第274話 むかし話 男と金魚
文字数 2,423文字
「え? そうなんですか?」
いきなりの話に驚いた。そりゃ、金魚というか魚といえば<水>だけど、<水無瀬>だと<水の無い瀬>って意味になって、金魚的(?)には良くなさそうな……?
「そもそも金魚というものは、室町時代、大陸から渡来したものです」
真久部さんは言った。あちらの年号でいうと、元の時代後半から明の時代になるでしょうか、と補足してくれる。
「その頃に来たものが今は“和金”と呼ばれて、江戸時代に入ってきたほかの金魚と区別されているんですが、あれは原種であるフナと形が似ています──。最初の赤いフナは突然変異で、緋鮒と呼ばれていたらしい。それが固定されて<金魚>になったんだね」
「突然変異──ああ……ときどき、黄金のカエルとか、金色のイモリとか見つかりますけど、ああいう感じで?」
黄金とか金色とかいっても、濃いオレンジだったり薄い黄色だったりするんだけど。もっと色素が少ないと白っぽくなるんだっけ。
「そうだね。金魚といえば赤ですが、元はもっと色が薄くて、光の当たりようによってはそれこそ金色に見えたのかもしれない。こういった生き物の突然変異はそう珍しいものでもなく、時たま現れては固定されず淘汰されて消えてく、そういうものなんだよ。白鹿や白狐、白いカラス──珍しいから自然界では目立つし、弱いことが多い。弱肉強食の常として、生き物は強い遺伝子を求めるので、他と色が違うものは異性に受けつけてもらえなかったり、仲間にいじめられたりするし」
だから、白いカラスを見ても、その群れを見たことはないでしょう? と言う。
「珍しいのが好きな人間に、追いかけられたりもするしねぇ」
「確かに……。たとえば自然界で青い薔薇は咲かないけど、もし咲いたらすごく目立つし、うっかり人間に摘まれて終わっちゃいそう。そんな珍しい色に咲かなきゃ摘まれないのに」
目立つって、自然界では不利なことなんだな。
「青い薔薇ですか。なかなか素敵な喩えだね」
何でも屋さんはロマンティストですね、なんて真久部さんは悪戯っぽく微笑んでみせるけど、スルー。すぐ人を揶揄おうとするんだから──。俺も何で薔薇? と口に出してから思ったけど、究極に珍しいものとしてぽんと思いついたんだから仕方ない。青い薔薇。
「まあ、他と違うと、色々苦労するわけですよ。子孫は残しにくいわ、いじめられるわ」
「そうですね……」
話しながらも、俺は俺で三脚にデジカメのセットをしていたので、真久部さんが箱から出して撮影台に置いてくれた仏像を、ファインダー越しに睨んだ。んー、もうちょっとズーム……。
パシャ、パシャ、と試し撮り。照明の具合は、こんなもんか。
「それでね、そういうちょっと他と色が違って生まれてしまった魚は、日本のどこかの川にもいたわけです」
この、仏像の頭部と土台に特徴があるので、それぞれ別で撮っておいてもらえますか、と指示しつつ、真久部さんは続ける。
「奇跡的に成魚となって数年。仲間に相手にされなくても、なんとかひっそりと生きていたのに、ある年の旱魃で──」
……この夏は梅雨に雨が降らず、ついに滝から水が落ちなくなってしまった。滝裏にまだらに生えていた水苔の裏を、ときおり雫が伝っていく。それも下に落ちるか落ちないかで無くなってしまい、もはや滝壺はただの水たまりと化していた。両岸は既に干上がっている。
仲間の魚たちも急速に数を減らし、今は数匹だけがこの水たまりでじっと息を潜めているだけだった。水は無慈悲に減っていく。乾いた川底が広がる。他と色の違う赤い魚は水の端に追いやられていた。また押され、何とかそこに留まろうとした。が、慌てて鰭を動かした拍子に、すぐそこにまで迫っていた岸の砂地に飛び出してしまった。
乾いて、苦しくなるからだ。口をパクパク、鰓を無意味に動かしながら、赤い魚は冷たい水を恋しく思っていた。
