第36話 コンキンさん 8 

文字数 3,327文字

その問いには自信を持って答えられる。俺は大きく頷いてみせた。

「第一の祠には稲荷ずし、第二の祠にはおはぎ、第三の祠には清酒、第四の祠には駄菓子。きっちりお供えしてきました。もちろん、お供えをする前にはそれぞれ心をこめてきれいに清掃しました。その後はちゃんと手を合わせて礼拝もしてきたので、問題は無いと思います」

「えっと、その……何か変わったことはなかったかな? たとえば、四つめの祠にお供え物をして手を合わせた時なんか……」

どんなことでもいいので、思い当たることがあったら教えてください──。そんなふうに訊ねてくる真久部さんに、俺は軽く目を閉じて、あの時のことを思い出そうと努めた。

ん? そういえば、あれは変わったことになるのかな?

「風の音が……」

無意識に呟いた声を拾って、真久部さんが訊ねてくる。

「風もないのに、その辺り一帯の草原がざわめいたりしたとか?」

「いやいや、それは羆とかが出てくるフラグでしょ? 無いですよー」

念のために言っておくと、野犬も出ませんでしたよ、と付け加えておく。怖いこと言わないでほしいよ、まったく。

「今日は風がきつかったんです。──ほら、虎落笛ってありますよね? 冬の強い風が垣根や柵を通り抜ける音。あんな感じだと思うんだけど、最後の祠に供え物をして手を合わせ、さて、と立ち上がったその瞬間に聞こえたから、なんかもう我ながらみっともないほど驚いちゃって……」

目に見えないものがピシッと張り詰めた、みたいな錯覚もしたよな、と俺は思い出してつい苦笑する。

「オオオーって、まるで人の声みたいに聞こえたんです。本当に唐突にそんなふうに聞こえたから、びっくりしてしまって。ちょっとちびりそうになりました」

風向きの加減なんだろうな、と分析していると、真久部さんは妙な顔をした。

「それは警蹕だったんじゃ……」

「けーひ? 何ですか?」

「けーひ、じゃなくて<けいひつ>なんですが……。まあいいや。ともかく無事結界が結び直されたようですね」

最後の方が早口で聞き取りにくかったけど、真久部さんが何やら納得するように頷いているので良しとすることにした。

「音に気を取られている間に、供えたおいしい棒が強風で飛んでしまったのがちょっと間抜けでした。けど、一応言われたことは全て終わらせたし、ああいうのは筋を通したならそれでいいって、以前真久部さんもおっしゃってましたよね? だからもういいかな、と思いました」

それでもまあ、持ってたアンパンを供え直してきたんですけどね、と俺は釈明しておいた。小腹がすいたら食べようと思ってたものだったけど、今もっとリッチな○セイのバターサンド食べてるからいいや。

「でまあ、そこまでは良かったんだけど──」

「良かったけど……?」

何故か戦々恐々とした様子で先を促す真久部さん。

俺は、はあ、と溜息をついた。どう説明すればいいだろ、あの出来事。

「竜田さんから注意されてたアレが、聞こえてきたんです」

躊躇っててもしょうがないから、俺は話を進めることにした。

「硬い木を打ち付けるような音。コーンとかコキーンとかとにかく耳障りで、まるで狂った木琴を力任せに叩いてるみたいでした」

「なっ……!」

真久部さんは絶句するようだった。その反応を見て、俺は「あー、なんか良く分からないけど、竜田さんから聞いたとおりアレは物凄くヤバいものだったんだなー」と軽く現実逃避していた。

「でもね、名誉のために言わせてもらうと、俺が悪かったってわけじゃないと思うんです」

そう断ってから、俺は男──あの佐保青年の身の上に起こったことを説明した。

改造エンジン搭載した車に乗って調子こいてた男が、不道徳にも窓からゴミを投げ捨て、それが祠を汚してしまったことと、どうやらそのことが原因でそいつがぐるぐる道に迷うリングワンデリングに陥ったんじゃないか、という俺の見解(?)を聞いた真久部さんは、「あー……」と小さく呟いて、遠い目になっていた。先が予想できたんだろう。

