第131話 鳴神月の呪物 22 終

文字数 2,987文字

「ど、どうって?」

「老人の流派に伝わる、術師的ハッピーエンドじゃないほうのことですよ?」

強力な呪物を得て、二振りの刀を打たせたんじゃないほうの結末。そうつけ加えて、さらに唇の端を上げてやる。怯みつつも記憶をたぐっていた彼は、多分忘れたままでいたかったはずのことをなんとか思い出したようだった。

「え、えーっと。“真なる空”に吸い込まれてから、正直な男の立ってた場所に落ちた、んでしたっけ……?」

「吸い込まれた先で、再形成されてね?」

「あ、そうだ。チョコレートの中のアーモンド的なものになったんでした!」

呪いコーティングの呪いアーモンド、嫌だな~、と彼は遠い眼をする。

「イメージ的には、やっぱり隕石みたいな感じなんですけど……石になっちゃった、でいいですか……?」

「正解です」

そう言うと、彼がホッとしたような顔をした。

「正確には、殺生石になった」

「……殺生石?」

一旦ゆるんだ顔が引きつる。

「伝説の“九尾の狐”のほうとは別件ですよ? 実はそんなふうに呼ばれる石はあちこちにあってね、周辺の住民が散ってしまって言い伝えも途切れ、今ではすっかり忘れられてるようなものも」

「そ、そうなんですか……」

「この老人の殺生石は、大きく窪んだような地形の荒地に、ぽつんと転がっているらしい。他にも似たような大きさの石が転がっていて、どれがそれとは分からないという。だから、その辺りでは決して石を拾ってはいけないのだそうだ」

「……」

「後から来た人がこの土地を開墾しようとしても、小石が出るばかりでとうてい耕地にはできなかったという。それどころかほんの少しでも鍬を入れた者は、一週間以内に怪死を遂げたとか……」

「……」

「獣も、鳥ですら上を通らず、ただ草がまばらに生えるだけで、その種類は周辺ではみられないものだという。似てるようでも、葉のつき方、花びらの形が少しずつ違うのだとか……」

「い、忌み地ってやつですね! 近寄らなければいいんでしょう?」

いつか教えてもらったこと、ちゃんと覚えてますよ、と彼はアピールする。もうそろそろ怖い話はやめて欲しいということだ。しかし、ここまで語ったのだから、真久部としてもきりの良いところまで話してしまいたい。

「それが、この百狐狸邪老殺生石は──」

「ももこ、り、じゃろう?」

桃子、利じゃろう? 方言? と首を傾げている彼に、真久部は手元のメモ帳に<百狐狸邪老殺生石>と書いてみせた。

「──呼ぶんだそうだ」

漢字を見て慄いた彼は、囁くような声でたずねてきた。

「よ、呼ぶ……?」

「僻みと妬みと嫉みに凝り固まったり、心の中に昏い恨みを滾らせているような者を、呼び寄せるんだそうだよ」

運悪く呼ばれた者は、知らないうちにふらふらと引き寄せられるらしい、と続けると、また無言になる。

「ハッと気づくと、その土地に入るまでに張り巡らされている注連縄の前に立っていて、自分がどうやってそこまで来たのか、全く覚えていないという。──うっかりその内側に入ってしまったら、どうなることやら」

「……真久部さん」

こちらを見る彼の目が据わっている。これはいけない、と真久部は自重という言葉をなんとか引っ張り出した。

「ごめん、ごめん。つい調子に乗ってしまって」

真久部は謝罪した。個包装の塩大福を彼に差し出す。天然塩を使ったものだ。

「……」

じっとそれを見つめていた彼は、おもむろに手に取って包装を開くと、自棄ぎみに中身にかぶりついた。無言のまま、もぐもぐと口を動かしている。

ほっと真久部は胸を撫で下ろした。このぶんでは、その荒地に転がる石を拾って憎い相手の家の庭か、玄関あたりに放置すると、その家の者、特に家長に凶事がふりかかるとか、その辺りで大水の出た後に、手頃な大きさの石を拾ったからと漬物石に使っていて、大変な目にあった家もあったらしいとか、そういうことまで話したら、彼はすぐさまここから逃げ出してしまうだろうと反省する。

「すみません。もう言いませんから」

「……いいですよ。今日ここに来なかったら、俺は昔話の男のようになってたみかもしれないんだし。──真久部さんには感謝してるんです」

「……」

大人だなぁ、彼は。と感動する真久部を横目に眺め、彼は続ける。

「でも、殺生石の話は盛りすぎじゃないですか? そんな妙な名前まででっち上げて」

「え? 僕の創作じゃないですよ?」

びっくりして否定する真久部に、彼はわざとらしく溜息をついた。

「だっておかしいでしょう? 何で真久部さんそんな後のことまで知ってるんですか?」

老人が呪物の石に凝り固まって殺生石になった、までは、伯父さんが瓢箪と駒の根付から聞いた、でいいですけども、と言う。

「その後の消息? っていうのもおかしいけど、それをどうやって知ったっていうんです?」

ああ、それか、と真久部はぽんと膝を叩いた。

「ほら、そこの貴石画」

店の隅を指差す。貴石画とは、宝石にもなるきれいな石の原石を薄く加工し、貼り合せて絵に仕立てたものだ。

「あれのうろこ部分。あの石が取れたのが元の村、つまり百狐狸邪老殺生石を見下ろす崖の上で。瓢箪と駒が去った後も、全てを見ていた石から伯父が聞き出した話を──」

そういえば、あの絵は伯父から預かったのだということを、真久部は今更思い出した。あまりにも売れないので、すっかり忘れていたのだ。

「……」

彼がゆっくりと身を起こす。いつにない素早さで立ち上がったかと思うと、帳場の畳から降りて靴を履き、「きょ、今日はありがとうございました!」と言いながら、障害物競走の選手のように店を横切った。必死に表のドアにタッチして開ける。ちりん、とドアベルの音。そこでかろうじて踏みとどまり、彼は呆気に取られたままの真久部をふり返った。

「ホント、ありがとうございます。今度、お礼に店番を……店番は……いや、その……、とにかく、ありがとうございました! それと、」

そこまで叫んだ瞬間。


ボーン……ボーン
……ボーン……ボーン……ボーン
ボンボンボンボーンボーン……ボン……


時計たちが時を告げた。彼は声のない悲鳴を上げてドアを潜る。それでも、閉める瞬間、「ごちそうさまでした~!」と言葉を続けたのは偉い。

「……」

時計たちはまだ鳴っている。が、正時だ。これを叱るわけにはいかない。

「……」

逃げられた。真久部はがっくり肩を落とす。貴石画に描かれているのが鯉だったのがいけない。けれど、彼が近頃鯉を苦手にするようになった、それを忘れていた自分は、もっといけない。

これも伯父のせいかな、などとと思ってしまう自分が嫌だったが、真久部はつい鯉の貴石画を睨みつけてしまった。髭を揺らして、ヤツは笑っているように見える。

はあ、と大きく溜息をついて、真久部は茶道具を片付けはじめた。視界の隅で金魚が泳ぎ、暗がりで何かの影がうごめく。豆人形たちはひそひそと囁きを交わし、古い蓄音機が記憶に蓄えていた賑やかなワルツを幻の音で奏でると、古テーブルがもぞもぞと足を動かし、ダンスの真似事をする。

いつもの、慈恩堂の光景だった。
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