第206話 死に支度

文字数 1,928文字

「──いずれにせよ、そんなおかしな場所じゃなかったですよ。昔の言い伝えか何かですか?」

庭の隅に蔵を擁する、昔からの大きな家。泥棒に狙われたことだってあったかもしれない。戒めにそんな言い伝えがあったとしても別に驚かないけど……、“泥棒製造機”って言葉のセンスはどうかなぁ。そりゃ、昔も今もセキュリティは大事だけど、蔵が泥棒を作るっていうのはぶっ飛んだ理屈だと思う。

「そう命名したのは、水無瀬さんのご父君らしいですけどね」

「そんなふうに言いたくなるような出来事が、あったんでしょうか……」

盗難が続いちゃったのかなぁ。そうたずねると、真久部さんは首を傾げてみせた。

「どうでしょうね。ただ、水無瀬さんは固くそう信じているようです。だから誰も泥棒にしないため、蔵は家人にも立ち入り禁止にし、ご父君が亡くなってから鍵は銀行の貸金庫に入れてしまい、ご自身も長らく立ち入らなかったと聞いています」

「……それほど用心してたのに、どうしてまた今頃蔵を開ける気になったんでしょう? そりゃまあ、たまには風を通したほうがいいとは思いますけど」

何十年も閉め切ってたというのに、どういった心境の変化が。

「たぶん……ご年齢を考えてのことだと」

「ああ……」

死に支度ってやつかぁ……。たまにそういうお手伝いをすることがある。まだ元気なうちに色々整理しておきたいというお客様と一緒に、もういらないというものを山ほど片付けたり、病で残りわずかとなった時間を、ホスピスで心静かに過ごすという方を送っていったり……。

「水無瀬さんは蔵の中を整理し直して、目録を作りたいとお考えのようなんです。でも、そのためには蔵を開けなければならない──」

葛藤があったようですよ、と真久部さんは言う。

「ほら、何でも屋さんは瑠璃川さんをご存知でしょう、以前、お宅までうちの仏像を届けていただいた」

「え、ええ。覚えてます……」

何故か木箱には収められないという仏像を、真久部さんが繊細かつ厳重に梱包し、それを頑丈なバッグに入れてもらって、俺が電車に乗って瑠璃川さんちまで運んだんだけど……、シートに座って膝の上に乗せてたら、何だか猫を乗せてるみたいに温かくなってくるし、電車から降りてバッグを肩に掛けて抱えるようにしてたら、すごくいい線香の香が漂ってくるしで、瑠璃川さんちにたどり着いたときにはもう、『全ては気のせい気の迷い』と心の中で唱えるのにすっかり疲れ果てていた。

そんな俺を見て何を思ったのか、瑠璃川さんはわざわざお手伝いさんに買いに行かせて、俺にアンパンをくれたんだ。ほかにも落雁とか、金平糖とか、甘納豆とか……一応ありがたく頂いて、戻って真久部さんに報告しがてら何でそんなものくれたんでしょうね、と聞いてみたら、「……運ばれ心地が良かったらしいですね」とひと言コメントするだけで、何も教えてくれなかった……。

そういう不可解な体験とともに、瑠璃川さんのリアル恵比須顔は俺の中で忘れがたい思い出となっている。

「水無瀬さんと瑠璃川さんは知り合いのようでねぇ。蔵の整理について、水無瀬さんから相談を受けた瑠璃川さんが、信頼できる業者としてうちをご紹介くださったんです。──鑑定するにせよ、古道具の取り扱いについてアドバイスをするにせよ、一度はお会いして話をしてみなければわからないので、先週お邪魔して、いろいろお話を聞いたんですよ」

「あ、先週の臨時休業、それだったんですか」

店番頼まれたけど、いきなりだったんで俺もどうしても都合つかなかったんだよな。

「ええ。そのときに“難しい蔵”の話を聞いてね。──自分がいつ死んでもいいように、仕事で海外在住の息子さんたちに手間を掛けさせないためにも、収蔵物の目録を作っておきたい。自分で全てを行えれば良いが、持病もあって難しい。誰かに手伝ってもらおうにも、あれは“泥棒製造機”な蔵。その誰かを犯罪者にしてしまったらと思うと、軽率なこともできない、とかなりお悩みで」

「……絶対にそうなるともかぎらないでしょうに」

「信じてらっしゃいますからねぇ……」

口元に笑みの形を残しつつも、真久部さんは溜息を吐くから、何だか微妙な表情になる。

「だから、何でも屋さんを水無瀬さんに紹介することにしたんですよ」

「俺?」

「外から蔵を見せていただいたところ、別に妙な気配も感じないし──、“泥棒製造機”というのもおかしな気がします、中を整理するにせよ、どうせ掃除も必要でしょう、誠実で真面目な仕事ぶりの何でも屋さんがいますから、まずは一度、その人に埃でも払ってもらったらどうですか、と、まあこんな感じで」

「……」

売り込んでくれたのか。そっか、真久部さんにしては珍しく、アッチ方面(オカルト)に危ない話じゃなかったんだ。
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