「まあ、俺としてはそいつがわざと行ったり来たりしてると思ってたんですけどね。──で、俺が四つめの祠に移動して、清掃もお供えもお祈りも全て終えてさあ帰ろうかというところで、ぐるぐるしつつもちょうど何度目かにそこに通りかかった男が、ようやく自分以外の人間を見つけた! っとなったらしく、藁にも縋ろうかという風情で俺に道を訊ねてきたわけです」

ヨレヨレだったよな、あいつ。車もボロボロだったし。

「で、現状を確認するために立ち話してるところに、突然アレが聞こえてきたんです。もし聞こえてきたら何を置いても祠のセーフティーゾーンに逃げろって、竜田さんから厳重注意されてたあの音が」

あれが何なのか分からないけど、とにかく魂が抜けそうになるほど怖かったです、と俺は付け加えた。思い出すと、大事なトコロが縮み上がりそうになるよ。真久部さんにはそこまで言わないけどさ。

「で、その男を火事場の馬鹿力で引っ張って、もろともに祠四角形のセーフティーゾーンに飛び込んだあと、ただひたすらその音が聞こえなくなるまで待ちました」

永遠に続くかと思うくらい、長い時間に感じました、と俺は述懐した。

「その後は、懇々とそいつに説教しましたよ。 自分がどんな失礼なことをして、どれだけ幸運だったのかを。だけど、そいつがそのままだとまた道に迷いそうだと思ったんで、俺が後から個人的に供えたアンパンを、そいつが供えたことにすることを思いつきました。きっちり代金も貰いましたよ、百円」

「ああ──そういう約束というか契約の仕方、ちゃんと覚えててくれたんだね」

ホッとしたように、真久部さんは眉間の強張りを解いた。

「何でも屋さんといる限りはその人も大丈夫だったとは思うけど、後から障りがあったかもしれないから……」

うんうん、と頷く真久部さん。障りって何? 疑問には思うけど、詳しくなんて聞かない。聞きたくもない。絶対にその方がいいって俺の本能が囁くから。変わりに、以前に聞いたことを確認するだけにしておく。

「とにかく、基本はギブ&テイクなんですよね?」

「そう。これこれこのような貢物をするので、お願いを聞いてくださいっていうのが基本中の基本だよ」

今回の祠巡りがそれに当たるんだ、と真久部さんは補足してくれる。

「あと、以前からの決まりごとは必ず守ること、常に下手に出て敬い奉り、決して無礼を働かないこと、でしたっけ」

「難しいことじゃないはずなんだけどねぇ。そこを疎かにする人も多いんだよ……」

後から泣きを見るどころか、シャレにならないことになったりする場合が多々あるのに、と真久部さんは嘆く。

「とにかく、相手を尊重する。それが一番大事で、一番大切なことなんだ」

普通の人付き合いでも、それは同じだよね、と真久部さんは真剣な顔で続ける。

「たとえば、尊大で無礼で失礼で、いかにも上から目線なヤツが何か頼んできたとしても、そんなヤツの言うことなんて誰だって聞いてやる気はしないでしょう。やっぱり可愛げがないとね」

可愛げって。ちょっと笑いそうになってしまった。でも、そうかも。

「こちらから命令出来るような相手じゃないですもんね。それならやっぱり畏まって真摯にお願いするしかないと思います。そういう気持ちが可愛げ、なのかな」

真久部さんは大きく頷いた。

「そうなんだよ。さすがは何でも屋さんだ、本質をよく捉えてる!」

「……」

考えるより大袈裟に褒められてしまうと、何だか後ろめたくなってしまう。

「いや、本質とか、そういうこと考えてたわけじゃないですよ? 何となくそう思ったってだけで……」

もごもごと言い訳していると、真久部さんは慈悲深い笑みを浮かべ、うんうん頷いている。慈悲深いっていうより、生暖かい?

「まあ、きみはきみのままで。うん、本当にそのままでいいよ、何でも屋さん。無垢な魂が一番愛されるし可愛がられるし、可愛がりたいらしいから」
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