第251話 時限爆弾
文字数 2,019文字
「叔父さんは? 叔父さんはどうなったんですか?」
家神様が理 を曲げて金魚として顕現したのは、水無瀬の叔父さんが禁忌を侵してまでそれを願ったから。
「……」
そこのところ、真久部さんはぼかして詳しく語らないけど、叔父さんに力 があるから、だからその願いが伝わりやすかったとか、それだけじゃないと思う。だって、「使った」って、真久部さんは言った。甥の命の危機に、他に方法も時間も無いから叔父さんは「水無瀬家の屋敷神の御神体を使った」って。
たぶん、御神体に何かしら働きかけたんだ、叔父さんは。本当ならやってはいけないやり方で。その力 だけを恃みにして。
結果、家神様は無理をし、その御神体、磐座であった石は割れてしまった。それは報いであり、犠牲だ。じゃあ、叔父さんの払った犠牲は? 禁忌を侵した報いはどんなふうに現れたんだろう……?
「叔父さんはねぇ……」
真久部さんは少しだけ目を伏せた。手元の茶碗から上る薄い湯気の行方を追うように、遠くを見ている。
「そう、まずは、いつもの金魚の代わりに家神様にお出まし願って、いよいよ危なかった甥っ子の周囲から、諸々まとめて悪いモノたちを蹴散らした後の話をしましょうか」
「あ……はい」
熱に魘されていた幼い水無瀬さんが意識を取り戻し、世話をされ、ようやく悪夢を見ない穏やかな眠りに就いた、その後。蔵の大きな軋み音に目を覚まさせられるまでのあいだに、一体何があったんだろう。
「家神様と叔父さんは、家宝の皿の様子を見に行ったはずです。それまでいつも気軽に気ままに叔父さんや幼い水無瀬さんの近くに現れていた金魚が、蔵に入れられたら急に出て来なくなったんです、原因を探りに現場に赴くのは当然のこと──」
当時家に預かっていた<白波>向けに、蔵の鍵は掛かってなかったでしょうから、入るのは簡単だったでしょうね、と続ける。
「中に入って、彼らはすぐに異変を感じたでしょう。収められた数々の道具の、その魚の意匠から抜け出て、自由にそこらへんを泳いだり、遊んだりしているはずの小魚たち の気配が、ほとんど無いんですから。それなりに力のあるはずの大きな魚たちはというと、隅の方で息を殺している。何が起こったのかと注意してみると、家宝の皿の金魚がとんでもないものと対峙していた──」
「とんでもないもの……呪物の招き猫、ですね」
そろっと視線が店の招き猫エリアに誘われそうになったけど、なんとか堪えて俺は言った。
「そうです。魚たちの楽園に、いつの間にか侵入していた捕食者。初めは小さく、取るに足らなかったものが、少しずつ周りの魚たちを食い、内に取り入れて、家宝の皿の金魚を脅かすくらいに強く大きくなっていた」
──池の底を全部抜いたらたまに出てくる凶悪なカミツキガメだって、卵から生まれたてのときは小さく柔らかく、他の捕食者についばまれてしまうような存在だったろう。そんな感じなのかも。
「もし、この呪物が初めから強い力を持っていたら、水無瀬家の敷地に入ったところで必ず叔父さんは気づいたと、あらためて僕は思うよ──。叔父さんは、家神様に届くほどの 力 を持っていたのだから……」
「……」
だけど、そうじゃなかった。<白波>の彼が持ち込み、蔵に紛れ込ませたとき、そこには小さな呪いの種があっただけで、幼い水無瀬さんについていた叔父さんや金魚の護りに、軽く弾かれる程度のものだったんだ。
「呪物より、彼 の悪意のほうがその時は強かっただろうよ」
皮肉げにそう呟いて、真久部さんは小さく息を吐いた。
「時限爆弾みたい……」
ふと、そんな言葉が口をつく。
「え?」
「いや、何となく……。こっそり仕掛けられて、気づけば爆発の時が近づいていて、みたいなところが。でも、そういうのって、たいがい間に合うんですよね、解除が」
うん。いきなりの爆弾は逃げるか隠れる暇がなければ諦めるしかないけど、時限爆弾なら。時間までに発見できれば、解除して無効化することができる。
俺の説明に、真久部さんは少しだけ笑った。
「そうだねぇ。似たようなものかもしれない。実際、その後彼らは同じようなことをしたから」
「同じようなこと?」
っていうと、解除か、無効化?
