第214話 竈と猫 1 富貴亭のご飯はかまど炊き
文字数 2,046文字
「昼だから無理だけど、ついお酒が欲しくなりますね」
こう、辛口のぽん酒をキューッと一杯。まあ、潰す身上 もないのに、外の明るいうちからそんなことやってられないけども。毎日働かなきゃ暮らしていけない一般庶民には、朝寝朝酒朝湯は正月だけの贅沢さ。ふっ。
「そうですね。僕としてはたまには夕食のご招待もしてみたいものだけど──、そういう時間帯は何でも屋さん、忙しそうですものねぇ」
ちらりとこちらを流し見て、意味ありげに唇の端を上げる真久部さん。
「そ……そうなんですよ。犬の散歩とか、子供の習い事送り迎えとか、ちょうど晩飯どきに重なっちゃうから」
あはは、と笑うと、ふふ、と読めない笑みが返ってくる。店番には慣れてきたけど、さすがに夜の慈恩堂は怖くて遠慮したい──なんてさ、今更言わなくても、俺以上にわかってくてれる真久部さんがせっかく避けてくれたのに、何で自分で話振っちゃうかなぁ。俺の馬鹿。……こんなふうにくすぐってくるけど、本当には意地悪しないって、俺知ってるよ、真久部さん。信用してるからね?
「それにしても、富貴亭ってこの白いご飯が美味しいですよね。料理は当然というかさすがというか料亭の味で、特に玉子焼き最高! って思うんですけど、ここのご飯はまた格別です」
お吸い物代わりの茶碗蒸しも、卵が固まるぎりぎりの軟らかさなのに、ス なんて全く入らず滑らで、出汁の味に椎茸と海老のうま味が複雑に絡み合い舌をとろけさせ、底に沈んだ銀杏の、ほのかな苦味が心地いい。天ぷらも刺身も玉子焼きも、去年一回ここのお弁当を食べさせてもらったときの記憶に違わず美味だけど、ご飯が本当にもう、なんとも豊かな香がして、噛み締めるたび甘味が増して感動するんだよ。
「ああ、あそこは今時珍しいかまどで炊いてますからね」
最後に残しておいたのか、奈良漬を一切れぽりぽり齧りつつ、真久部さんは教えてくれる。幸せそうに食後のお茶を飲み干して、俺が最後のご飯をしみじみ味わっているのを、にこにこしながら眺めてる。
「へえ、かまどですか。こだわってるんですね」
だから、ただの白いご飯がこんなに美味しいのかぁ。ふう。もう、何もかも美味しくて、満腹満腹。俺もお茶を飲みつつ腹を撫でていると。
「そこまでこだわりたいわけじゃ、なかったようですがねぇ」
怪しく笑って真久部さん、そんなことを言う。え、な、何?
「あそこは居抜きじゃなくて、元の小料理屋と隣にあったうどん屋を合わせて、一軒の店に改装したんだけどね……、その時に、オブジェというか、飾り物のつもりでどこかから立派なかまどを持ってきたんだそうですよ」
「へ、へえ……」
怖い話なら、あんまり聞きたくないなー、って思ってるんだけど、そんな俺の心の裡を知ってか知らずか、きれいに中身の無くなった弁当箱を片付けつつ、話を続ける。
「店内に飾り付けて、開店準備もだいたい整い、板長が若い衆と一緒に毎日板場に通って掃除をして、届いた冷蔵庫だの作業台だのの据え付けを行い、道具を整えていた頃のことだそうですよ」
何か変だと、板長が感じたのは。そう言って、真久部さんはにい、と笑った。
「鍵を開けて、店に入ったとたん、ご飯の炊き上がる甘い匂いが立ち込めてたり」
「……」
「最後にさあ帰ろうかというときに、後ろからパチパチと薪の爆ぜる音が聞こえてきたり」
「……」
「その時はさすがに、慌てて皆で中に戻り、何か燃えていないか隅々まで見て回ったんだそうだけど、何もおかしなものはなかったらしいよ。それなのに、帰ろうとするとまたパチパチ鳴る」
「……」
「怖くなったのか、この段階で姿を見せなくなった若い衆もいたそうだけど……、店を休んで家にいても、台所から店の板場で聞いたような音が聞こえてくる、と言って、追い立てられるようにして翌日には出て来たそうです」
「真久部さん……それ、未解決じゃないですよね……?」
ハッピーエンドでなければ、聞きたくないよ! ってういか、俺、今日は水無瀬家の怪異について聞きにきたはずなのに、何で別の怖い話を聞かされて……。
「もちろん」
真久部さんは胡散臭い笑みでうなずいた。
「解決済みというか、一番いい形に落ち着いた感じかなぁ?」
わざとらしく首を傾げてみせる。こちらを見る眼にはいつもの悪戯っぽい光──。ああ、これはもう聞くしかないな、と俺は諦めることにした。
「そ、そうなんですか……」
「そうですよ」
茶碗を変えて新しくお茶を淹れてくれながら、真久部さんは続ける。
「そのうち、薪の爆ぜる音だけではなくて、だんだん違う音も聞こえてくるようになったそうです。何かが唸るような、呻くような、低い、まるで地面から空気を震わせて、耳にまで響いてくるような音が……」
若い衆は、怪獣の鼾みたいだった、と後で言ってましたけど、なんて笑いを取るつもりかそんなことも交えて教えてくれるけど、俺、笑えないよ、真久部さん……。
「で、板長がね。その音に聞き覚えがあると言い出したんです。あれは鳴釜神事の音だと」
「……なるかましんじ?」
何それ。
こう、辛口のぽん酒をキューッと一杯。まあ、潰す
「そうですね。僕としてはたまには夕食のご招待もしてみたいものだけど──、そういう時間帯は何でも屋さん、忙しそうですものねぇ」
ちらりとこちらを流し見て、意味ありげに唇の端を上げる真久部さん。
「そ……そうなんですよ。犬の散歩とか、子供の習い事送り迎えとか、ちょうど晩飯どきに重なっちゃうから」
あはは、と笑うと、ふふ、と読めない笑みが返ってくる。店番には慣れてきたけど、さすがに夜の慈恩堂は怖くて遠慮したい──なんてさ、今更言わなくても、俺以上にわかってくてれる真久部さんがせっかく避けてくれたのに、何で自分で話振っちゃうかなぁ。俺の馬鹿。……こんなふうにくすぐってくるけど、本当には意地悪しないって、俺知ってるよ、真久部さん。信用してるからね?
