第7話 双子のきょうだい 2
文字数 2,851文字
「まさか……」
無意識に呟く声が、店内の静寂に吸い込まれていく。
慈恩堂店主は、ごく普通の人間に見える。年齢不詳だけど。不細工ではないが、かといって、物凄く男前ってわけでもない。物腰はいつも穏やかで、声を荒げるところなど見たこともない。
だけど、俺の死んだ弟(警察官だった)は言ってた。いかにも犯罪者らしく見える犯罪者より、一見しただけでは逸脱したところの見えない、いわゆる<ごく普通の>人間の犯罪の方が怖いって。
「おじさん、おじさんてば」
「え? ごめん、呼んだ?」
子供は可愛らしいほっぺをぷくっとふくらませた。
「さっきからよんでるのに。おじさんもぼんやりさんだね。ぼくの兄ちゃんといっしょだよ。そんなんだと、さらわれちゃうよ?」
うう。子供に諭されてしまった。
「ごめんよ。大人になるとね、考えなきゃならないことが増えちゃってね……」
自分の雇い主が、小児性愛者かもしれない、とかさ。
って、ちょっと待て、俺。
「ああっ!」
無意識に上げた声に、子供はまたまたびっくりしたらしい。目を丸くして、小さな身体を強張らせている。
「いや、何でもないよ。驚かせてごめん」
突然姿を消した兄ちゃんを探しに、たった独りでこんなところまで辿り着いた子供を、これ以上怖がらせちゃいけないよな。
俺はへたくそに笑ってみせた。
に、にっこり。
じーっと俺の顔を見つめていた子供の身体から、ゆっくりと力が抜けていくのを見て、俺は何となくほっとした。
「もう。おじさんたら、おちつきがな~い。おとなのくせに、それってどうかとおもう」
ぷぅ、と頬をふくらませる子供。
「あはは、そうだね。ホントごめんよ」
に、に、にっこり。──笑顔がちょっと引き攣ったかも。
子供に呆れられるオトナってどうよ、と自分でも心の中で突っ込みつつ、俺は大人がまずしなければならないことを、まだやってなかったことを思い出していたのだった。
慈恩堂店主が幼児性愛者なのかどうかは、とりあえずまた後から考えることにして。
「えっと。君、出かけることは言ってきたっていうけど、お家の人は君のこと、心配してると思うんだ。だから、君の名前とお家の名前を教えてくれるかな?」
名前を聞き出すのは迷子(というのも微妙かもしれないけど)を保護した時の基本だというのに、色んなことに動揺していた俺は、そんなことをすっかり忘れてしまっていたんだ。
「ぼくのなまえ?」
男の子は俺に、というよりは、自らに問いかけるようにふと首を傾げた。
何だろう、この反応……? まさか、忘れたとかじゃないよな。
「ぼくは、オメガっていうんだ」
答えが返ってきてほっとしけど……オメガ……? 偽名、じゃないよな。今流行りのいわゆるD○Nネームというやつだろうか。高級時計から取ったとか?
ま、まあいいや。
「そ、そうか。ちょっと変わった名前だね。で? お家の名前というか、苗字は?」
「おうちのなまえはね──」
子供が答えようとしたちょうどその瞬間、突然店のドアが開かれた。
「ただいまー! じゃなくて。忘れ物しちゃったんで、戻って来ました」
そこには、朝、急いで出かけたはずの慈恩堂店主が、暢気な笑みを浮かべて立っていたのだった。
「いやー、僕もたいがいぼんやりしてますね。出かける前に荷物の点検したのになぁ」
予想外のことに言葉を失っている俺に気づかず、店主はしゃべりながら店の奥の収蔵庫に向かう。
「あ、真久部さん、ちょっと待って」
重い引き戸の向うにその長身が消える前に、俺は慌てて声を掛けた。
いや、だから。子供。あんたの忘れ物より、ここにいる子供。そっちの方が先。
「この子、どこの子か知りませんか?」
「この子って?」
俺の声に足を止め、こちらを振り返った店主は、訝しそうに訊ねてくる。
「え? だから、この子。──って、あれ、どこへ行ったんだ」
ついさっきまでここにいた子供。ちょっと目を離した隙に一体何処へ? がらくた、もとい、古道具の詰まった棚のどこかに隠れてしまったんだろうか?
立ったり、しゃがんだり、背伸びしたりして、雑多な古道具の並べられている棚の間を探す。が、子供はどこにもいない。しまいには表のドアを開けて外までのぞいてみたけど、後姿さえ見つけることは出来なかった。
そりゃそうだわな、だってさ、慈恩堂店主が入ってきた時、あの子は俺の目の前にいたんだから。戸口に立ってる店主に見つからずに外に出るなんて、不可能だ。
「あれ? 君の言ってた子は?」
肩を落として店内に戻ると、ちょうど店主が収蔵庫の戸口から出てくるところだった。俺があちこち探し回ってる間に、忘れ物とやらを見つけることが出来たんだろうか。
「いや、それが……」
何て説明すればいいんだろう?
