第224話 竈と猫 11 猫たちの教育的指導
文字数 1,898文字
「竈猫の、御座所ですか……?」
「そうです。その場合、竈猫はかまどから遣わされた御目付け役ですからね。もてなさないと」
「……」
想像するとシュールだけど、真久部さんは大真面目だ。
「お湯を張った風呂の蓋の上でもいいんですが、竈猫にはコタツのほうが気に入ってもらえるでしょう。でもまあ、かまどの据え直しが終わらないうちは、オーナーは夜な夜な魘されることになったでしょうけどね──中身 に胸の上にでも乗られて」
俺もたまに、居候の三毛猫に乗られて目が覚めることがあるけどな。本物の猫ならいい。鬱陶しいだけで、別に怖くもない。だけど、見えない猫や置物の招き猫に乗られるなら、ホラーだ……。傍からどれだけ滑稽に見えたとしても。
「かまどで炊飯をするようになってからは、竈猫入り招き猫は煙突の脇に作った棚に乗せられて、そこから満足そうに板場を睥睨しているそうですよ」
猫は高いところが好きだからねぇ、と楽しそうに目を細める。
「棚を作るように言ったのは、やっぱり真久部さんなんですか?」
「いえ、オーナーが自主的に。なんとなく、そうしないといけない気になったそうだよ。板長は板長で、毎朝仕込み前、小皿に盛った煮干を上げているんだとか。やっぱり板長も、なんとなくそうしないといけない気になったらしい」
たまに花かつおを添えると、その日はちょっといいことがあるという。珍しい魚が入ったりとか。
「今では、かまどとともに富貴亭の良い御守りになってますよ。かまどと猫を大事にするかぎり、あの店が傾くようなことはないでしょう。そうそう、かまどの掃除は例の若い衆にさせているそうです。──なんでも、サボろうとすると、頬に細い引っ掻き傷ができるらしいよ」
ふふっ、と含み笑う顔が怪しくも胡散臭く、ちょっと悪い。面白がってるよ、このヒト。
「はぁ……そうなんですか……」
まあ、猫の爪なんだろうけどさ……。先の先の一番鋭い部分だけで引っ掻かれると、大したことはないんだけど、ピリッとするんだよなぁ。
「板長は、彼にかまどの使い方をみっちり仕込んでいるそうだよ。──週に一度は店の営業が終わったあとに羽釜でご飯を炊く練習をさせているそうですが、まだまだだとか……もっとも、板長の厳しい目からするとお客に出せるレベルではないというだけで、だいぶ上達したらしいですよ」
若い衆、ことのほか板場のかまどと招き猫を恐れていて、本当は辞めたくてしょうがないらしいんですけどね、と真久部さんは続ける。
「店に行きたくなくて、住んでいるアパートでうだうだしていると、台所からかまどの気配がするんだそうです。だからといって外に出て、パチンコ屋にでも逃げようとすると、頬に猫パンチをくらうとか。肉球の感触がするんだそうです」
「その若い衆は、実はいまだに許されてないんですか……?」
かまどと竈猫に、とたずねると、たぶん違うと思います、と首を振る。
「そうじゃなくて、彼の守りの猫と通じてるんじゃないかな? 薄くても傷をつけてくるのが竈猫、肉球クッションのきいた猫パンチを繰り出してくるのが守り猫で、かまどは助演でねぇ。たぶん、あの若い衆は放っておくと修行をサボって、そのうち素行の悪さで店を解雇され、社会からもドロップアウトするような、そんなろくでもない運命を辿ることになるんじゃないかなぁ……守りがあろうが無かろうが、本人の資質次第でいかようにもなるわけでねぇ」
「……」
「聞いてみれば、彼の周囲の友人の多くはまだ学生ということで、そっちの雰囲気に釣られるんでしょうね。一足先に社会には出たけれど、まだ遊びたい盛り。板長に叱られながらの修行の日々は、ダルいということなんでしょう。ちょっと良くない仲間もいて、彼はどうやら易い方に流されやすい性質らしい。守りの猫は、それを防ぎたいんでしょう。かまどと竈猫との縁ができたものだから、なんとかして修行を続けさせ、立派な料理人にしたいと、協力を頼んだんじゃないかと僕は思っていますよ」
自分だけだと力が足りないから、これ幸いというところじゃないかな、と真久部さんは推測する。
「……若い衆は、いつも見張ら、いや、見守られてるというわけですね」
見えない猫二匹に。想像すると微笑ましい……のかな? うん、そういうことにしておこう。
「悪いこと、できませんね」
「まあねぇ。でも、それが当人のためでしょう。若いからって、悪いことしなきゃいけないってこともないんだしね。ちょっと努力しなきゃいけないことから注意が逸れやすいだけで、根は悪い青年じゃない。きっと、彼はビシビシ厳しめに導かれるのが向いてるんでしょう。あと十年もすれば、良い料理人になりますよ」