この川には竜神様が棲むという。仲間の誰もそんなことを本気にしていなかったが、赤い魚は信じていた。いつも一匹だけで寂しかったので、自分には見えないけれど、きっと神様がそばにいるのだと、そう信じたかったのだ。
死ねばもう苦しくないし、竜神様にも会えるのかもしれない。赤い魚はただぼんやりと己の死を待っていた。
そのとき。
「おお、かわいそうになぁ」
人間の男の声が聞こえた。
「こっちの川がこんなに干上がってるとはなぁ。おまえ、鮒の色違いかぁ? まだ生きてるのか」
言葉の意味はわからなかったが、捕まれば終わりだと赤い魚は思った。干上がって死ぬのと人間に食われて終わるのと、どちらが楽かと考えようとしたが、もはや何も考えられなかった。
──竜神様ぁ、これまで、ありがとうごぜぇました
赤い魚は、己の生きるよすがだった竜神様に礼をのべた。ずっと一匹で寂しかった。けれど、そばにいつも竜神様がいると思えば耐えられた。本当にいるのかいないのか、見たことはないからわからない。それでも、礼を言いたかった。
「この上の山でなぁ、赤い石が採れるからっちゅうて、掘り始めたのはいいがのぉ、おかしな掘り方をしたもんで、川に大石が転がったんじゃと。それで流れがちいっとばかし変わったと聞いて心配しておったんだが……雨が降ればまた流れが戻ると思っていたに、今年はこんなことでなぁ」
川下の村には溜池があるから、まだ何とかなっておるが、と呟き、男は溜息を吐いた。赤い魚は、ただぼうっとして男の声を聞いていた。
「昔から、この滝には竜神様がいらっしゃるといわれておるで、わしゃ気になってのぉ。酒と、うちの裏の井戸の水を持ってきたんじゃ」
男は持っていた小さい桶を傾けて、乾いた川底に少しだけ水をこぼして手を合わせた。何かむにゃむにゃと唱えると、いまにも死にそうだった赤い魚をそっと両手に掬い、桶の中に残った水の中に入れてくれた。
──ああ、冷たくて気持ちいい。生き返ったみてぇだ
赤い魚はさっきまで動かせなかった尾や鰭をひらめかせ、狭い桶の中で宙返りして喜んだ。
いきなりの話に驚いた。そりゃ、金魚というか魚といえば<水>だけど、<水無瀬>だと<水の無い瀬>って意味になって、金魚的(?)には良くなさそうな……?
「そもそも金魚というものは、室町時代、大陸から渡来したものです」
真久部さんは言った。あちらの年号でいうと、元の時代後半から明の時代になるでしょうか、と補足してくれる。
「その頃に来たものが今は“和金”と呼ばれて、江戸時代に入ってきたほかの金魚と区別されているんですが、あれは原種であるフナと形が似ています──。最初の赤いフナは突然変異で、緋鮒と呼ばれていたらしい。それが固定されて<金魚>になったんだね」
「突然変異──ああ……ときどき、黄金のカエルとか、金色のイモリとか見つかりますけど、ああいう感じで?」
黄金とか金色とかいっても、濃いオレンジだったり薄い黄色だったりするんだけど。もっと色素が少ないと白っぽくなるんだっけ。
「そうだね。金魚といえば赤ですが、元はもっと色が薄くて、光の当たりようによってはそれこそ金色に見えたのかもしれない。こういった生き物の突然変異はそう珍しいものでもなく、時たま現れては固定されず淘汰されて消えてく、そういうものなんだよ。白鹿や白狐、白いカラス──珍しいから自然界では目立つし、弱いことが多い。弱肉強食の常として、生き物は強い遺伝子を求めるので、他と色が違うものは異性に受けつけてもらえなかったり、仲間にいじめられたりするし」
だから、白いカラスを見ても、その群れを見たことはないでしょう? と言う。
「珍しいのが好きな人間に、追いかけられたりもするしねぇ」
「確かに……。たとえば自然界で青い薔薇は咲かないけど、もし咲いたらすごく目立つし、うっかり人間に摘まれて終わっちゃいそう。そんな珍しい色に咲かなきゃ摘まれないのに」
目立つって、自然界では不利なことなんだな。
「青い薔薇ですか。なかなか素敵な喩えだね」
