止められました。でも、あなたは僕のいない隙を狙って来たんでしょうから、──自業自得ですよ」

ポタリ、とまた何かがしたたり落ちる音がして、清美さんはうつむいていた顔を上げた。

「あなた──」

虚ろな瞳が俺を捉えた。こめかみから頬を、顎を伝って落ちる、赤い──。

「あなたが止めてくれなかった、から、私、は……」

血。唇からも、ごぼり、と泡立った真っ赤な血を吐いた。カッ、と見開いた目が、恨みをもって俺を縫い留める。息が止まる。

「どう……して、とめてくれなかった、の……どうして……どうして」

  ──止めろ! 止めなさい!

真久部さんの声が遠く聞こえる。身体が動かない。

「あな、た……わたし、が、はこをあける、のを、どうして、どうして……とめて……」

肺が動いてくれない。目の前いっぱいに血まみれの鬼女の顔が──。

「とめて、くれなかった……あなた、のせいで、こえ……を、わたし、はきいて、しまったの……あなた、のせいで、わた、し、わたしは……こ、えを」

  ──止め──!

必死な声が止めるのに、鬼女は涎のように粘った血を口から滴らせながら……。

「──」

もう座っていることはできなかった。上体がちゃぶ台の上に倒れて、茶碗や銘々皿を弾き飛ばし……ああ、お茶全部飲んでおいてよかったな、と思いながら意識が薄れていくのを──指先に、この全ての元凶の寄木細工のオルゴールが触れるのを感じた。

 カタ……

あれ、細工が動いた……?

 カタ……カタ……

俺の手がオルゴールを握っている。細工を動かしている。

 カタッ…… カタカタ…… カタッ

何で? どうして? どうなってる……?

 カタ……カタッ カタ……
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