「それにしても、富貴亭ってこの白いご飯が美味しいですよね。料理は当然というかさすがというか料亭の味で、特に玉子焼き最高! って思うんですけど、ここのご飯はまた格別です」
お吸い物代わりの茶碗蒸しも、卵が固まるぎりぎりの軟らかさなのに、
「ああ、あそこは今時珍しいかまどで炊いてますからね」
最後に残しておいたのか、奈良漬を一切れぽりぽり齧りつつ、真久部さんは教えてくれる。幸せそうに食後のお茶を飲み干して、俺が最後のご飯をしみじみ味わっているのを、にこにこしながら眺めてる。
「へえ、かまどですか。こだわってるんですね」
だから、ただの白いご飯がこんなに美味しいのかぁ。ふう。もう、何もかも美味しくて、満腹満腹。俺もお茶を飲みつつ腹を撫でていると。
「そこまでこだわりたいわけじゃ、なかったようですがねぇ」
怪しく笑って真久部さん、そんなことを言う。え、な、何?
「あそこは居抜きじゃなくて、元の小料理屋と隣にあったうどん屋を合わせて、一軒の店に改装したんだけどね……、その時に、オブジェというか、飾り物のつもりでどこかから立派なかまどを持ってきたんだそうですよ」
「へ、へえ……」
怖い話なら、あんまり聞きたくないなー、って思ってるんだけど、そんな俺の心の裡を知ってか知らずか、きれいに中身の無くなった弁当箱を片付けつつ、話を続ける。
「店内に飾り付けて、開店準備もだいたい整い、板長が若い衆と一緒に毎日板場に通って掃除をして、届いた冷蔵庫だの作業台だのの据え付けを行い、道具を整えていた頃のことだそうですよ」
何か変だと、板長が感じたのは。そう言って、真久部さんはにい、と笑った。
「鍵を開けて、店に入ったとたん、ご飯の炊き上がる甘い匂いが立ち込めてたり」
「……」
「最後にさあ帰ろうかというときに、後ろからパチパチと薪の爆ぜる音が聞こえてきたり」
「……」
「その時はさすがに、慌てて皆で中に戻り、何か燃えていないか隅々まで見て回ったんだそうだけど、何もおかしなものはなかったらしいよ。それなのに、帰ろうとするとまたパチパチ鳴る」
「……」
「怖くなったのか、この段階で姿を見せなくなった若い衆もいたそうだけど……、店を休んで家にいても、台所から店の板場で聞いたような音が聞こえてくる、と言って、追い立てられるようにして翌日には出て来たそうです」
「真久部さん……それ、未解決じゃないですよね……?」
ハッピーエンドでなければ、聞きたくないよ! ってういか、俺、今日は水無瀬家の怪異について聞きにきたはずなのに、何で別の怖い話を聞かされて……。
「もちろん」
真久部さんは胡散臭い笑みでうなずいた。
「解決済みというか、一番いい形に落ち着いた感じかなぁ?」
わざとらしく首を傾げてみせる。こちらを見る眼にはいつもの悪戯っぽい光──。ああ、これはもう聞くしかないな、と俺は諦めることにした。
「そ、そうなんですか……」
「そうですよ」
茶碗を変えて新しくお茶を淹れてくれながら、真久部さんは続ける。
「そのうち、薪の爆ぜる音だけではなくて、だんだん違う音も聞こえてくるようになったそうです。何かが唸るような、呻くような、低い、まるで地面から空気を震わせて、耳にまで響いてくるような音が……」
若い衆は、怪獣の鼾みたいだった、と後で言ってましたけど、なんて笑いを取るつもりかそんなことも交えて教えてくれるけど、俺、笑えないよ、真久部さん……。
「で、板長がね。その音に聞き覚えがあると言い出したんです。あれは鳴釜神事の音だと」
「……なるかましんじ?」
何それ。