何でも屋さんはロマンティストですね、なんて真久部さんは悪戯っぽく微笑んでみせるけど、スルー。すぐ人を揶揄おうとするんだから──。俺も何で薔薇? と口に出してから思ったけど、究極に珍しいものとしてぽんと思いついたんだから仕方ない。青い薔薇。
「まあ、他と違うと、色々苦労するわけですよ。子孫は残しにくいわ、いじめられるわ」
「そうですね……」
話しながらも、俺は俺で三脚にデジカメのセットをしていたので、真久部さんが箱から出して撮影台に置いてくれた仏像を、ファインダー越しに睨んだ。んー、もうちょっとズーム……。
パシャ、パシャ、と試し撮り。照明の具合は、こんなもんか。
「それでね、そういうちょっと他と色が違って生まれてしまった魚は、日本のどこかの川にもいたわけです」
この、仏像の頭部と土台に特徴があるので、それぞれ別で撮っておいてもらえますか、と指示しつつ、真久部さんは続ける。
「奇跡的に成魚となって数年。仲間に相手にされなくても、なんとかひっそりと生きていたのに、ある年の旱魃で──」
……この夏は梅雨に雨が降らず、ついに滝から水が落ちなくなってしまった。滝裏にまだらに生えていた水苔の裏を、ときおり雫が伝っていく。それも下に落ちるか落ちないかで無くなってしまい、もはや滝壺はただの水たまりと化していた。両岸は既に干上がっている。
仲間の魚たちも急速に数を減らし、今は数匹だけがこの水たまりでじっと息を潜めているだけだった。水は無慈悲に減っていく。乾いた川底が広がる。他と色の違う赤い魚は水の端に追いやられていた。また押され、何とかそこに留まろうとした。が、慌てて鰭を動かした拍子に、すぐそこにまで迫っていた岸の砂地に飛び出してしまった。
乾いて、苦しくなるからだ。口をパクパク、鰓を無意味に動かしながら、赤い魚は冷たい水を恋しく思っていた。
この川には竜神様が棲むという。仲間の誰もそんなことを本気にしていなかったが、赤い魚は信じていた。いつも一匹だけで寂しかったので、自分には見えないけれど、きっと神様がそばにいるのだと、そう信じたかったのだ。
死ねばもう苦しくないし、竜神様にも会えるのかもしれない。赤い魚はただぼんやりと己の死を待っていた。
そのとき。
「おお、かわいそうになぁ」
人間の男の声が聞こえた。
「こっちの川がこんなに干上がってるとはなぁ。おまえ、鮒の色違いかぁ? まだ生きてるのか」
言葉の意味はわからなかったが、捕まれば終わりだと赤い魚は思った。干上がって死ぬのと人間に食われて終わるのと、どちらが楽かと考えようとしたが、もはや何も考えられなかった。
──竜神様ぁ、これまで、ありがとうごぜぇました
赤い魚は、己の生きるよすがだった竜神様に礼をのべた。ずっと一匹で寂しかった。けれど、そばにいつも竜神様がいると思えば耐えられた。本当にいるのかいないのか、見たことはないからわからない。それでも、礼を言いたかった。
「この上の山でなぁ、赤い石が採れるからっちゅうて、掘り始めたのはいいがのぉ、おかしな掘り方をしたもんで、川に大石が転がったんじゃと。それで流れがちいっとばかし変わったと聞いて心配しておったんだが……雨が降ればまた流れが戻ると思っていたに、今年はこんなことでなぁ」
川下の村には溜池があるから、まだ何とかなっておるが、と呟き、男は溜息を吐いた。赤い魚は、ただぼうっとして男の声を聞いていた。
「昔から、この滝には竜神様がいらっしゃるといわれておるで、わしゃ気になってのぉ。酒と、うちの裏の井戸の水を持ってきたんじゃ」
男は持っていた小さい桶を傾けて、乾いた川底に少しだけ水をこぼして手を合わせた。何かむにゃむにゃと唱えると、いまにも死にそうだった赤い魚をそっと両手に掬い、桶の中に残った水の中に入れてくれた。
──ああ、冷たくて気持ちいい。生き返ったみてぇだ
赤い魚はさっきまで動かせなかった尾や鰭をひらめかせ、狭い桶の中で宙返りして喜んだ。