第29話 コンキンさん 1
文字数 2,904文字
今日は五月の十五日。
曇りすぎず、照りすぎず、過ごしやすい天気。
まあ、わりと暑いんだけど。
道の両側に生い茂る青草が風にざわめく。吹き過ぎるその足跡を追って東に進む。道路は舗装されているので歩くのに不自由は無い。目的地はあともう少し、のはず。ここまで電車、バスと乗り継ぎ、バス停からもけっこう歩いてる。
えーと、確か、目印は……。
依頼主の竜田さんから聞いた小さな石の祠を探して目を凝らそうとした時、遠くの方から物凄く煩い爆音が聞こえてきた。
ぶぉんぶぉんぉんぉんぉぶろろろろぉ~!
なんだ? などと思う暇も無く、道の向こうから黒い車が走ってきた。改造車か……?
ぼぉんぼぉんぼぉんぼばぼばぼばばばぉぉぉ~ん!
道の端を歩いてる人間のことなんか何にも考えてないような勢いの車が、耳の痛くなるようなエンジン音を響かせて走り去る。すれ違いざま、開いた窓の隙間からまだ中身の残ってそうなペットボトルを投げ捨てて行った。マナーが悪いなぁ……。
それにしても。
「何が楽しくてこんな田舎道を、あんな車で……」
だって、シャコタン? だったしさ。異様に車高が低いやつ。あれじゃあちょっと山道に入ったら腹を擦るんじゃないか? まあ、この道は真っ直ぐな舗装道路なんだけど。新車の足慣らしか?
ま、そんなことはどうでもいいか。とりあえず、ゴミは拾っておくことにしよう。えーと、放物線を描いて飛んで行ったのは──。
「ここか」
やれやれ、と思いつつそれを拾おうと屈んだ時、俺は青草の陰に石で出来た祠を発見した。これが竜田さんから聞いていた目印だと、すぐに分かった。
分かったけど。
「う……!」
俺は思わず呻いていた。ペットボトルの蓋がきちんと閉まってなかったらしく、中身が祠に掛かってしまってる。うわー、嘘っぽいオレンジの匂いが漂っちゃってるよ。
「罰当たりだなぁ……」
自分のやったことじゃないけど、ごめんなさい、すみません、と心の中で謝りつつ、俺は祠の清掃を始めた。こんなこともあろうかと、ふふ、背中に背負ったこの重い荷物の中には、水道の水を入れた五百ミリのペットボトルを三本も入れてあるのだ。
ここにある祠の清掃が、本日の俺の仕事だ。清掃後に御供え物をすることも含まれる。もう何十年もずっと依頼主の竜田さんがそれをしてきたらしいんだけど、今年は運悪くしばらく入院することになったんだそうだ。
どうしようかと困っていたところに、竜田さんと付き合いのある古道具屋、慈恩堂の真久部さんが、「自分の知り合いの何でも屋なら、それをするのに打ってつけだと思うのだが、どうか?」と提案してきたんだそうだ。──慈恩堂店主 の紹介で、っていうのがちょっと不安だ。あの人に頼まれる仕事って、いつも何だか不思議というか、怪しいというか、信じられないというか……。
やめよう。今はそんなこと関係無いはずだ。
片手箒と刷毛を使って祠から埃などの汚れを取り、ペットボトルの水でさっきの清涼飲料水を洗い流す。周囲の草も刈ったり抜いたりして、と。
ほう……すっかりきれいになったな。イメージは、どんよりからすっきりへ。
一年間の泥砂汚れがすっかり取れて、薄い雲の間から差し込むお日様の光を浴びて輝くようだ──。とまでは言いすぎかもしれないけど、とにかく見違えるほどに小ざっぱりときれいになった。
自分の仕事に満足して、俺は荷物の中からお供えを取り出した。さて、ここではお稲荷さん。白い紙皿の上に並べて供える。それから線香を取り出し、百円ライターで火を点けて、線香立てに立てる。竜田さんから預かってる線香はなかなか雅な香りがする。お高いやつなんだろうな。
なんてこと考えつつも、俺はしゃがんて祠に手を合わせた。特に指示が無かったんでよく分からないけど、一年間ありがとうございました。また次の一年よろしくお願いします、と感謝とお願いをしておいた。
清々しい思いで立ち上がり、さて次に行くかと額の汗を拭ったところで、またあの煩い改造車のエンジン音が遠くから近づいて来た。