「まだ五歳か六歳くらいの男の子で、兄ちゃんが攫われたから追いかけて来たら、この店でその兄ちゃんのにおいがして、それで……」
店主は目を丸くして俺の顔を見ている。
うん。俺が何言ってるのか分からないんだろうな。自分でもそう思うくらいだから、そりゃそうだろうな。
「えーと……だから、その子、双子なんだよ。双子の兄ちゃんを探しに来たって──」
ふっ、と口の中で言葉が消える。
……本当にあの子、どこへ行ったんだ?
店内のあちこちに視線をさ迷わせながら立ち尽くす俺の耳に、慈恩堂店主ののんびりとした声が滑り込んできた。
「あー、やっぱりこっち来ちゃったか」
「え?」
何かを納得したようなその物言いに驚いて、思いっきり店主を振り返ったら、首の筋がピキッと鳴った。痛い……。
「あれ、どうしました? 大丈夫?」
片手で首筋を抑えて悶絶する俺に、心配そうに近寄ってくる店主。
いや! だから! 俺の首なんかより!
「やっぱりこっち来たって、どういうことです? あの子のこと、あなたやっぱり知ってるんでしょう!」
俺は店主の肩を掴み、もどかしく揺すった。
この人は、やっぱりペドフィリアだったのか……。
俺にがくがく揺すられながら、店主は緊迫感のない声で抗議する。
「やーめーてームチウチになるー」
「ペドのヘンタイだったら、いくら雇い主でもそれくらいで済まさないですよ!」
そうだよ、俺にだって今年小学二年生になった娘がいるんだから。人の親として、小児性愛者なんて他人事でも許せない。
「ぺ、ペドのヘンタイって……」
どうしてそうなるんですか、と力なく呟きながら、店主は足が萎えたようにその場に座り込んだ。俺もその肩を掴んだまましゃがみ込む。
と。
「ん?」
しゃがんだ太腿のあたりに、ごろっとした石のような感触。陳列棚から何か落ちたか?
店主から手を離し、肩越しに下を見る。そこには、大人の掌よりちょっと大きめの狛犬がひとつ、ころん、と転がっていた。
無意識に呟く声が、店内の静寂に吸い込まれていく。
慈恩堂店主は、ごく普通の人間に見える。年齢不詳だけど。不細工ではないが、かといって、物凄く男前ってわけでもない。物腰はいつも穏やかで、声を荒げるところなど見たこともない。
だけど、俺の死んだ弟(警察官だった)は言ってた。いかにも犯罪者らしく見える犯罪者より、一見しただけでは逸脱したところの見えない、いわゆる<ごく普通の>人間の犯罪の方が怖いって。
「おじさん、おじさんてば」
「え? ごめん、呼んだ?」
子供は可愛らしいほっぺをぷくっとふくらませた。
「さっきからよんでるのに。おじさんもぼんやりさんだね。ぼくの兄ちゃんといっしょだよ。そんなんだと、さらわれちゃうよ?」
うう。子供に諭されてしまった。
「ごめんよ。大人になるとね、考えなきゃならないことが増えちゃってね……」
自分の雇い主が、小児性愛者かもしれない、とかさ。
って、ちょっと待て、俺。
「ああっ!」
無意識に上げた声に、子供はまたまたびっくりしたらしい。目を丸くして、小さな身体を強張らせている。
「いや、何でもないよ。驚かせてごめん」
突然姿を消した兄ちゃんを探しに、たった独りでこんなところまで辿り着いた子供を、これ以上怖がらせちゃいけないよな。
俺はへたくそに笑ってみせた。
に、にっこり。
じーっと俺の顔を見つめていた子供の身体から、ゆっくりと力が抜けていくのを見て、俺は何となくほっとした。
「もう。おじさんたら、おちつきがな~い。おとなのくせに、それってどうかとおもう」
ぷぅ、と頬をふくらませる子供。
「あはは、そうだね。ホントごめんよ」
に、に、にっこり。──笑顔がちょっと引き攣ったかも。
子供に呆れられるオトナってどうよ、と自分でも心の中で突っ込みつつ、俺は大人がまずしなければならないことを、まだやってなかったことを思い出していたのだった。
慈恩堂店主が幼児性愛者なのかどうかは、とりあえずまた後から考えることにして。
「えっと。君、出かけることは言ってきたっていうけど、お家の人は君のこと、心配してると思うんだ。だから、君の名前とお家の名前を教えてくれるかな?」
名前を聞き出すのは迷子(というのも微妙かもしれないけど)を保護した時の基本だというのに、色んなことに動揺していた俺は、そんなことをすっかり忘れてしまっていたんだ。
「ぼくのなまえ?」
男の子は俺に、というよりは、自らに問いかけるようにふと首を傾げた。
何だろう、この反応……? まさか、忘れたとかじゃないよな。
「ぼくは、オメガっていうんだ」
答えが返ってきてほっとしけど……オメガ……? 偽名、じゃないよな。今流行りのいわゆるD○Nネームというやつだろうか。高級時計から取ったとか?
