第59話 貴重な人材 4

文字数 2,418文字

「え?」

え? って。俺、それしか言葉が無いのかよ。でも、え? どこ行った、あのお客。

「……どうしました?」

入ってきた男に聞かれた。不審そう。そりゃそうだよな、分かる。分かるけど、分かって欲しい。俺、今すごく混乱してる。

「いや、その……」

俺は転がるギターと男を交互に見ながら、言葉を探した。

「いま、だいすけ、くんが……」

「大介? 大介は私の甥だが、どうしてそんなこと……初対面ですよね?」

初対面だよ、初対面だけどさ。

「そっくりだから……。だいすけ、くん、母方の叔父さんそっくりだって、お父さんよりお母さんより、お母さんの弟のほうに似てるって、さっき、そう言って……」

「あなた、大介の知り合いですか?」

「いや、知り合いっていうか……本当に、さっき本人からそう聞いて、」

「あなた、失礼だな、私をからかってるんですか? 大介は──」

俺はもう何て言っていいのか分からなくなって、怒りに顔を染めかけた男を手で制し、畳の上のギターを持ち上げて裏返した。裏返して、千枚通しで彫り付けたという名前を男に見せた。

「……! これは大介の、大介に譲った私の……」

信じられないものを見るように、男は震える手で「だいすけ」の文字に触れ、絶句した。だけど俺は、別の部分を見て息を呑んでいた。

「弦が……」

弦が、錆び果ててる。さっき見たときも錆びてはいたけど、これほどじゃなかった。一部切れかけてささくれて、普通ならこんなの触ったら音を出す前に絶対指を怪我すると思う。でも、さっき──。

「──彼は、これで『禁じられた遊び』を弾いてた」

こんな弦で、弾けるわけがない。それなのに。

「弾いたあと、この曲だけでも叔父さんのように、もっと上手に弾きたいって、彼は言ってた」

「……」

男は、俺の顔をじっと見ている。

「叔父さんは簡単な曲も複雑な曲も変わりなく弾きこなして、出せる音も自由自在で、聞いてるだけで楽しくなったり悲しくなったり──」

俺も男の顔をじっと見つめる。

「叔父さんのギターが、世界で一番好きだったって、言ってました」

「……」

男は古いギターに目を落とした。俺がそっと手を離すと、子供を抱くように大切そうに抱える。

「──大介が、そう言ってたんですか?」

「はい。──信じられませんか?」

男はしばらく黙ってギターを見つめていた。

「私が来るまでの間に、大介はここにいたんですね……」

俺は頷いた。そして、あの客──大介くんが店に入ってきてから、姿が見えなくなる直前までの様子を語って聞かせた。

「小さい頃、叔父さんがギターを教えてくれるのが楽しかったんだそうです。だからギターが大好きになったって言ってました。大きくなったらそのギターを譲ってやろうと言われてうれしかったことや、中学の入学式の朝、お祝いとして正式に譲ってもらえた時の喜び、そういうことを話してくれました」

「……私がもう少し早くここに来たら、逢えたんでしょうか」

それには、俺は首を振った。

「彼は、もう会えないと言ってました」

だから、亡くなったのは叔父さんのほうだと思ってたんです、と俺は正直に告白した。

「彼は、既にこの世にいない人には見えませんでした。だけど、そうだな……そういえば少し影が薄かったような……」

俺は考え込んだ。もしかしなくても、幽霊、だよな? 怖いはずなのに、全然怖くない。あまりのことに感覚が麻痺してるのかもしれないけど。

「大介は、あまり身体の丈夫な子ではありませんでした」

葛原と名乗った男は言った。

「顔は私に似てましたが、小柄だったでしょう?」

そう言われて、俺は改めて葛原さんを見た。がっしりと大柄な体格だ。

「そうですね……似てますけど、彼のほうがもう少しやさしい感じでした」

絵にたとえれば、太いマジックで力強く描いたのがこの葛原さんで、細いペンで繊細に描いたのが大介くんだ。

「顔は私、体格と髪が義兄(あに)に似てたんです。爪の形は姉に」

そう言われて見れば、葛原さんはけっこうな癖毛だ。大介くんの髪は素直だったように思う。

「義兄はそうでも無かったんですが、大介は線の細い子で、よく病気をしました。──義兄の父がそんな感じの人だったそうです。子供なのに外に遊びに出られないのがかわいそうで、枕元でギターを弾いてやったのが最初です」

初めての曲は、あの子の好きなアニメのテーマソングでした、と懐かしそうに目元を和らげる。

「何度も同じ曲を求められて、最後は私のほうが音を上げました。元気になったら教えてあげるからと言うと、目をきらきらさせて──」

あんなに尊敬されたら、叔父冥利に尽きますよ、と葛原さんは微かに笑う。

「身体が育つにつれてだんだん丈夫にはなってきましたが、冬になると必ず風邪を引いていました。そういうとき、私が家にいると、必ずギターを弾いてほしがりました。そんなに好きならと、子供用のギターを買ってやろうかと言ったんですが、これが、このギターがいいんだと言って……」

古い、ぼろぼろのギター。

「──そうまで甥が気に入ってくれるなら、無理して買った甲斐があったと思いました。これは私が高校生のときにバイトを重ねてお金を貯めて買った、初めての自分のギターなんです」

艶を失ったボディを撫でる。

「新品で買ったら、何十万もするって、彼も言ってました」

「中古でも、状態が良ければそれなりですよ。──こうなってしまったらもう、二束三文以下ですけど」

そう言って、葛原さんは苦笑した。三千円の値段がついているのは、このブランドのせいだろうと、冷静に見定めている。

「それにしても、ずっと探していた……もう諦めて忘れていたものと、今こうして出会うなんて……」

呟く声は、苦かった。
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