第198話 寄木細工のオルゴール 36
文字数 2,044文字
「……」
しばらく黙っていた真久部さんが、ふふっ、と笑った。
「何でも屋さんに慰められてしまいました」
おどけたように言う。その瞳には悪戯っぽい光が宿っている。
「え? あ」
そんなつもりじゃなかったんだけど、あれ? 俺、慰めてたのかなぁ。だってあんなのっぺりした官女の笑みでいられると、俺が落ち着かないっていうか──なんかさ、いつもの、どうやって許容範囲ぎりぎりまで怖がらせようか、からかおうか、っていう怪しかったり胡散臭かったりするにっこり笑顔のほうが真久部さんらしいっていうか、落ち着くっていうか……。
……
……
違う! 俺Mじゃないから、違うから! いじめてほしいわけじゃないんだ、慣れちゃっただけで。らしくない真久部さんなんて、何だっけ、どうしても俺の耳には音がぐにゃっとなって聞き取れない、あの何とかいうの が抜けちゃった我楽多みたいなもんだから! 店の古道具たちがいつもイキイキぴちぴち艶々してるのに、そこの店主が元気ないなんて、ダメじゃん──。
何に対してかそんな言い訳をしながら、心の中で自分でもよくわからない葛藤をしていると、真久部さんがうっすら微笑んだ。
「何でも屋さんは、本当に善良だ」
「……」
ただそれだけの人間だと、かつての友人に評されたこともあるけどね。その時は自分の人間性を否定されたみたいで、落ち込んでしまったけど……。でもさ、嫌なヤツっていわれるよりいいと思うんだ。たとえ、それが<つまらないヤツ>と同義であろうと、さ──。
若い頃の些細な思い出に、ついほろ苦い気持ちになっていると。
「善良すぎて、つい突 いて弄りたくなってくるけど」
そんなこと言われたので、妙な声が洩れた。
「はぇ……?」
ちょ、それは酷いよ真久部さん……!
「それはきみがブレない人だとわかってるから。──ま、甘えてるみたいなものですよ」
目で抗議する俺に、笑ったままの瞳で、いじめてるんじゃないですよ? とつけ加える。──ホントか……?
「安心するんです、きみの変わらない善良さに。だから、そういうきみを害そうとする者がいたら、たぶん僕は怒ると思います。──きっと“彼”もそうなんでしょう」
“彼”? 首を傾げる俺に構わず、真久部さんは先を続ける。
「さっきの“清美さん”の瘴気が結界の内側のきみに届いてしまったのは、『あのとき止めていればよかった』と、きみが彼女に申しわけなく思っていたから。そんな必要はないのにね、でもきみの、意識しない人の善さがそうさせてしまう」
僕は先代に対して申しわけないと思っているけど、清美さんには思わないですからね、と言う。
「彼女は死んでも自分自身の落ち度を認めたくなくて、こんな目に遭ったのはきみのせいだと、きみを害そうとした。その善良な気持ちをたどってね。だから“彼”が動いたんでしょう、きみを護るために」
「……」
“彼”──弟かぁ……。お前、やっぱりまだ俺のそばにいるのか? ──不甲斐ない兄のせいでおちおち成仏できないとか、そういう……。
軽く落ち込んでいる間も、真久部さんの言葉は続いている。
「きみはパズルものが苦手だけど、“彼”は得意だったと言ったね? 清美さんがコレを放り出して逃げていった後も、僕が帰るまで放っておけばいいのに、きみは真面目に拾おうとした。だから“彼”が閉じ直したんだと思うよ、おかしな手順で無理に開けられて歪 んだ箱を……、うっかりこの“ご隠居”の機嫌を損ねないように」
「ご……」
“ご隠居”って、確定なのかな、この呼び方。──たぶん何十年ぶりかになるんだろう、心なしか気持ち良さそうに曲を奏で続けるオルゴールを見ていると、もうそれでいいような気がしてきた。風呂場で詩吟を吟ずるご老人の図、みたいな。螺子の頭はくるくる回ってバレリーナみたいなんだけど。
「そう……閉じ直して、歪 みを解消するために、一度正しい手順で開けたんだと思うな。きみ、壊れてないか気にしてたでしょう?」
「はい……」
店番失格、と思って落ち込んでた。いや、ほんと、店番ってさ、客の応対はもちろんだけど、商品の管理もきちんとしないといけないものだからさ……。
「襖とか戸とか、填めたときに動きが悪かったら、何度か押したり引いたりして慣らして馴染みをよくするものでしょ? あれと同じことなんだよ。だから“彼”は正しく開け直して、正しく閉じて元に戻した。コレ……“ご隠居”は“ご隠居”らしく、鷹揚に“彼”に開け閉めさせてくれたんだと思う。きみを思う“彼”の気持ちに免じて」
もちろん、“彼”が正しい手順が理解できるパズルの名手だったから許してくれたんでしょうけど、と真久部さんは推測する。いくら心意気はあっても、間違えてそれをやられたら“ご隠居”だって嫌でしょうからね、と。
