第27話 四月、寒の戻り

文字数 2,835文字

四月×〇日

週末からの寒の戻りで、風邪を引くお年寄りが続出。
元々の予定の合間を縫って、急遽増えた依頼に走り回る俺は昼飯を食う暇もないほど忙しい。

初めて預かる犬の散歩には気を使うし、その犬の飼い主の石田さんの体調も心配だ。石田さん、御年七十歳。しかも独り暮らし。見るからに顔色が悪いのに、病院へ行くのを嫌がる。そのくせ、立っているのがやっとの状態だ。

これはヤバイ、散歩から戻ってきたら倒れてるかも、と判断した俺は、石田さんをなんとか説得して病院に行ってもらった。救急車はイヤだ、とダダをこねるので、タクシーで緊急外来へ。お年寄りの風邪は肺炎が怖いからな。

結局、石田さんは入院することになった。石田さんの愛犬のタロも何かを感じるのか、心細そうにひんひんすぴすぴ鳴いている。家の鍵までは預かってなかったので、タロが外飼いで良かった。小さな庭に、居心地の良さそうな手作りの犬小屋がある。

慌しく済ませた散歩の後、犬小屋にタロを繋ぐ。石田さんから聞いた通り、物置にドッグフードがあったのでそれを与え、散水用らしき蛇口から大きな器にたっぷりと水を入れてやる。

食欲のなさそうなタロを撫でながら、じーちゃんはすぐ帰ってくるからな、大人しく待ってるんだぞ、と言い聞かせたんだが、……タロはしょんぼりと犬小屋の中に籠ってしまった。

ま、しょうがないよな。明日の朝と夕方には様子を見に来てやろう。散歩と餌の世話もやってやるさ。

そこまで頼まれたわけじゃないけど、サービスだ、サービス。何せ、生き物だからなぁ。病院に着いた頃には、石田さん、半ば朦朧としてたし、タロのことが心配でも、何かを言う余裕なんてなかったはずだ。まさかこんな急激に体調が悪くなるなんて思わなかっただろうなぁ。

石田さんには、タロのためにも早く良くなってもらいたい。突然の風邪は本人も辛いが、ペット含めて回りも大変だ。

寒の戻りにはご用心。いや、ホントに。
俺も気をつけよう。うん。

さて、次は田所のお婆ちゃんに頼まれた灯油の配達だ。四月になったけど、まだまだこんなふうに冷えたりするからな。


翌日。

朝、グレートデンの伝さんの散歩に続き、タロの散歩を終えてから、病院まで石田さんの様子を見に行った。昨日に比べたらかなり回復していて、ホッとした。

念の為、あと二日ほどは入院しているらしい。石田さんからは改めて愛犬タロの世話を頼まれたので、快く了承した。

それにしても、昨日の混乱の中、保険証を忘れなくて本当に良かった。あれがないと、後から色々面倒だからなぁ。



四月×▽日

買い物代行したり、雨で痛んだ古い板塀を簡単に修理したり、小学生の算盤塾送迎なんかをやってるうちに今日も一日が終わる。夕方の散歩では、タロに「明後日にはじーちゃんが帰ってくるからな」と話しかけたりもしたんだが、タロはやっぱり元気が無かった。可哀想だけど、こればっかりはなぁ。じーちゃんはちゃんと帰って来るんだから、堪えろ、タロ。

そんなこんなで、遅くなった夕飯。疲れたせいか酸っぱ甘いものが食べたくなった俺は、イワシの南蛮漬けに挑戦してみた。スライサーで薄く切って水に晒したタマネギと、同じく薄く棒状に切った人参を一緒に漬け込んでみると、けっこういい感じ。これで後、残ったたまねぎのヘタと乾燥ワカメで味噌汁でも作るかな、というところで、古道具屋の慈恩堂さんから明日のヘルプ依頼が来た。

なんと、店主真久部さんも、この寒の戻りに油断して風邪を引いてしまったんだそうだ。
寝込んでいる間、店を閉めておくことが出来ればいいのだが、明日はどうしても開けないといけないのだという。何でも、断れない来客が来るのだとか。

慈恩堂の店番か……気が進まないなぁ……。

そんな俺の気持ちは百も承知の真久部さんは、ここぞとばかりに高い報酬を約束して来る。そうなると、万年ふところが寒い俺としては、断るという選択なんか出来ないわけだ。もったいなくて。

くぅっ! 策士め!



四月×□日

今日も朝からとてもいい天気だ。青空が眩しい。

寒の戻りの後は、反動なのかいつも急激に暖かくなるような気がする。どーんと冷えて、どーんと暖かくなって。

うん。そりゃ、誰でも風邪を引きやすくなるよな。身体が馴れないもん。

昨日に引き続き、石田さんを見舞ってから、石田さんの愛犬タロの散歩に行った。明日にはじーちゃん帰ってくるから、あと一息の辛抱だ。頑張れタロよ。

午前中、服部さんちの庭の草むしりをして、午後からは慈恩堂の店番に行く予定だ。

……気が進まないなぁ。

だけど、もう請けてしまったんだからしょうがない。腹をくくるかぁ。



四月×◇日 

昨日の慈恩堂の店番は、ものすご~く普通に終わった。

掛け軸の中の絵が、見るたび少しずつ微妙に違って見えるような気がするとか。
古い張子の虎の首が、風も無いのに上下に揺れてたりとか。
ちゃんと箱に入れてあるのに、目を離すと何故か下に落ちてる煙管とか。

そんなもん、もう慣れた。慈恩堂ではよくあることだし、気にしたら負けだと思ってる。
──来ると聞いてた客は、結局来なかったしな。

店番より大変だったのは、店の二階で臥せってる店主の看病かな。

熱で目は潤んでるし、ハナはずるずるしてるし。今日退院して無事愛犬タロの許に戻った石田さんほどじゃなかったけど、かなりキツそうだった。なのに、病院へ行くのは嫌がるし。まあ、真久部さんは年寄りではないから体力はあるだろう。年齢不詳だけど。

柔らかアイス○ンを枕代わりにして、額には冷え○タ貼って。食べたくないとぐずるのを宥めてお粥を食べさせ、市販の感冒薬を服ませて。

ん? お粥は俺が作ったよ。一階の台所で。ここんちも、店舗兼住宅なんだよな。冷蔵庫の奥で発見した桃缶を小さめに刻んで出したら、喜んでくれた。

午後にはだいぶ顔色も良くなり、寝息も穏やかになってたんで、安心した。

夕方六時ごろに目を覚まし、空腹を訴えたので、今度は卵粥を。食欲も出てきたようで、鍋一杯ぶんをペロリと平らげ、また薬を服んだ。

七時前に犬の散歩依頼が入ってたから、「もしまた具合が悪くなったら携帯に連絡くださいよ」と言って慈恩堂を出てきた。この店の閉店作業も慣れたもんよ。馴れたくなかったけど。

今朝電話してみたら、もう自力でお粥を作ることが出来たらしい。良かった。「薬も忘れずにちゃんと服んでくださいよ」と念押ししたら、笑ってたけど。

「こんなに酷い風邪を引いたのは、十年ぶりです」と言ってた。引きたくなくても引いてしまうのが風邪。俺も気をつけよう、うん。風邪引くと怒られるんだ。元義弟の智晴とか、智晴とか、元妻とか、娘のののかに。なにも好き好んで引くわけじゃないのに……。

理不尽だ。

それにつけても、寒の戻り、怖い。
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