第60話 貴重な人材 5

文字数 2,654文字

「その……大切にされてたようなのに、どうしてこういう店に来るようになっちゃったんでしょう?」

この状態を見れば、俺にだってあちこち流れてきたのが分かる。店の隅に一緒に置いてあったウクレレや琵琶に比べても、本当に酷い状態だ。

「進学先の学生アパートにも持って行って、学業の合間にこのギターを弾くのが楽しみだったって、彼は言ってたんですが……」

もっと寂しそうな言い方だったけど、そんなことまで教える必要はないだろう。

「盗まれたんです」

歯の間から押し出すように葛原さんは言い、もう十数年前の話になりますが、と盗難の背景を語った。

「──大学一回生の冬のことでした。大介は風邪を引いて拗らせ、そのまま死んでしまいました。元々呼吸器の弱い子だったんです。実家にいたらそんなことにはならなかったのに……」

だからあんな寒いところの大学はやめておけと言ったのに、と葛原さんは悔しそうにぎゅっと目を瞑った。

「その日、週に一度、必ず掛けてきていた電話が無く、姉は胸騒ぎがしたそうです。前の週に掛けてきたとき、風邪ぎみだったことを思うと心配になって矢も盾もたまらず、電車と飛行機を乗り継いで、必死になってあの子の部屋に駆けつけたと後から聞きました。……ドアを叩いても反応は無く、合鍵で開けて入ったら、大介はもう虫の息だったそうです。すぐ救急車を呼んで、病院に運んでもらったんですが……」

手遅れでした、と呟く葛原さんの顔を、俺は見られなかった。

「アパートの部屋で、あの子はこのギターを抱くようにして布団にうずくまっていたそうです。最後の言葉は、『叔父さん、ギター弾いて』だったと……」

葛原さんの声は湿っていた。俺は何の言葉も出せずに、ただ古ぼけたギターを見つめていた。

「……その頃、私は演奏旅行で海外に出掛けていて、こんな悲しい報せを聞いてもすぐには帰れませんでした。帰国した時には、既に全てが終っていました」

沈黙が落ちると、骨董品の時計たちが時を刻む音だけが聞こえていた。微妙にずれたそれぞれの秒針の音が、静寂をやさしく撫でて慰めるかのようだと、心のどこかで思う。ひどく悲しかった。踏みしめた地面が不意に崩れ落ちるように、親しい人を喪うその虚無感を、俺も知っている。

「ふさぎ込む姉と義兄の代わりに、私が大介の部屋を整理しに行きました。まだ冬の最中で、とても寒かったことを覚えています。大学の教科書と本、辞書、少しの服、部屋にあったのはそれだけで、ギターと、あの子が持っていたはずの音楽プレイヤーといくつかのCDは見当たりませんでした。慌てて姉に連絡すると、プレイヤーとCDは気に掛けなかったけど、ギターは確かにあったといいました。あの子が最後まで大切にしてたものですから……」

「つまり、(あるじ)不在になった部屋に、いつの間にか泥棒が……?」

俺が尋ねると、どうやらそういうことらしいです、と葛原さんは頷いた。

「救急車を呼んで、付き添って行くとき、姉は確かに部屋の鍵を掛けたそうです。それから一度もそこに戻らず、私が整理のために赴くまでのひと月あまりの間、誰も入っていないはずなんです。鍵は閉まっていたんですが……」

「……そういう手口があるんだそうですよ。ピッキングだかサムターン回しだかで空けて入って、出る時、発覚を遅らせるために鍵を閉めなおすんだそうです」

そんな話を、警察官だった弟から聞いたことがある。

「それに、救急車を呼んで慌しくしてたんなら、その日、甥御さんの部屋は無人だと周囲に知れてたと思うんです。学生アパートなら皆独り暮らしですからね……」

そういう火事場泥棒的なターゲットの絞り方をする空き巣犯もいるんだそうだ。思わず溜息が出る。

「ええ。通報した警察にもそう言われました。いつ入ったか分からないので、犯人を見つけることは難しいだろうとも。現金も無くなっていましたが、それよりもギターです。盗品はリサイクルショップや質屋に出回ることがあると聞いて、アパート近くのそういう店を虱潰しに調べてみたんですが、とうとう見つかりませんでした」

時間が経っていたというのも大きいでしょうね、と葛原さんは言う。

「それからは行く先々で時間を見つけては、古いものを扱う店を探して回りました。蚤の市や、フリーマーケットも覘きましたし、友人知人にも助けを求め、同じタイプのギターを見掛けたら裏側を見てくれと頼みました。この通り、彫ってあるといっても浅いので、修復されたらどうか分からないですが、何らかの痕跡は残ると思ったので……。あるいはもしかしたら、どこかで誰かが大切に弾いてくれているかもしれないと思ったりもしてたんですが、ね……」

錆の浮いている弦を悲しげに(はじ)く。俯く肩が少し震えて、泣いているかに見えたけど、それでも顔を上げて何とか笑ってみせてくれた。

「道を訊ねるのに、わざわざこちらのお店を選んだのも、諦めて忘れていたつもりが、まだどこかで期待する気持ちがあったからでしょうね」

だけど今日は本当にここに来て良かった──。しみじみと呟く葛原さんに、俺も努めて明るく答える。

「この店、外からは見つけにくいでしょう? 看板も地味だし」

「いやいや。こういう古道具、骨董の店を山ほど見ましたが、こちらはまだまだ。もっと分かりにくいところもありますよ。逆に、これ見よがしに外に品物を積み上げているところもありますがね。ただ、こういうお店には独特の雰囲気(オーラ)があるので、どこへ行っても見つける自信はあります」

探すのが長年の習慣になって、身に染み付いてしまったんでしょうね、と恥ずかしそうに笑う。その姿が、探し物を求めて店内に目をさまよわせていた彼の姿と重なった。

「彼も──、大介くんも、あなたと同じようにずっと探していたみたいです。やっと見つけたって、そういう何ともいえない顔してました。だから、どこかの古道具屋ですれ違っていたかもしれませんよ。お互い、気づかなかっただけで」

死んでから、十数年が経つという。自分の部屋から無くなったギターを探して、その間ずっと彼はこの世をさまよっていたのかと思うと、とても寂しい気持ちになる。

でも、今日それは終ったんだ。

「あの、その背に担いでいらっしゃるの、ギターですよね? もし良かったら、それを弾いてみてくれませんか?」

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