ぼっぼっぼっばぼぼぼぼぼぼぼばばぼぼぉぉ~ん
さっき姿を消した方向から戻ってきた車は、祠の前の道を、元来た方角に向けてけたたましく走り去る。
他に走る道は無いのか? ヒマだなぁ、という感想しか出てこない。ま、ヒマだからあんなことしてるんだろうけど。
「……」
ひとつ息をついて気持ちを入れ替える。祠の清掃はここだけではないのだ。まだ後三ヶ所ある。
えーと、確か、この祠から北に向かって百メートルほどだったかな。
俺はポケットに入れていた方位磁石を取り出した。薄曇で分かりにくいけど、太陽はあっちだから──うん、このまま進めばいいか。良く見ると、草の間に細い道のようなものが伸びているのが分かった。年に一度を数十年通い続けた竜田さんの足跡だろうな。
草と、所々に生えてる木の枝を除けながら歩く。時々蜘蛛の巣。ぶはっ……。
今の季節は木の花の花盛りなんだよな。目立たないけど目立つ、っていうのも変だけど、緑の葉の間 に間 にもこもこ盛り上がるように咲いてる。白っぽいのから薄緑、薄黄色の、ふぁさっと細かい花たち。知ってるのもあれば、知らないのもある。あれはガマズミ、お、向こうの背の高い木は薄紫色の……えっと、桐の花だったかな。うちは親父がこういうの好きで、子供の頃教えてもらったっけ。
「懐かしいな……」
あれは何、これは何と指さして教えてくれた父の笑顔を思い出した時、微かにいい匂いがしてくるのに気づいた。
見回してみると、プロペラみたいな白い花の絡みつく木の下に、さっきのと同じような祠。
おお、テイカカズラ、サンキュー。お前の香りのお陰で見つけることが出来たよ。この花、ジャスミン的な芳香があるんだよな。毒有るらしいけど。
ここでも俺は片手箒と刷毛と水で祠をきれいにし、周囲の草を取り除いた。うーん、このテイカカズラ、うっかりしたら祠に絡みつきそうなんだけど……。まあ、大丈夫かな。この蔓だけ退けておこう。
よし、さっぱりすっきりぴっかぴか! さて、御供え物をするかな。この祠には、おはぎ、と。
さっきと同じように白い紙皿に大きなおはぎをのせて、祠に供える。それから線香に火をつけ、線香立てにそっと立てる。ゆらゆらと漂う煙の中にしゃがみ込み、手を合わせ、祈る。──一年間ありがとうございました。また次の一年よろしくお願いします。あ、それと竜田さんが早く退院出来ますように。
「……」
よし。終了! さあ、みっつ目行くか。
気合を入れて立ち上がった時。またもやあの爆音が聞こえてきた。
ぶぼばぼぶぉぉんぼぉぉんぶぼばぼぼぉぉぉ~!
戻ってきたのか、あの車。
「一体何往復するつもりなんだろ……」
ガソリンが勿体無いなぁ。──そうは思うも、止める術があるわけでもなし。……ま、いいや。次行こ、次。
俺はまた方位磁石を取り出した。
曇りすぎず、照りすぎず、過ごしやすい天気。
まあ、わりと暑いんだけど。
道の両側に生い茂る青草が風にざわめく。吹き過ぎるその足跡を追って東に進む。道路は舗装されているので歩くのに不自由は無い。目的地はあともう少し、のはず。ここまで電車、バスと乗り継ぎ、バス停からもけっこう歩いてる。
えーと、確か、目印は……。
依頼主の竜田さんから聞いた小さな石の祠を探して目を凝らそうとした時、遠くの方から物凄く煩い爆音が聞こえてきた。
ぶぉんぶぉんぉんぉんぉぶろろろろぉ~!
なんだ? などと思う暇も無く、道の向こうから黒い車が走ってきた。改造車か……?
ぼぉんぼぉんぼぉんぼばぼばぼばばばぉぉぉ~ん!
道の端を歩いてる人間のことなんか何にも考えてないような勢いの車が、耳の痛くなるようなエンジン音を響かせて走り去る。すれ違いざま、開いた窓の隙間からまだ中身の残ってそうなペットボトルを投げ捨てて行った。マナーが悪いなぁ……。
それにしても。
「何が楽しくてこんな田舎道を、あんな車で……」
だって、シャコタン? だったしさ。異様に車高が低いやつ。あれじゃあちょっと山道に入ったら腹を擦るんじゃないか? まあ、この道は真っ直ぐな舗装道路なんだけど。新車の足慣らしか?
