第212話 慈恩堂へ

文字数 2,483文字









さっぱりわけがわからないまま、その日は水無瀬さん家でお茶をご馳走になって帰った。

ほんと、何だったんだろ、あれ。二人でいくら首を捻っても、答は出なかった。狐にでもつままれた気分、というのが俺と水無瀬さんとの共通意見というか、感想だ。

互いに覚えのないまま蔵から持って出た箱の中身は、水無瀬さんのが香炉、俺のが硝子の灰皿だった。昔のサスペンスドラマでよく咄嗟の殺人の鈍器として使われる、重たくてゴツイやつだ。今時は需要がないと思う。

それでも、もしかしなくてもこれがその“泥棒製造機”の影響だろうかと、一応水無瀬さんの意見を聞いてみた。そんなつもりも覚えもないし、自分が持ってるものが何なのかすら知らないという、すごく不思議な状況だから、蔵に魅入られた(・・・・・・・)にしろ辛いものがあるんだけども……と思っていると、水無瀬さんは首を振ってくれた。

一緒に同じ体験をしたから、というだけではなく、泥棒というのは、欲しくて盗るものだろう、と水無瀬さんは言う。仮に出来心だとしても、一時的にでもそれが魅力的に見えるから、手を出すのだろうとも。

何にせよ、そこには“欲”というものが存在するはずで、自分も何でも屋さんも、持っていた箱にも箱の中身にも“欲”を感じていない。売れば金になるのかもしれないが、それなら“計算”があるはずで、二人ともそんな理性の働く余地も余裕も無かった。

伸ばした手が掴んだのが藁か(ぎょく)か、溺れる者にはわからないのと同じで、自分の意思が介在しないまま手に持っていたものに当惑する者を、泥棒と呼ぶのはおかしいと、そう言ってくれた。これまで蔵から何かを持ち出した者たちも、こんな夢遊病のような体験をしていたというなら、疑われ、決め付けられたのは気の毒だったとも。

もっとも、中には本当の泥棒もいただろうから、嫌な玉石混交じゃな、と苦い顔をしていた。家宝の皿を蔵から持ち出した叔父はどちらだったろう、追い出した祖父は話も聞かなかったらしいが……、と遠い目にかすかな憂いを混ぜていたのが印象的だった──。

いずれにせよ、何か怪異が起こったのには間違いない。できれば気づかなかったふりをしておきたいけど……、このままじゃ俺、あそこで一人で作業なんてとてもできないし、今回は同じものを見聞きしてしまった連れ(水無瀬さん)もいるからなぁ。認めないわけにはいかないよ……。

それだって、管理者たる頼れる(?)店主のいる慈恩堂でのことなら放置でいいけど、これは無理だ。蔵を、また閉め切ってしまうならそれでもいいかもしれない。でも、水無瀬さんにしてみたら、そのままにしておくことはできないだろうなぁ……。

というわけで、水無瀬さんには、慈恩堂さんに相談するといいですよ、とアドバイスしておいた。この仕事の仲介者として、縁を結んだ責任は取ってほしいと思う……というか、俺の知るかぎりではこんなことを相談できるのは真久部さんしかいないんだから、しょうがない。──真久部の伯父さん? パス! 

もちろん、真久部さんには俺からも簡単な報告をし、水無瀬さんの相談に乗ってくれるよう、お願いはしておいた。

その後、水無瀬さんからも真久部さんからも音沙汰はなく、どうなったのかなぁ、と思いながらも忙しい毎日を過ごして十日ほど経った昨夜。真久部さんから携帯に連絡をもらった。水無瀬家の蔵の怪異に一段落が付いたので、その話を肴にお昼でも一緒にどうですか、という誘いだった。──晩飯で一杯やろうではないのは、俺が夜の慈恩堂を恐れているのを知っているからだ。

あんまり怪異とか、超常現象系に関わりたくないんだけど、今回はそうも言っていられない。何で俺が蔵から灰皿なんか持ち出してしまったのかも気になるし……。午後からの依頼が変更になったのもあって、今日はありがたく慈恩堂にお邪魔することにした。とはいえ、いつもご馳走してもらってばかりで悪いので、商店街の米穀店に寄って店長おすすめの銘柄米と小麦粉を教えてもらい、お土産に買っていくことにした。

カランカラン

お馴染みになってしまったドアベルの音。一歩足を踏み込むと、そこはいつもの怪しい慈恩堂。こんにちは、と声を掛けると、いらっしゃい、と店主の声。──今日も古時計たちの主張が地味に激しい。


チッチッチッチッ……
チッタン チッタン チッタン……
……ッ……ッ……ッ……
チーチーチチッ チーチーチチッ チッチッチーチチッ……


静か過ぎて却って耳を欹てさせる作戦のやつがいるな……最後のはタンゴのファイブステップだろうか、などと大学時代、競技ダンス部に入っていた友人に教わったことを思い出したりしながら、店の奥の畳部屋、帳場(レジ)のある場所を目指す。

「先日は悪いことをしましたねぇ、何でも屋さん」

今日も地味に男前な店主の真久部さんが、そんなことを言いながら、いつもの怪しく胡散臭い笑みの上に謝罪の色を濃くして頭を下げたりするから、俺は慌てた。

「え、いや、真久部さんが悪いわけじゃないでしょう」

うん……。別に誰も悪くないと思う。強いて言うなら、気味が悪いだけだ。慈恩堂絡みの仕事にはよくあることだけど。

()は無いって、電話でもおっしゃってましたし」

それだけは真久部さん、強調してた。

「まあね……」

俺の言葉に苦笑する。

「だけど、びっくりしたでしょう。僕もあれは予想外だったなぁ……」

あれって何だろう、聞かないといけないんだろうなぁ、と若干遠い目になりつつ、帳場から出て畳部屋の縁に座り、俺を迎える真久部さんにお土産を渡した。

「これ……良かったら。お米と小麦粉ですけど」

何か、主婦の買い物みたいだけど、確実に使うものだし。酒はこのあいだ持ってきたしなぁ。どこぞの銘菓でもいいのかもしれないけど、ここにはお菓子類はいつもたくさんあるし、自分でも作っちゃう人だからな、真久部さん。

「あ、これって“六花こまち”じゃないですか。それにこの小麦粉。甘夏製粉のやつですね。何でも屋さん、なかなかやりますね」

珍しくパッと顔が明るくなる。気を遣ってくれなくていいのに、と言いながら、でもうれしいです、と喜んでくれた。ツボだったみたいだ。ホッ。
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