「そのときに、“彼”と“ご隠居”のあいだで何かが通じたのか、それはわかりませんが──、“彼”はこの隠されたメロディに、悪いものを寄せ付けない力があると知ったんでしょう」
転がして聞こえる曲は、ごく普通のメロディなんですけどね、と続ける。
しばらく黙っていた真久部さんが、ふふっ、と笑った。
「何でも屋さんに慰められてしまいました」
おどけたように言う。その瞳には悪戯っぽい光が宿っている。
「え? あ」
そんなつもりじゃなかったんだけど、あれ? 俺、慰めてたのかなぁ。だってあんなのっぺりした官女の笑みでいられると、俺が落ち着かないっていうか──なんかさ、いつもの、どうやって許容範囲ぎりぎりまで怖がらせようか、からかおうか、っていう怪しかったり胡散臭かったりするにっこり笑顔のほうが真久部さんらしいっていうか、落ち着くっていうか……。
……
……
違う! 俺Mじゃないから、違うから! いじめてほしいわけじゃないんだ、慣れちゃっただけで。らしくない真久部さんなんて、何だっけ、どうしても俺の耳には音がぐにゃっとなって聞き取れない、あの
何に対してかそんな言い訳をしながら、心の中で自分でもよくわからない葛藤をしていると、真久部さんがうっすら微笑んだ。
「何でも屋さんは、本当に善良だ」
「……」
ただそれだけの人間だと、かつての友人に評されたこともあるけどね。その時は自分の人間性を否定されたみたいで、落ち込んでしまったけど……。でもさ、嫌なヤツっていわれるよりいいと思うんだ。たとえ、それが<つまらないヤツ>と同義であろうと、さ──。
若い頃の些細な思い出に、ついほろ苦い気持ちになっていると。
「善良すぎて、つい
そんなこと言われたので、妙な声が洩れた。
「はぇ……?」
ちょ、それは酷いよ真久部さん……!
「それはきみがブレない人だとわかってるから。──ま、甘えてるみたいなものですよ」
目で抗議する俺に、笑ったままの瞳で、いじめてるんじゃないですよ? とつけ加える。──ホントか……?
「安心するんです、きみの変わらない善良さに。だから、そういうきみを害そうとする者がいたら、たぶん僕は怒ると思います。──きっと“彼”もそうなんでしょう」
“彼”? 首を傾げる俺に構わず、真久部さんは先を続ける。
「さっきの“清美さん”の瘴気が結界の内側のきみに届いてしまったのは、『あのとき止めていればよかった』と、きみが彼女に申しわけなく思っていたから。そんな必要はないのにね、でもきみの、意識しない人の善さがそうさせてしまう」
僕は先代に対して申しわけないと思っているけど、清美さんには思わないですからね、と言う。
「彼女は死んでも自分自身の落ち度を認めたくなくて、こんな目に遭ったのはきみのせいだと、きみを害そうとした。その善良な気持ちをたどってね。だから“彼”が動いたんでしょう、きみを護るために」
「……」
“彼”──弟かぁ……。お前、やっぱりまだ俺のそばにいるのか? ──不甲斐ない兄のせいでおちおち成仏できないとか、そういう……。
軽く落ち込んでいる間も、真久部さんの言葉は続いている。
「きみはパズルものが苦手だけど、“彼”は得意だったと言ったね? 清美さんがコレを放り出して逃げていった後も、僕が帰るまで放っておけばいいのに、きみは真面目に拾おうとした。だから“彼”が閉じ直したんだと思うよ、おかしな手順で無理に開けられて
「ご……」
“ご隠居”って、確定なのかな、この呼び方。──たぶん何十年ぶりかになるんだろう、心なしか気持ち良さそうに曲を奏で続けるオルゴールを見ていると、もうそれでいいような気がしてきた。風呂場で詩吟を吟ずるご老人の図、みたいな。螺子の頭はくるくる回ってバレリーナみたいなんだけど。
「そう……閉じ直して、
「はい……」
店番失格、と思って落ち込んでた。いや、ほんと、店番ってさ、客の応対はもちろんだけど、商品の管理もきちんとしないといけないものだからさ……。
「襖とか戸とか、填めたときに動きが悪かったら、何度か押したり引いたりして慣らして馴染みをよくするものでしょ? あれと同じことなんだよ。だから“彼”は正しく開け直して、正しく閉じて元に戻した。コレ……“ご隠居”は“ご隠居”らしく、鷹揚に“彼”に開け閉めさせてくれたんだと思う。きみを思う“彼”の気持ちに免じて」
もちろん、“彼”が正しい手順が理解できるパズルの名手だったから許してくれたんでしょうけど、と真久部さんは推測する。いくら心意気はあっても、間違えてそれをやられたら“ご隠居”だって嫌でしょうからね、と。
「そのときに、“彼”と“ご隠居”のあいだで何かが通じたのか、それはわかりませんが──、“彼”はこの隠されたメロディに、悪いものを寄せ付けない力があると知ったんでしょう」
転がして聞こえる曲は、ごく普通のメロディなんですけどね、と続ける。