ま、そんなことはどうでもいいか。とりあえず、ゴミは拾っておくことにしよう。えーと、放物線を描いて飛んで行ったのは──。
「ここか」
やれやれ、と思いつつそれを拾おうと屈んだ時、俺は青草の陰に石で出来た祠を発見した。これが竜田さんから聞いていた目印だと、すぐに分かった。
分かったけど。
「う……!」
俺は思わず呻いていた。ペットボトルの蓋がきちんと閉まってなかったらしく、中身が祠に掛かってしまってる。うわー、嘘っぽいオレンジの匂いが漂っちゃってるよ。
「罰当たりだなぁ……」
自分のやったことじゃないけど、ごめんなさい、すみません、と心の中で謝りつつ、俺は祠の清掃を始めた。こんなこともあろうかと、ふふ、背中に背負ったこの重い荷物の中には、水道の水を入れた五百ミリのペットボトルを三本も入れてあるのだ。
ここにある祠の清掃が、本日の俺の仕事だ。清掃後に御供え物をすることも含まれる。もう何十年もずっと依頼主の竜田さんがそれをしてきたらしいんだけど、今年は運悪くしばらく入院することになったんだそうだ。
どうしようかと困っていたところに、竜田さんと付き合いのある古道具屋、慈恩堂の真久部さんが、「自分の知り合いの何でも屋なら、それをするのに打ってつけだと思うのだが、どうか?」と提案してきたんだそうだ。──
やめよう。今はそんなこと関係無いはずだ。
片手箒と刷毛を使って祠から埃などの汚れを取り、ペットボトルの水でさっきの清涼飲料水を洗い流す。周囲の草も刈ったり抜いたりして、と。
ほう……すっかりきれいになったな。イメージは、どんよりからすっきりへ。
一年間の泥砂汚れがすっかり取れて、薄い雲の間から差し込むお日様の光を浴びて輝くようだ──。とまでは言いすぎかもしれないけど、とにかく見違えるほどに小ざっぱりときれいになった。
自分の仕事に満足して、俺は荷物の中からお供えを取り出した。さて、ここではお稲荷さん。白い紙皿の上に並べて供える。それから線香を取り出し、百円ライターで火を点けて、線香立てに立てる。竜田さんから預かってる線香はなかなか雅な香りがする。お高いやつなんだろうな。
なんてこと考えつつも、俺はしゃがんて祠に手を合わせた。特に指示が無かったんでよく分からないけど、一年間ありがとうございました。また次の一年よろしくお願いします、と感謝とお願いをしておいた。
清々しい思いで立ち上がり、さて次に行くかと額の汗を拭ったところで、またあの煩い改造車のエンジン音が遠くから近づいて来た。
ぼっぼっぼっばぼぼぼぼぼぼぼばばぼぼぉぉ~ん
さっき姿を消した方向から戻ってきた車は、祠の前の道を、元来た方角に向けてけたたましく走り去る。
他に走る道は無いのか? ヒマだなぁ、という感想しか出てこない。ま、ヒマだからあんなことしてるんだろうけど。
「……」
ひとつ息をついて気持ちを入れ替える。祠の清掃はここだけではないのだ。まだ後三ヶ所ある。
えーと、確か、この祠から北に向かって百メートルほどだったかな。
俺はポケットに入れていた方位磁石を取り出した。薄曇で分かりにくいけど、太陽はあっちだから──うん、このまま進めばいいか。良く見ると、草の間に細い道のようなものが伸びているのが分かった。年に一度を数十年通い続けた竜田さんの足跡だろうな。
草と、所々に生えてる木の枝を除けながら歩く。時々蜘蛛の巣。ぶはっ……。
今の季節は木の花の花盛りなんだよな。目立たないけど目立つ、っていうのも変だけど、緑の葉の
「懐かしいな……」
あれは何、これは何と指さして教えてくれた父の笑顔を思い出した時、微かにいい匂いがしてくるのに気づいた。
見回してみると、プロペラみたいな白い花の絡みつく木の下に、さっきのと同じような祠。
おお、テイカカズラ、サンキュー。お前の香りのお陰で見つけることが出来たよ。この花、ジャスミン的な芳香があるんだよな。毒有るらしいけど。
ここでも俺は片手箒と刷毛と水で祠をきれいにし、周囲の草を取り除いた。うーん、このテイカカズラ、うっかりしたら祠に絡みつきそうなんだけど……。まあ、大丈夫かな。この蔓だけ退けておこう。
よし、さっぱりすっきりぴっかぴか! さて、御供え物をするかな。この祠には、おはぎ、と。
さっきと同じように白い紙皿に大きなおはぎをのせて、祠に供える。それから線香に火をつけ、線香立てにそっと立てる。ゆらゆらと漂う煙の中にしゃがみ込み、手を合わせ、祈る。──一年間ありがとうございました。また次の一年よろしくお願いします。あ、それと竜田さんが早く退院出来ますように。
「……」
よし。終了! さあ、みっつ目行くか。
気合を入れて立ち上がった時。またもやあの爆音が聞こえてきた。
ぶぼばぼぶぉぉんぼぉぉんぶぼばぼぼぉぉぉ~!
戻ってきたのか、あの車。
「一体何往復するつもりなんだろ……」
ガソリンが勿体無いなぁ。──そうは思うも、止める術があるわけでもなし。……ま、いいや。次行こ、次。
俺はまた方位磁石を取り出した。