ま、まあいいや。
「そ、そうか。ちょっと変わった名前だね。で? お家の名前というか、苗字は?」
「おうちのなまえはね──」
子供が答えようとしたちょうどその瞬間、突然店のドアが開かれた。
「ただいまー! じゃなくて。忘れ物しちゃったんで、戻って来ました」
そこには、朝、急いで出かけたはずの慈恩堂店主が、暢気な笑みを浮かべて立っていたのだった。
「いやー、僕もたいがいぼんやりしてますね。出かける前に荷物の点検したのになぁ」
予想外のことに言葉を失っている俺に気づかず、店主はしゃべりながら店の奥の収蔵庫に向かう。
「あ、真久部さん、ちょっと待って」
重い引き戸の向うにその長身が消える前に、俺は慌てて声を掛けた。
いや、だから。子供。あんたの忘れ物より、ここにいる子供。そっちの方が先。
「この子、どこの子か知りませんか?」
「この子って?」
俺の声に足を止め、こちらを振り返った店主は、訝しそうに訊ねてくる。
「え? だから、この子。──って、あれ、どこへ行ったんだ」
ついさっきまでここにいた子供。ちょっと目を離した隙に一体何処へ? がらくた、もとい、古道具の詰まった棚のどこかに隠れてしまったんだろうか?
立ったり、しゃがんだり、背伸びしたりして、雑多な古道具の並べられている棚の間を探す。が、子供はどこにもいない。しまいには表のドアを開けて外までのぞいてみたけど、後姿さえ見つけることは出来なかった。
そりゃそうだわな、だってさ、慈恩堂店主が入ってきた時、あの子は俺の目の前にいたんだから。戸口に立ってる店主に見つからずに外に出るなんて、不可能だ。
「あれ? 君の言ってた子は?」
肩を落として店内に戻ると、ちょうど店主が収蔵庫の戸口から出てくるところだった。俺があちこち探し回ってる間に、忘れ物とやらを見つけることが出来たんだろうか。
「いや、それが……」
何て説明すればいいんだろう?
「まだ五歳か六歳くらいの男の子で、兄ちゃんが攫われたから追いかけて来たら、この店でその兄ちゃんのにおいがして、それで……」
店主は目を丸くして俺の顔を見ている。
うん。俺が何言ってるのか分からないんだろうな。自分でもそう思うくらいだから、そりゃそうだろうな。
「えーと……だから、その子、双子なんだよ。双子の兄ちゃんを探しに来たって──」
ふっ、と口の中で言葉が消える。
……本当にあの子、どこへ行ったんだ?
店内のあちこちに視線をさ迷わせながら立ち尽くす俺の耳に、慈恩堂店主ののんびりとした声が滑り込んできた。
「あー、やっぱりこっち来ちゃったか」
「え?」
何かを納得したようなその物言いに驚いて、思いっきり店主を振り返ったら、首の筋がピキッと鳴った。痛い……。
「あれ、どうしました? 大丈夫?」
片手で首筋を抑えて悶絶する俺に、心配そうに近寄ってくる店主。
いや! だから! 俺の首なんかより!
「やっぱりこっち来たって、どういうことです? あの子のこと、あなたやっぱり知ってるんでしょう!」
俺は店主の肩を掴み、もどかしく揺すった。
この人は、やっぱりペドフィリアだったのか……。
俺にがくがく揺すられながら、店主は緊迫感のない声で抗議する。
「やーめーてームチウチになるー」
「ペドのヘンタイだったら、いくら雇い主でもそれくらいで済まさないですよ!」
そうだよ、俺にだって今年小学二年生になった娘がいるんだから。人の親として、小児性愛者なんて他人事でも許せない。
「ぺ、ペドのヘンタイって……」
どうしてそうなるんですか、と力なく呟きながら、店主は足が萎えたようにその場に座り込んだ。俺もその肩を掴んだまましゃがみ込む。
と。
「ん?」
しゃがんだ太腿のあたりに、ごろっとした石のような感触。陳列棚から何か落ちたか?
店主から手を離し、肩越しに下を見る。そこには、大人の掌よりちょっと大きめの狛犬がひとつ、ころん、と転がっていた。