「そうです。その場合、竈猫はかまどから遣わされた御目付け役ですからね。もてなさないと」
「……」
想像するとシュールだけど、真久部さんは大真面目だ。
「お湯を張った風呂の蓋の上でもいいんですが、竈猫にはコタツのほうが気に入ってもらえるでしょう。でもまあ、かまどの据え直しが終わらないうちは、オーナーは夜な夜な魘されることになったでしょうけどね──
俺もたまに、居候の三毛猫に乗られて目が覚めることがあるけどな。本物の猫ならいい。鬱陶しいだけで、別に怖くもない。だけど、見えない猫や置物の招き猫に乗られるなら、ホラーだ……。傍からどれだけ滑稽に見えたとしても。
「かまどで炊飯をするようになってからは、竈猫入り招き猫は煙突の脇に作った棚に乗せられて、そこから満足そうに板場を睥睨しているそうですよ」
猫は高いところが好きだからねぇ、と楽しそうに目を細める。
「棚を作るように言ったのは、やっぱり真久部さんなんですか?」
「いえ、オーナーが自主的に。なんとなく、そうしないといけない気になったそうだよ。板長は板長で、毎朝仕込み前、小皿に盛った煮干を上げているんだとか。やっぱり板長も、なんとなくそうしないといけない気になったらしい」
たまに花かつおを添えると、その日はちょっといいことがあるという。珍しい魚が入ったりとか。
「今では、かまどとともに富貴亭の良い御守りになってますよ。かまどと猫を大事にするかぎり、あの店が傾くようなことはないでしょう。そうそう、かまどの掃除は例の若い衆にさせているそうです。──なんでも、サボろうとすると、頬に細い引っ掻き傷ができるらしいよ」
ふふっ、と含み笑う顔が怪しくも胡散臭く、ちょっと悪い。面白がってるよ、このヒト。
「はぁ……そうなんですか……」
まあ、猫の爪なんだろうけどさ……。先の先の一番鋭い部分だけで引っ掻かれると、大したことはないんだけど、ピリッとするんだよなぁ。
「板長は、彼にかまどの使い方をみっちり仕込んでいるそうだよ。──週に一度は店の営業が終わったあとに羽釜でご飯を炊く練習をさせているそうですが、まだまだだとか……もっとも、板長の厳しい目からするとお客に出せるレベルではないというだけで、だいぶ上達したらしいですよ」
若い衆、ことのほか板場のかまどと招き猫を恐れていて、本当は辞めたくてしょうがないらしいんですけどね、と真久部さんは続ける。
「店に行きたくなくて、住んでいるアパートでうだうだしていると、台所からかまどの気配がするんだそうです。だからといって外に出て、パチンコ屋にでも逃げようとすると、頬に猫パンチをくらうとか。肉球の感触がするんだそうです」
「その若い衆は、実はいまだに許されてないんですか……?」
かまどと竈猫に、とたずねると、たぶん違うと思います、と首を振る。
「そうじゃなくて、彼の守りの猫と通じてるんじゃないかな? 薄くても傷をつけてくるのが竈猫、肉球クッションのきいた猫パンチを繰り出してくるのが守り猫で、かまどは助演でねぇ。たぶん、あの若い衆は放っておくと修行をサボって、そのうち素行の悪さで店を解雇され、社会からもドロップアウトするような、そんなろくでもない運命を辿ることになるんじゃないかなぁ……守りがあろうが無かろうが、本人の資質次第でいかようにもなるわけでねぇ」
「……」
「聞いてみれば、彼の周囲の友人の多くはまだ学生ということで、そっちの雰囲気に釣られるんでしょうね。一足先に社会には出たけれど、まだ遊びたい盛り。板長に叱られながらの修行の日々は、ダルいということなんでしょう。ちょっと良くない仲間もいて、彼はどうやら易い方に流されやすい性質らしい。守りの猫は、それを防ぎたいんでしょう。かまどと竈猫との縁ができたものだから、なんとかして修行を続けさせ、立派な料理人にしたいと、協力を頼んだんじゃないかと僕は思っていますよ」
自分だけだと力が足りないから、これ幸いというところじゃないかな、と真久部さんは推測する。
「……若い衆は、いつも見張ら、いや、見守られてるというわけですね」
見えない猫二匹に。想像すると微笑ましい……のかな? うん、そういうことにしておこう。
「悪いこと、できませんね」
「まあねぇ。でも、それが当人のためでしょう。若いからって、悪いことしなきゃいけないってこともないんだしね。ちょっと努力しなきゃいけないことから注意が逸れやすいだけで、根は悪い青年じゃない。きっと、彼はビシビシ厳しめに導かれるのが向いてるんでしょう。あと十年もすれば、良い料理人になりますよ」