──ひゅるーんと吹き込む隙間風にかさかさ揺れる御札が、脳裏に蘇った。水無瀬さんと蔵で作業していたとき、一緒に見つけたあの古い御札だ。
「でも、その前にしなければならないことがあった。睨み合い、今にも猫に食われそうになっていた金魚を、助けないと」
力は互角とはいえなかっただろうけれど、それぞれ形が猫で、金魚だったから。爪も牙もある捕食者のほうが、若干有利だったはずだと真久部さんは言う。
「一触即発のその間に、家宝の皿の金魚が食われては元も子もないし、そのぶんまた呪いの力が育ってしまう。だから、叔父さんと家神様とで猫の気を引き……金魚を外に逃がしたんですよ」
「え?」
「あの蔵が騒いだのは、そのせいだったんです。中のモノが、蔵に断ることなく勝手に外に出たから」
家神様が
「……」
そこのところ、真久部さんはぼかして詳しく語らないけど、叔父さんに
たぶん、御神体に何かしら働きかけたんだ、叔父さんは。本当ならやってはいけないやり方で。その
結果、家神様は無理をし、その御神体、磐座であった石は割れてしまった。それは報いであり、犠牲だ。じゃあ、叔父さんの払った犠牲は? 禁忌を侵した報いはどんなふうに現れたんだろう……?
「叔父さんはねぇ……」
真久部さんは少しだけ目を伏せた。手元の茶碗から上る薄い湯気の行方を追うように、遠くを見ている。
「そう、まずは、いつもの金魚の代わりに家神様にお出まし願って、いよいよ危なかった甥っ子の周囲から、諸々まとめて悪いモノたちを蹴散らした後の話をしましょうか」
「あ……はい」
熱に魘されていた幼い水無瀬さんが意識を取り戻し、世話をされ、ようやく悪夢を見ない穏やかな眠りに就いた、その後。蔵の大きな軋み音に目を覚まさせられるまでのあいだに、一体何があったんだろう。
「家神様と叔父さんは、家宝の皿の様子を見に行ったはずです。それまでいつも気軽に気ままに叔父さんや幼い水無瀬さんの近くに現れていた金魚が、蔵に入れられたら急に出て来なくなったんです、原因を探りに現場に赴くのは当然のこと──」
当時家に預かっていた<白波>向けに、蔵の鍵は掛かってなかったでしょうから、入るのは簡単だったでしょうね、と続ける。
「中に入って、彼らはすぐに異変を感じたでしょう。収められた数々の道具の、その魚の意匠から抜け出て、自由にそこらへんを泳いだり、遊んだりしているはずの
「とんでもないもの……呪物の招き猫、ですね」
そろっと視線が店の招き猫エリアに誘われそうになったけど、なんとか堪えて俺は言った。
「そうです。魚たちの楽園に、いつの間にか侵入していた捕食者。初めは小さく、取るに足らなかったものが、少しずつ周りの魚たちを食い、内に取り入れて、家宝の皿の金魚を脅かすくらいに強く大きくなっていた」
──池の底を全部抜いたらたまに出てくる凶悪なカミツキガメだって、卵から生まれたてのときは小さく柔らかく、他の捕食者についばまれてしまうような存在だったろう。そんな感じなのかも。
「もし、この呪物が初めから強い力を持っていたら、水無瀬家の敷地に入ったところで必ず叔父さんは気づいたと、あらためて僕は思うよ──。叔父さんは、
「……」
だけど、そうじゃなかった。<白波>の彼が持ち込み、蔵に紛れ込ませたとき、そこには小さな呪いの種があっただけで、幼い水無瀬さんについていた叔父さんや金魚の護りに、軽く弾かれる程度のものだったんだ。
「呪物より、
皮肉げにそう呟いて、真久部さんは小さく息を吐いた。
「時限爆弾みたい……」
ふと、そんな言葉が口をつく。
「え?」
「いや、何となく……。こっそり仕掛けられて、気づけば爆発の時が近づいていて、みたいなところが。でも、そういうのって、たいがい間に合うんですよね、解除が」
うん。いきなりの爆弾は逃げるか隠れる暇がなければ諦めるしかないけど、時限爆弾なら。時間までに発見できれば、解除して無効化することができる。
俺の説明に、真久部さんは少しだけ笑った。
「そうだねぇ。似たようなものかもしれない。実際、その後彼らは同じようなことをしたから」
「同じようなこと?」
っていうと、解除か、無効化?
──ひゅるーんと吹き込む隙間風にかさかさ揺れる御札が、脳裏に蘇った。水無瀬さんと蔵で作業していたとき、一緒に見つけたあの古い御札だ。
「でも、その前にしなければならないことがあった。睨み合い、今にも猫に食われそうになっていた金魚を、助けないと」
力は互角とはいえなかっただろうけれど、それぞれ形が猫で、金魚だったから。爪も牙もある捕食者のほうが、若干有利だったはずだと真久部さんは言う。
「一触即発のその間に、家宝の皿の金魚が食われては元も子もないし、そのぶんまた呪いの力が育ってしまう。だから、叔父さんと家神様とで猫の気を引き……金魚を外に逃がしたんですよ」
「え?」
「あの蔵が騒いだのは、そのせいだったんです。中のモノが、蔵に断ることなく勝手に外に出たから」